Re: こういう日本人が>>>横ですが、①
投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2009/09/13 11:42 投稿番号: [178285 / 196466]
>そんな問題でも無いのでは???
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婆化乱欄に聞いてくれよ。
>南京陥落直前の人口=20万人
(国際機関の認定による61通の公文書は第一級史料であり、この61通の文章は徐淑希博士の『南京安全区襠案』マンチェスターガーディアンの特派員ティンパーリーの『戦争とは何か』の中に全文がおさめられており、東京裁判にも証拠書類として提出された全文の中に、3回にわたって、「安全区内の難民の総人口は20万人である。」と記述されている。)
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ttp://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/vhbqrf/vhbqrf.html
【【】内は熊猫のコメントです。
引用 ------------------------------------------------------ -
大虐殺前の南京の人口について日本の学者の謬論史料反論
中新網12月15日電 12月13日は南京大虐殺で30万同胞の死より66周年の日となる。ここ数年来、日本の右翼学者はずっと南京大虐殺の人数を大げさに語り、いわゆる“戦前の南京の人口は20万説”を持ち出し、南京大虐殺の史実否定をしようとしている。南京師範大学の南京大虐殺研究センターの張連紅教授は《北京日報》の記事で、南京城陥落時は、南京城区の人口の総計36.7万〜46.7万程度で、南京人口の総計は53.5万〜63.5万人の間であると史実を指摘している。
論文は指摘している、20世紀80年代より、日本の右派学者はずっと南京大虐殺の人数問題を大げさな論文の、その中の一つは特に困惑する論点で扇動し、南京陥落前夜の南京住民は20万であり、それに5万の南京防衛軍部隊を加えたとして、“どうすれば30万人を殺すことができるのか?”と指摘している。
この謬論に対して、かつて多くの学者が強力に反論を行ったことがある。しかし、ここ数年来、日本の右派学者は“戦前南京の人口20万説”を検証せずに、相反し新しく出版した著作は、北村稔著《南京事件の探究》、東中野修道編集《日本“南京”学会年報》でこのこと【20万人説】を堅持して論証している。
張連紅の論文は指摘する、1927年国民政府が南京に都を定めた後に、かつて南京市の地域の範囲は大きな変化が発生した。最初は、南京の地域の範囲はほぼ南京城区(明時代の城壁を界とした)を主とするだけであった。1935年3月、南京市の管轄地区はとても拡大され、もとは江寧県に属していた孝陵衛、燕子磯、上新河の3つの郷区の併せて21の郷鎮を南京市の管轄に入れた。南京を都に定めた後に、都市の人口の増長速度はとても速く、1937年6月には、南京市はすでに101.5万人を上回った。
“八•一三事変”勃発後、南京は直接戦争の脅威にさらされた。安全を求めて、南京市民の一部は西へ、一部は長江以北へ船で渡り、自主的に地方に移り一部の城区市民も郊外の郷区へ避難した。5つの城区、2つの郷区の統計結果によれば、1937年8月から11月までの、城区の人口が流出する確立は48.9%で、郷区は17.6%である。1937年8月の人口統計をとるため流動人口の統計を含めた、これは1936年の統計を基数とした。1936年7月、南京の7つの城区の居住人口は741,667人と算出し、4つの郷区の居住人口は203,877人と算出することが出来る、1937年11月初め、南京城区と郷区の居住人口中で少なくともまだ54.7余万人は移っていない。この事実は日本の特務機関の報告で実証されており、その情報は10月下旬に南京にはまだ53万余人がいると言っている。 】
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婆化乱欄に聞いてくれよ。
>南京陥落直前の人口=20万人
(国際機関の認定による61通の公文書は第一級史料であり、この61通の文章は徐淑希博士の『南京安全区襠案』マンチェスターガーディアンの特派員ティンパーリーの『戦争とは何か』の中に全文がおさめられており、東京裁判にも証拠書類として提出された全文の中に、3回にわたって、「安全区内の難民の総人口は20万人である。」と記述されている。)
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ttp://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/vhbqrf/vhbqrf.html
【【】内は熊猫のコメントです。
引用 ------------------------------------------------------ -
大虐殺前の南京の人口について日本の学者の謬論史料反論
中新網12月15日電 12月13日は南京大虐殺で30万同胞の死より66周年の日となる。ここ数年来、日本の右翼学者はずっと南京大虐殺の人数を大げさに語り、いわゆる“戦前の南京の人口は20万説”を持ち出し、南京大虐殺の史実否定をしようとしている。南京師範大学の南京大虐殺研究センターの張連紅教授は《北京日報》の記事で、南京城陥落時は、南京城区の人口の総計36.7万〜46.7万程度で、南京人口の総計は53.5万〜63.5万人の間であると史実を指摘している。
論文は指摘している、20世紀80年代より、日本の右派学者はずっと南京大虐殺の人数問題を大げさな論文の、その中の一つは特に困惑する論点で扇動し、南京陥落前夜の南京住民は20万であり、それに5万の南京防衛軍部隊を加えたとして、“どうすれば30万人を殺すことができるのか?”と指摘している。
この謬論に対して、かつて多くの学者が強力に反論を行ったことがある。しかし、ここ数年来、日本の右派学者は“戦前南京の人口20万説”を検証せずに、相反し新しく出版した著作は、北村稔著《南京事件の探究》、東中野修道編集《日本“南京”学会年報》でこのこと【20万人説】を堅持して論証している。
張連紅の論文は指摘する、1927年国民政府が南京に都を定めた後に、かつて南京市の地域の範囲は大きな変化が発生した。最初は、南京の地域の範囲はほぼ南京城区(明時代の城壁を界とした)を主とするだけであった。1935年3月、南京市の管轄地区はとても拡大され、もとは江寧県に属していた孝陵衛、燕子磯、上新河の3つの郷区の併せて21の郷鎮を南京市の管轄に入れた。南京を都に定めた後に、都市の人口の増長速度はとても速く、1937年6月には、南京市はすでに101.5万人を上回った。
“八•一三事変”勃発後、南京は直接戦争の脅威にさらされた。安全を求めて、南京市民の一部は西へ、一部は長江以北へ船で渡り、自主的に地方に移り一部の城区市民も郊外の郷区へ避難した。5つの城区、2つの郷区の統計結果によれば、1937年8月から11月までの、城区の人口が流出する確立は48.9%で、郷区は17.6%である。1937年8月の人口統計をとるため流動人口の統計を含めた、これは1936年の統計を基数とした。1936年7月、南京の7つの城区の居住人口は741,667人と算出し、4つの郷区の居住人口は203,877人と算出することが出来る、1937年11月初め、南京城区と郷区の居住人口中で少なくともまだ54.7余万人は移っていない。この事実は日本の特務機関の報告で実証されており、その情報は10月下旬に南京にはまだ53万余人がいると言っている。 】
これは メッセージ 178273 (keijiban1234 さん)への返信です.
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