>おひさしぶりです。
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/28 13:17 投稿番号: [1057 / 230347]
お久しぶりです
netcitizenjpさん
レス有難うございました
kakuiuさんも触れておられますが「民族」という言葉自体が明治期の日本による造語で
した。それではそれ以前は民族などというものはなく空白だったかと申しますと、もちろ
んそうではありません。民族に相当するものは、朝鮮半島でも中国大陸でも日本列島でも
確かに存在していたことでしょう。(単一民族国家というのは大抵どこでもフィクション
だったと思いますが…)
ですが「国民(民族)国家」概念がない時点で、中心点を民族においた結束ができたは
ずはないと思います。三韓時代においても、新羅は唐と結んで同一言語同一民族の国と戦
いましたし、百済は日本というこれまた外国勢力の援軍を頼んで戦いました。民族の結束
というものが、異民族・異言語集団との結合というものより重視されていた訳ではなかった
と見ることはできないでしょうか?またそれこそ正史で千回にも及ぶとされる被侵略戦争
でも、記録上必ず「韓奸」とか「売国奴」などと呼ばれる人々が登場しますが、これはあ
くまでも被支配者の民の側に国民感情がなかったための結果ではないでしょうか?彼らに
反国家的行動という意識があったとは思えません。単に支配勢力が危機に陥った好機だか
ら、自分の利を見て行動したというのに過ぎないのではないかと思います。この点では韓
国の歴史の方が自虐的で、常に「裏切り者」を抱えていたことになってしまっています(笑)
李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にすでに景福宮は灰燼となっていたと言い
ます。兵乱と聞いた民衆が蜂起して、先に宮廷を襲って略奪したからだそうです。また特
に奴婢身分の人たちは秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院
に火を放ったそうではないですか。これは決して「売国的」行為ではなく、まさに奴婢と
いう抑圧され搾取されていた人民の階級闘争(笑)とでもできるような行動だったのでは?
「韓国(朝鮮)が国民(民族)国家になったのは、日韓併合以降である」
ここにnetcitizenjpさんがお感じになる「違和感」は、おそらく「国民(民族)国家」概念
というものの曖昧さに起因するのではないかと私は感じました。確かにおっしゃるように、
日本の国民国家像と韓国の国民国家像、そして本家本元の欧米の国民国家像は異なっている
ようにも見受けられます。ですが、単に言葉が通じるからとか近隣に住んでいるからとかいう
レベルを超えた「国民(民族)」というまとまりが国家を形成する(あるいはすべき)という
考え方自体は、私はきわめて近代的な(というか人類史上ユニークな)ものではないかと考え
ております。その意味で「国民(民族)」という捉え方自体も新たに作られた(生み出された)
ものなのかもしれません。それゆえ国民国家も(我々自身がその渦中にいるという点からも)
まだまだ確定的な定義を持たない曖昧な概念なのかもしれないのですが…。
われわれが奈良平安の日本に親しみと継続性を感じるのと同じように、韓国人が古代韓国の
人々に親近感を感じるのを妨げる意図は毛頭ありません。(別に東北人だって坂上田村麻呂を
侵略者として、アテルイを英雄として考える訳ではないし…笑)ですが、特に韓国において、
現在の民族意識を永遠不変のものと考え、過去の人々にも無条件に適用して歴史を見ようとす
るのは問題視できると思います。あえて「国民国家」概念をもって民族史観に異議を唱えるの
はそれゆえの戦略です。
今現在、韓国民の国民性云々の話で必ず語られる「儒教的」なものでさえ、たかだか14世紀
末以降の「獲得形質」に過ぎないではないですか。歴史を見るということは、時にそうした突き
放した冷静さを要求されるということだと思います。まして史学をプロパガンダに用いるなど
というのは言語道断であり、韓国史学者の職業道徳の問題でもあります。見るに堪えないものに
対して眼を覆うというだけでは問題の解決になりませんし、幸か不幸か隣人は隣人、どこまで
行ってもお互いの歴史は密接に絡み合って存在しています。これは抛ってはおけないでしょう。
これはまだ確定的に論じるまでに至らぬ「思い付き」なのですが、韓国・北朝鮮での民族意識
の鼓吹は、「国家としてのウリ」というフィクションを何とか人々に持ってもらおうと思っての
苦肉の策なのではないかと私は考えています。
