Re: 中国人講師「中国の教科書、95%デタラ
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2010/05/17 12:12 投稿番号: [181977 / 196466]
他はいいにして下記一点について少々。
>中国人にとっては、
口汚い罵倒が、相手とのコミュニケーションツールとして有効なのか?<
笑、有効になる場合と有効にならない場合ありますよ。全部有効とはいえません。特に日本人に使っても有効だな。
僕が言っている罵倒とは、必ずしも口汚い罵倒ではありませんが。言語表現としての罵倒は、有効どころか、武器にもなりうるのですよ。
恐らく古来から日本には哲学というモンがなかったため、哲学上の重大テーマに関しての争論、死を賭けても譲れない議題を廻る論戦などを、日本人は経験せずに済んだかと思います。だから、今の日本人は罵倒というツールを如何しても理解できなくなったと考えます。
哲学上の激しい議論、争論に罵倒はつき物です。エンゲルスしかり、ニーチェしかり、アドルノしかり。其のどれもドイツ哲学者の著作に見え、罵倒は批判力になり、文章の表現力にもなっていた。
本当は具体例を挙げて説明しようと思ったが、諦めた。言い過ぎると、ほら、また反日だの、日本人侮辱だのの始まりになるから、言わないことにしよう。
>ところで、
日本の日記文学・・に相当するものは中国にはあるのかね?
笑、どうして途中にこんな質問をしてきますか?
あるといって欲しい?それとも無いといって欲しい?
【日記文学】という場合、女流日記文学を指すことが多く、其の時【日記】「にき」と読まます。例えば
*「男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとてするなり」(土佐日記)
*
「かくとし月はつもれど、思やうにしもあらぬ身をしなげけば、声あらたまるもよろこぼしからず。なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地する、かげろふのにきといふべし」(蜻蛉日記)
それとそういう時の日記は、「物語」の性格も持つから、男の書く日記と別物と考えた方がよい。定家の日記は正に男が漢文で書いた日記です。ややこしいけれど、男の書く日記なら、中国にあったが、所謂女流日記文学の日記はありませんでした。
以上。
これは メッセージ 181960 (run_run72 さん)への返信です.
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