Re: 阿呆の妄想お花畑を疾駆の「中蚊の★」
投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2008/08/28 01:45 投稿番号: [170431 / 196466]
>誰も解説しろなんて言っとらんね。
死那珍寒線の350km/hはDQN車のDQN運転手がアクセルベタ踏みで出したのと同レベル、それを「中国の技術だ」なぞおこがましい、と言っただけだ。
反論したけりゃ死那鉄の技術とやらが分からなきゃ議論にもならん。
要するに俺にタコ殴りされたお前が逃げてるだけだろが。
アホ。
<<<
お前が営業速度の意味が分かっていない。
勝手に妄想して暴走しろ!
>はいはい要するにわからんのな。分かるなら具体的にデータ示せるはず。<<<
お前が中国語が理解できたら、教えてやってもよいけどな。
{また、南満州鉄道の特急「あじあ号」が既に130km/hの高速運転をやってのけており、「蒸気機関車でも高速運転は可能」という技術者も、まだ多い時代でした。
なお、ディーゼル機関車は当時わが国ではほとんど実用化されておらず、また戦争による石油事情の問題もあり、開発そのものがほとんど行われていなかったといってよい状態でした。
しかし、設計に当たっていた 島 秀雄はヨーロッパ出張の際にオランダの電車の姿を目にしており、既に「高速運転には機関車の牽く列車ではなく、動力を床下に分散して配置してある『電動客車』、つまり電車を使うべき」と判断。「いずれ高速列車は電車で実現したい」と構想を温め始めていました。
これが「電車」中心の、現在の日本の鉄道の姿を決定づけたといっても過言ではないのです。
動力を集中した機関車は重量があり、線路回りを頑丈に作らなくてはなりませんので、建設に多くの費用がかかります。また、日本は火山が多く地盤も弱いので、安定した地盤の大陸の上にある欧米諸国のように大きな機関車を使うことは、非常に難しいのです。
その点、オランダは湿地帯が多く地盤が弱い点では日本と共通しており、早くから電車が活躍していました。
「電車」の利点はまだあります。
線路と車輪の間にある摩擦力というものは決まっているため、ひとつの車輪に大きな力をかけると空転してしまいます。つまり重い列車を機関車で牽くこととすれば、その分空転の可能性は大きくなるわけです。地盤の弱い日本では機関車の大型化にも限界があります。
しかし動力を分散してあればひとつの車輪にかかる力はずっと小さいので、空転は起こりにくくなり、その分加速力が出せるようになります。
弾丸列車計画は1940(昭和15)年、第75回帝国議会で決定。直ちに予算が計上され、翌年から工事が始まりました。
ところがこの翌年には太平洋戦争が始まり、戦局は次第に悪化。
弾丸列車計画も1944(昭和19)年、中止される事になってしまいました。
けれどもこの際、100km前後の用地買収と、新丹那トンネルの一部をはじめとする部分的な工事が行われていました。
これらは東京ー大阪間の20%近くにあたり、後に新幹線建設が行われた際、この時の資産は大きく建設を助ける事になるのです。}
ttp://funasan.xrea.jp/n_rekishi/dangan/index.html
このぐらいのレベルのものだ、お前のいうのどこがトップか。
死那珍寒線の350km/hはDQN車のDQN運転手がアクセルベタ踏みで出したのと同レベル、それを「中国の技術だ」なぞおこがましい、と言っただけだ。
反論したけりゃ死那鉄の技術とやらが分からなきゃ議論にもならん。
要するに俺にタコ殴りされたお前が逃げてるだけだろが。
アホ。
<<<
お前が営業速度の意味が分かっていない。
勝手に妄想して暴走しろ!
>はいはい要するにわからんのな。分かるなら具体的にデータ示せるはず。<<<
お前が中国語が理解できたら、教えてやってもよいけどな。
{また、南満州鉄道の特急「あじあ号」が既に130km/hの高速運転をやってのけており、「蒸気機関車でも高速運転は可能」という技術者も、まだ多い時代でした。
なお、ディーゼル機関車は当時わが国ではほとんど実用化されておらず、また戦争による石油事情の問題もあり、開発そのものがほとんど行われていなかったといってよい状態でした。
しかし、設計に当たっていた 島 秀雄はヨーロッパ出張の際にオランダの電車の姿を目にしており、既に「高速運転には機関車の牽く列車ではなく、動力を床下に分散して配置してある『電動客車』、つまり電車を使うべき」と判断。「いずれ高速列車は電車で実現したい」と構想を温め始めていました。
これが「電車」中心の、現在の日本の鉄道の姿を決定づけたといっても過言ではないのです。
動力を集中した機関車は重量があり、線路回りを頑丈に作らなくてはなりませんので、建設に多くの費用がかかります。また、日本は火山が多く地盤も弱いので、安定した地盤の大陸の上にある欧米諸国のように大きな機関車を使うことは、非常に難しいのです。
その点、オランダは湿地帯が多く地盤が弱い点では日本と共通しており、早くから電車が活躍していました。
「電車」の利点はまだあります。
線路と車輪の間にある摩擦力というものは決まっているため、ひとつの車輪に大きな力をかけると空転してしまいます。つまり重い列車を機関車で牽くこととすれば、その分空転の可能性は大きくなるわけです。地盤の弱い日本では機関車の大型化にも限界があります。
しかし動力を分散してあればひとつの車輪にかかる力はずっと小さいので、空転は起こりにくくなり、その分加速力が出せるようになります。
弾丸列車計画は1940(昭和15)年、第75回帝国議会で決定。直ちに予算が計上され、翌年から工事が始まりました。
ところがこの翌年には太平洋戦争が始まり、戦局は次第に悪化。
弾丸列車計画も1944(昭和19)年、中止される事になってしまいました。
けれどもこの際、100km前後の用地買収と、新丹那トンネルの一部をはじめとする部分的な工事が行われていました。
これらは東京ー大阪間の20%近くにあたり、後に新幹線建設が行われた際、この時の資産は大きく建設を助ける事になるのです。}
ttp://funasan.xrea.jp/n_rekishi/dangan/index.html
このぐらいのレベルのものだ、お前のいうのどこがトップか。
これは メッセージ 170425 (devil_snr さん)への返信です.
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