日中関係

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つづき 2

投稿者: kflez 投稿日時: 2002/06/08 16:25 投稿番号: [24379 / 196466]
  それが実はニューヨークのコロンビア大学の研究スタッフに語っていたのだ。その貴重な証言テープの整理作業がほぼ終わり、遺族との約束通り、死後を待って公開される運びとなったのだ(6月2日付朝日新聞朝刊)。91年から93年の間に収録されたもので、テープの中身を中国語でおこした記録文書は4800ページという膨大な量だ。したがって詳細な解読作業はまだまだこれからだが、西安事件については400回余り言及しているという。詳しい証言内容の分析が待たれる。


西安事件の現場の西安郊外、華清池
  父、張作霖は東北3省(旧満州)を拠点とした軍閥で、28年6月に旧関東軍によって列車ごと爆殺されている。跡を継いだ張学良は満州に「若将軍」とし君臨し、その拠点を瀋陽に置いたが、執務室などがあった立派な洋館「張帥府」は、現存しており、いまは一般に公開されている。現代中国では「愛国将軍」として評価が高く、この建物も瀋陽の観光スポットになっている。

  31年に起きた満州事変を契機に、張学良は日本軍によって満州の地を追われ、各地を流亡することになる。そうした日本に対する苦い記憶が、「まず共産党を討って国内を固め、それから日本の侵略に対抗する」という立場の蒋介石に、武力を用いてでも政策の変更をもとめるという非常手段に立ち上がらせた要因になったのだろう。

  西安事件当時はまだ36歳の若将軍だったが、思えばこの時が政治生活のピークであり、最後でもあった。その後は想像に絶する長期間の幽閉生活。実に数奇な人生といえよう。
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