まとまらぬレスで申し訳ないのですが、とりあえず今はこれだけをお返事として…
kakuiuさんも触れておられますが「民族」という言葉自体が明治期の日本による造語で
した。それではそれ以前は民族などというものはなく空白だったかと申しますと、もちろ
んそうではありません。民族に相当するものは、朝鮮半島でも中国大陸でも日本列島でも
確かに存在していたことでしょう。(単一民族国家というのは大抵どこでもフィクション
だったと思いますが…)
ですが「国民(民族)国家」概念がない時点で、中心点を民族においた結束ができたは
ずはないと思います。三韓時代においても、新羅は唐と結んで同一言語同一民族の国と戦
いましたし、百済は日本というこれまた外国勢力の援軍を頼んで戦いました。民族の結束
というものが、異民族・異言語集団との結合というものより重視されていた訳ではなかった
と見ることはできないでしょうか?またそれこそ正史で千回にも及ぶとされる被侵略戦争
でも、記録上必ず「韓奸」とか「売国奴」などと呼ばれる人々が登場しますが、これはあ
くまでも被支配者の民の側に国民感情がなかったための結果ではないでしょうか?彼らに
反国家的行動という意識があったとは思えません。単に支配勢力が危機に陥った好機だか
ら、自分の利を見て行動したというのに過ぎないのではないかと思います。この点では韓
国の歴史の方が自虐的で、常に「裏切り者」を抱えていたことになってしまっています(笑)
李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にすでに景福宮は灰燼となっていたと言い
ます。兵乱と聞いた民衆が蜂起して、先に宮廷を襲って略奪したからだそうです。また特
に奴婢身分の人たちは秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院
に火を放ったそうではないですか。これは決して「売国的」行為ではなく、まさに奴婢と
いう抑圧され搾取されていた人民の階級闘争(笑)とでもできるような行動だったのでは?
「韓国(朝鮮)が国民(民族)国家になったのは、日韓併合以降である」
ここにnetcitizenjpさんがお感じになる「違和感」は、おそらく「国民(民族)国家」概念
というものの曖昧さに起因するのではないかと私は感じました。確かにおっしゃるように、
日本の国民国家像と韓国の国民国家像、そして本家本元の欧米の国民国家像は異なっている
ようにも見受けられます。ですが、単に言葉が通じるからとか近隣に住んでいるからとかいう
レベルを超えた「国民(民族)」というまとまりが国家を形成する(あるいはすべき)という
考え方自体は、私はきわめて近代的な(というか人類史上ユニークな)ものではないかと考え
ております。その意味で「国民(民族)」という捉え方自体も新たに作られた(生み出された)
ものなのかもしれません。それゆえ国民国家も(我々自身がその渦中にいるという点からも)
まだまだ確定的な定義を持たない曖昧な概念なのかもしれないのですが…。
われわれが奈良平安の日本に親しみと継続性を感じるのと同じように、韓国人が古代韓国の
人々に親近感を感じるのを妨げる意図は毛頭ありません。(別に東北人だって坂上田村麻呂を
侵略者として、アテルイを英雄として考える訳ではないし…笑)ですが、特に韓国において、
現在の民族意識を永遠不変のものと考え、過去の人々にも無条件に適用して歴史を見ようとす
るのは問題視できると思います。あえて「国民国家」概念をもって民族史観に異議を唱えるの
はそれゆえの戦略です。
今現在、韓国民の国民性云々の話で必ず語られる「儒教的」なものでさえ、たかだか14世紀
末以降の「獲得形質」に過ぎないではないですか。歴史を見るということは、時にそうした突き
放した冷静さを要求されるということだと思います。まして史学をプロパガンダに用いるなど
というのは言語道断であり、韓国史学者の職業道徳の問題でもあります。見るに堪えないものに
対して眼を覆うというだけでは問題の解決になりませんし、幸か不幸か隣人は隣人、どこまで
行ってもお互いの歴史は密接に絡み合って存在しています。これは抛ってはおけないでしょう。
これはまだ確定的に論じるまでに至らぬ「思い付き」なのですが、韓国・北朝鮮での民族意識
の鼓吹は、「国家としてのウリ」というフィクションを何とか人々に持ってもらおうと思っての
苦肉の策なのではないかと私は考えています。
まとまらぬレスで申し訳ないのですが、とりあえず今はこれだけをお返事として…
これは メッセージ 1053 (netcitizenjp さん)への返信です.
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