BF109 弱武装軽戦闘機としての限界
投稿者: blacktea310 投稿日時: 2007/09/16 10:53 投稿番号: [301 / 562]
ドイツ機BF109を完敗に追い込んだ英軍機(部隊はその後、ビルマなどに転戦)も、日本の航空機部隊には手もなく完敗した。
>昭和18年初め頃の激戦期、一式戦隼は連合軍側記録と一致する戦果だけでも26機を撃墜、 陸軍航空部隊のビルマ空戦史上、最大の勝利を収めた。
64戦隊は空中戦で2名、 地上で1名の操縦者を失い、一式戦3機を喪失する一方、ハリケーン13機 (戦死9名)、ブレニム2機(戦死2名、捕虜1名)、ボーファイター1機 (戦死2名)、リベレーター3機(戦死23名、捕虜4名)を撃墜した。
50戦隊は、一式戦隼1機を失ったものの操縦者は1名も失わず、ハリケーン 6機(戦死3名)、モホーク1機を撃墜。
日本陸軍航空部隊は、アラカン 戦域での局地的な航空優勢を実現し、マユ半島を南下、アキャブに向かう 地上の英印軍攻勢を空中から支援しようとしていた英印軍の企図を砕き、
同戦線での日本陸軍の反撃を成功に導いた。(損害、日英で確認)<
その後の空戦でも、一式戦ですら、10機以上のスピットファイアを撃墜(スピットファイア撃墜でエースも輩出)しており、陸海軍とも、スピットファイアに関しては、まったく苦手意識はない。
これは、イギリス機が、特にスピットファイアは翼の形(楕円翼)を見ても分かる通り、あくまで機動性、ドッグファイト重視の思想で作られていることが大きく影響している。
同様の軽量・小型、軽武装の戦闘機の典型であるBF109も同様。空戦に持ち込んでも、一撃離脱で弱点をカバーしようとしても、軽戦闘機としての限界はいかんともしがたく、結局、スピットファイアに歯が立たないまま、完敗することとなった。
軽戦闘機の代表格であるBF109は、戦闘機として致命的な、非力な武装にも悩まされ続けた機体で、もしも、太平洋戦域で米軍機と交戦したら、空戦時間の短さ(相手は戦闘をやめるわけではないので、結局、燃料欠乏で撃墜される)や、退避運動の能力の低さだけでも、日本機以上に簡単に撃墜されたと思われる。
BF109は、機首プロペラ同軸機銃は振動問題を克服できず、ほとんど使えなかった。急いで改造され、両翼内に一丁づつ、エンジン上部に二丁の機銃を搭載したが、初期設計でスペースをまったく考慮しておらず、大戦期間中、日本機では考えられないほど、弾薬不足、威力不足に泣かされた。
BF109は、初期設計の失敗から、主翼内への武装を設計時から想定しておらず、大戦勃発時には無理をして7.92ミリ機銃を翼内に装備したが、初速、発射速度、装弾数の点から非力すぎた。E型後期で、零戦を参考にした20ミリ機関銃を翼内搭載したが、機首大口径機銃は断念。
機首同軸機銃はF型になってようやく実現したが、重量問題で、今度は翼内機銃を廃止せざるを得なくなり、武装重視派と運動性重視派との間にいわゆるF論争(所詮、運動性能を重視した機体であったため、非常に不毛な論争だった。武装重視派は特に非現実的で、彼らの主張をすべて取り入れても、当時のメッサーシュミット側も認めているが、追加武装を施せる設計余地はまったくない機体だった)が起きている。
弱武装を指摘されながら、F型以降では翼内武装は行われず、主翼に武装する場合は下面への20ミリや30ミリ機関砲のガンポッドを懸架したが、主翼振動(照準できず)、速度低下などの問題があり、実用性は低かった。
結局、BF109も、スピットファイア同様、小型軽戦闘機としての限界を超えられず、エンジン、運動性も中途半端であったため、戦術的に一撃離脱にも徹する事が出来なかった。
武装問題は、スピットファイアも同様で、そのため、両機とも戦時期間中に大混乱を起こした改造に継ぐ改造を余儀なくされ、結局、主翼の設計やり直しに至り、その間、絶望的な損害を被った(特にスピットファイア)。
その点、零戦は武装思想を当初から明確にして設計してあったため、同じ軽量戦闘機としては、追加武装を施す際も、欧州機のような混乱は引き起こしていない。
