つづき
投稿者: kflez 投稿日時: 2002/06/01 23:55 投稿番号: [24051 / 196466]
アフガン戦争とともに拡張・滅亡したジア・ウル・ハク
クーデターでブットを倒したのはジア・ウル・ハク将軍で、彼は自ら大統領になって戒厳令を敷いたものの、その後の政策では行き詰まった。そこにちょうど起きたのが1979年、西隣のアフガニスタンにソ連軍が侵攻したことだった。
パキスタンには何百万人ものアフガン難民が押し寄せ、ジア政権は対応に追われたが、その一方でアメリカがアフガン戦争を冷戦の一環としてとらえ、パキスタンを通じてアフガンゲリラを支援する体制をとり、パキスタンに巨額の軍事支援を開始した。
また、70年代を通じて「イスラム復興運動」が盛り上がっていた中東では「アフガニスタンをソ連の侵略から守れ」という動きが広がり、アフガン戦争を「イスラム聖戦」とみなし、サウジアラビアなどの諸国から戦争資金や義勇兵たちがパキスタンに集まるようになった。この流れの中で、オサマ・ビン・ラディンもパキスタンにやってきた。パキスタンはアフガニスタンを舞台にした「冷戦」と「聖戦」のための拠点となり、ジア政権はこれを利用して体制を立て直した。
ジア大統領はパキスタンをイスラム原理主義の国家にしようと考えていたようで、国内にイスラム教の神学校をたくさん作ったりした。アフガン難民の子供たちがこの神学校で学び、後に「タリバン」を生み出すことになった。
ところがアメリカは、1979年にイランで起きた「イスラム革命」以来、イスラム原理主義には極度の警戒感を抱いていた。アメリカは、アフガン戦争が終わった後のパキスタンがイスラム原理主義の国になって「反米」を掲げるようになることを恐れた。
それと関係あるかどうか、いまだに不明なのだが、ジア大統領はソ連がアフガニスタンから撤退することが明らかになった直後の1988年5月、原因不明の飛行機事故で死亡してしまった。パキスタンの情報機関ISIの元幹部は、この事件にはアメリカCIAが関与していた可能性が大きいと指摘している。
クーデターでブットを倒したのはジア・ウル・ハク将軍で、彼は自ら大統領になって戒厳令を敷いたものの、その後の政策では行き詰まった。そこにちょうど起きたのが1979年、西隣のアフガニスタンにソ連軍が侵攻したことだった。
パキスタンには何百万人ものアフガン難民が押し寄せ、ジア政権は対応に追われたが、その一方でアメリカがアフガン戦争を冷戦の一環としてとらえ、パキスタンを通じてアフガンゲリラを支援する体制をとり、パキスタンに巨額の軍事支援を開始した。
また、70年代を通じて「イスラム復興運動」が盛り上がっていた中東では「アフガニスタンをソ連の侵略から守れ」という動きが広がり、アフガン戦争を「イスラム聖戦」とみなし、サウジアラビアなどの諸国から戦争資金や義勇兵たちがパキスタンに集まるようになった。この流れの中で、オサマ・ビン・ラディンもパキスタンにやってきた。パキスタンはアフガニスタンを舞台にした「冷戦」と「聖戦」のための拠点となり、ジア政権はこれを利用して体制を立て直した。
ジア大統領はパキスタンをイスラム原理主義の国家にしようと考えていたようで、国内にイスラム教の神学校をたくさん作ったりした。アフガン難民の子供たちがこの神学校で学び、後に「タリバン」を生み出すことになった。
ところがアメリカは、1979年にイランで起きた「イスラム革命」以来、イスラム原理主義には極度の警戒感を抱いていた。アメリカは、アフガン戦争が終わった後のパキスタンがイスラム原理主義の国になって「反米」を掲げるようになることを恐れた。
それと関係あるかどうか、いまだに不明なのだが、ジア大統領はソ連がアフガニスタンから撤退することが明らかになった直後の1988年5月、原因不明の飛行機事故で死亡してしまった。パキスタンの情報機関ISIの元幹部は、この事件にはアメリカCIAが関与していた可能性が大きいと指摘している。
これは メッセージ 24050 (kflez さん)への返信です.
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