李登輝氏「日本人の精神」全文③
投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2005/01/01 11:42 投稿番号: [42065 / 196466]
これら諸点について具体的な諸事実を並べて話しましょう。
一、まず嘉南大■の特徴についてみましょう。(1)灌漑面積は
十五万町歩、水源は濁水渓系統五万二千町歩、烏山頭系九万八千町
歩。灌漑方式は三年輪作給水法(2)烏山頭ダムの規模、堰堤長千
二百七十三メートル、高さ五十六メートル、給水量一億五千万トン、
土堰堤はセミハイドロリックフィル工法採用(3)水路の規模、給
水路一万キロ、排水路六千キロ、防水護岸堤防二百二十八キロ。
このような巨大な土木工事をわずか三十二歳で設計に取りかかり、
三十四歳で現場監督として指揮をした八田氏の才能には頭が下がり
ます。戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水
の十倍を超える事業なんだと考えれば、うなずけるものと思います。
そして烏山頭は東洋唯一の湿地式堰堤であり、アメリカ土木学会は
特に「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介したものです。
しかし嘉南大■が完成しても、それですべてが終わったというわ
けにはいきません。ハードウエアは完成しましたが、それを維持管
理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切です。農民はその
大地を使って農作物を作り、生産力を上げなければ嘉南大■は生き
たものになりません。農民への技術指導が連日、組合の手によって
繰り返されました。その甲斐あって三年目には成果が顕著になって
きました。かくして不毛の地、嘉南平野は台湾の穀倉地帯に変貎を
遂げたのです。
その成果には(1)農民が被る洪水、干魃、塩害の三重苦が解消
したこと(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上し
たこと(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が二倍、
三倍の上昇を招き、全体では九千五百四十万円もの価値を生んだ。
この金額は当時の全工事費を上回る金額であった(4)農民の生活
はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕
がでてきた−ことがあげられます。
二、次は八田氏の独創的なものの考え方を述べなければなりませ
ん。以上述べた嘉南大■の巨大な工事に対して、当時として常識は
ずれの独創的方法が採用されました。
その一つはセミハイドロリックフィル工法の採用です。この方法
は東洋では誰もてがけたことがなく、アメリカでさえもこのような
大きな規模の工事では採用されていなかった。この工法を採用した
のには、それなりの理由がありました。
まず地震です。この地帯は断層があちこちに発生しており、地震
強度は六度以上もあります。この工法は粘土による中心羽金層を堰
堤の中心に造り、浸透水を遮断して堰堤に決壊を防ぐアースダム方
式です。この工法を遂行するには、三百トンの大量の土砂と中心羽
金層を造る微細な粘土を必要としますが、この地域ではこれを供給
する場所がありました。
この未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とア
メリカ視察を行いました。そして、この工法の採用と設計が間違い
でない確信を持って工事にとりかかったのです。またコンクリート
コアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの
権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに
構築しました。七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水
を堰とめて、八田ダムの正確性を証明しています。
二つ目は大型土木機械の使用です。労働力のあまっている時代と
しては常識はずれでした。大型機械の使用については組合や当時の
請負業者が反対していました。購入予算は四百万円に達し、堰堤工
事と烏山頭隧道工事費の25%にあたります。
八田氏の意見は、これだけの堰堤を人力で造っていては十年どこ
ろか二十年かかってもできない。工期の遅れは十五万町歩の土地が
不毛の土地のまま眠ることになる。高い機械で工期が短縮できれば、
それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる−というもの
でした。この考え方は当時としては偉大な見識と英断と見なければ
いけないでしょう。これら大型土木機械はその後の基隆港の建設と
台湾開発に非常な威力を発揮しました。
三つ目は烏山頭職員宿舎の建設です。「よい仕事は安心して働け
る環境から生まれる」という信念のもとに、職員用宿舎二百戸の住
宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓
道場、テニスコートといった設備まで建設しました。
一、まず嘉南大■の特徴についてみましょう。(1)灌漑面積は
十五万町歩、水源は濁水渓系統五万二千町歩、烏山頭系九万八千町
歩。灌漑方式は三年輪作給水法(2)烏山頭ダムの規模、堰堤長千
二百七十三メートル、高さ五十六メートル、給水量一億五千万トン、
土堰堤はセミハイドロリックフィル工法採用(3)水路の規模、給
水路一万キロ、排水路六千キロ、防水護岸堤防二百二十八キロ。
このような巨大な土木工事をわずか三十二歳で設計に取りかかり、
三十四歳で現場監督として指揮をした八田氏の才能には頭が下がり
ます。戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水
の十倍を超える事業なんだと考えれば、うなずけるものと思います。
そして烏山頭は東洋唯一の湿地式堰堤であり、アメリカ土木学会は
特に「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介したものです。
しかし嘉南大■が完成しても、それですべてが終わったというわ
けにはいきません。ハードウエアは完成しましたが、それを維持管
理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切です。農民はその
大地を使って農作物を作り、生産力を上げなければ嘉南大■は生き
たものになりません。農民への技術指導が連日、組合の手によって
繰り返されました。その甲斐あって三年目には成果が顕著になって
きました。かくして不毛の地、嘉南平野は台湾の穀倉地帯に変貎を
遂げたのです。
その成果には(1)農民が被る洪水、干魃、塩害の三重苦が解消
したこと(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上し
たこと(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が二倍、
三倍の上昇を招き、全体では九千五百四十万円もの価値を生んだ。
この金額は当時の全工事費を上回る金額であった(4)農民の生活
はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕
がでてきた−ことがあげられます。
二、次は八田氏の独創的なものの考え方を述べなければなりませ
ん。以上述べた嘉南大■の巨大な工事に対して、当時として常識は
ずれの独創的方法が採用されました。
その一つはセミハイドロリックフィル工法の採用です。この方法
は東洋では誰もてがけたことがなく、アメリカでさえもこのような
大きな規模の工事では採用されていなかった。この工法を採用した
のには、それなりの理由がありました。
まず地震です。この地帯は断層があちこちに発生しており、地震
強度は六度以上もあります。この工法は粘土による中心羽金層を堰
堤の中心に造り、浸透水を遮断して堰堤に決壊を防ぐアースダム方
式です。この工法を遂行するには、三百トンの大量の土砂と中心羽
金層を造る微細な粘土を必要としますが、この地域ではこれを供給
する場所がありました。
この未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とア
メリカ視察を行いました。そして、この工法の採用と設計が間違い
でない確信を持って工事にとりかかったのです。またコンクリート
コアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの
権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに
構築しました。七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水
を堰とめて、八田ダムの正確性を証明しています。
二つ目は大型土木機械の使用です。労働力のあまっている時代と
しては常識はずれでした。大型機械の使用については組合や当時の
請負業者が反対していました。購入予算は四百万円に達し、堰堤工
事と烏山頭隧道工事費の25%にあたります。
八田氏の意見は、これだけの堰堤を人力で造っていては十年どこ
ろか二十年かかってもできない。工期の遅れは十五万町歩の土地が
不毛の土地のまま眠ることになる。高い機械で工期が短縮できれば、
それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる−というもの
でした。この考え方は当時としては偉大な見識と英断と見なければ
いけないでしょう。これら大型土木機械はその後の基隆港の建設と
台湾開発に非常な威力を発揮しました。
三つ目は烏山頭職員宿舎の建設です。「よい仕事は安心して働け
る環境から生まれる」という信念のもとに、職員用宿舎二百戸の住
宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓
道場、テニスコートといった設備まで建設しました。
これは メッセージ 42064 (kitachousendeikirai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/42065.html