先見の明があった。
>昭和18年初め頃の激戦期、一式戦隼は連合軍側記録と一致する戦果だけでも26機を撃墜、 陸軍航空部隊のビルマ空戦史上、最大の勝利を収めた。
64戦隊は空中戦で2名、 地上で1名の操縦者を失い、一式戦3機を喪失する一方、ハリケーン13機 (戦死9名)、ブレニム2機(戦死2名、捕虜1名)、ボーファイター1機 (戦死2名)、リベレーター3機(戦死23名、捕虜4名)を撃墜した。
50戦隊は、一式戦隼1機を失ったものの操縦者は1名も失わず、ハリケーン 6機(戦死3名)、モホーク1機を撃墜。
日本陸軍航空部隊は、アラカン 戦域での局地的な航空優勢を実現し、マユ半島を南下、アキャブに向かう 地上の英印軍攻勢を空中から支援しようとしていた英印軍の企図を砕き、
同戦線での日本陸軍の反撃を成功に導いた。(損害、日英で確認)<
その後の空戦でも、一式戦ですら、10機以上のスピットファイアを撃墜(スピットファイア撃墜でエースも輩出)しており、陸海軍とも、スピットファイアに関しては、まったく苦手意識はない。
これは、イギリス機が、特にスピットファイアは翼の形(楕円翼)を見ても分かる通り、あくまで機動性、ドッグファイト重視の思想で作られていることが大きく影響している。
同様の軽量・小型、軽武装の戦闘機の典型であるBF109も同様。空戦に持ち込んでも、一撃離脱で弱点をカバーしようとしても、軽戦闘機としての限界はいかんともしがたく、結局、スピットファイアに歯が立たないまま、完敗することとなった。
軽戦闘機の代表格であるBF109は、戦闘機として致命的な、非力な武装にも悩まされ続けた機体で、もしも、太平洋戦域で米軍機と交戦したら、空戦時間の短さ(相手は戦闘をやめるわけではないので、結局、燃料欠乏で撃墜される)や、退避運動の能力の低さだけでも、日本機以上に簡単に撃墜されたと思われる。
BF109は、機首プロペラ同軸機銃は振動問題を克服できず、ほとんど使えなかった。急いで改造され、両翼内に一丁づつ、エンジン上部に二丁の機銃を搭載したが、初期設計でスペースをまったく考慮しておらず、大戦期間中、日本機では考えられないほど、弾薬不足、威力不足に泣かされた。
BF109は、初期設計の失敗から、主翼内への武装を設計時から想定しておらず、大戦勃発時には無理をして7.92ミリ機銃を翼内に装備したが、初速、発射速度、装弾数の点から非力すぎた。E型後期で、零戦を参考にした20ミリ機関銃を翼内搭載したが、機首大口径機銃は断念。
機首同軸機銃はF型になってようやく実現したが、重量問題で、今度は翼内機銃を廃止せざるを得なくなり、武装重視派と運動性重視派との間にいわゆるF論争(所詮、運動性能を重視した機体であったため、非常に不毛な論争だった。武装重視派は特に非現実的で、彼らの主張をすべて取り入れても、当時のメッサーシュミット側も認めているが、追加武装を施せる設計余地はまったくない機体だった)が起きている。
弱武装を指摘されながら、F型以降では翼内武装は行われず、主翼に武装する場合は下面への20ミリや30ミリ機関砲のガンポッドを懸架したが、主翼振動(照準できず)、速度低下などの問題があり、実用性は低かった。
結局、BF109も、スピットファイア同様、小型軽戦闘機としての限界を超えられず、エンジン、運動性も中途半端であったため、戦術的に一撃離脱にも徹する事が出来なかった。
武装問題は、スピットファイアも同様で、そのため、両機とも戦時期間中に大混乱を起こした改造に継ぐ改造を余儀なくされ、結局、主翼の設計やり直しに至り、その間、絶望的な損害を被った(特にスピットファイア)。
その点、零戦は武装思想を当初から明確にして設計してあったため、同じ軽量戦闘機としては、追加武装を施す際も、欧州機のような混乱は引き起こしていない。
先見の明があった。
これは メッセージ 293 (rsbd57 さん)への返信です.
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