小倉侍従日記:2 文藝春秋より
投稿者: sintyou5 投稿日時: 2007/05/06 22:25 投稿番号: [136372 / 196466]
【白鳥大使を見抜いていた。】
半藤
昭和天皇が白鳥敏夫イタリア大使に困惑されていた様子もこの日記にはあります。昭和一四年十月十九日、イタリアから帰国した白鳥大使の御進講について「御気分御すすみ遊ばされざる模様なり」とあり、小倉侍従が「差別待遇になりますから、どうぞお気持ちを広くもってお会いになってください」とお願いしているほどです。
阿川
白鳥大使も、大島浩駐ドイツ大使も、三国同盟結ぶべしと迫った点では同罪と思いますが、実のところ白鳥は、大島と違って部下に非常に人気があったらしい。「豪傑肌の外交官」「霞ヶ関の革新男」なんていわれてね。
半藤
枢軸派の親玉ですね。白鳥を外務大臣にと若手外交官連判状を総理に提出したこともあるとか。
阿川
外務省の若手官僚たちが酒を飲んでは、明治の大山巌元帥を讃えた「薩摩が生める快男児、姓は大山、名は巌」という歌をもじって「上総が生める快男児、姓は白鳥、名は敏夫」と手拍子うって歌っていたそうです。でも陛下は、そんな白鳥のこともちゃんと見抜いていらしたらしたんですね。
半藤
拝謁の回数や時間の長短を眺めるだけでも、いろんなことが見えてくる。それがこの小倉日記の面白さですが、雑誌ではすべてを掲載するのは不可能でした。
阿川
単行本にする際は、多少専門的になっても、全ての拝謁時間を収集して欲しいな。
【戦争はやりたくなかった】
阿川
この日記と半藤さんの解説を読みながら、改めて思ったのは、やはり軍人が、陛下を騙して戦争を始めたんだという事ですね。
半藤
昭和十二年の支那事変については、天皇は「やりたくなかった」と一貫して述べています。この日記で最も早いのは、昭和十五年十月十二日の「支那が案外に強く、事変の見通しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり。」 翌年一月九日にも「結局、日本は支那をみくびりたり。早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤も賢明」と侍従の詰所にわざわざやって来て語っている。だいたい陸軍は、中国は一発ガーンとやれば引き下がるはずという「中国一撃論」に基づいて、一ヶ月でカタを付けると豪語して支那事変を始めたでしょう。
阿川
そうそう。半藤さんの解説にもあったけれど、陛下が板垣大将征四郎陸相、「頭が悪い」とお怒りなったのも無理はない。山本五十六同じ事を言ってます。板垣の子分に「板垣大将に対する忌憚ないご意見を伺いたい」と、問われ「ほかのことはよくわからんが、頭が良くないのだけは事実だ」と答えた。(笑)しかも、「頭の善し悪しだけが人間の全てでもないから、いいじゃないか」と五十六さんは澄ましていたそうです。
半藤
太平洋戦争の直前、昭和十六年十一月三十日も、天皇は実に悩まれたと思いますね。小倉日記を見ると、まず午前十時頃から高松宮が四十分ほど話している。「海軍の真意は、対英米戦争をやりたくないのだ」と実情を話しに来られた訳ですね。それまで東条英機首相から、開戦準備万端という報告を受けていた天皇としては、びっくりなさったと思いますよ。しかし東条首相を呼ばれたのは夕方の四時。おそらくこの間、陛下は思い千ヶに乱れていらしたのではないでしょうか。
阿川
そのあたりは、歴史探偵半藤氏の深読みかもしれませんが。(笑)。でも、、東条は「四・〇〇ー五・〇〇」と一時間拝謁しているから、そうとう熱弁を振るったでしょうね。
半藤
その後に、海軍の意向を確かめるために、嶋田繁太朗海相と、永野修身軍令総長を呼ぶ。作戦については軍令部総長が、物資や将兵の志気については海軍大臣が「万全です」と答えるわけですが、この拝謁はたった二十分ほどです。
そもそも十月の東条内閣の成立と同時に大命が降った「白紙還元の御定」は、近衛内閣の対米開戦決意をいったんちゃらにして、日本の国力をきちんと調べなさい、というものだった。その上で戦争ができるかどうか決めようと。
阿川
東条を首相にしたのも「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で、主戦論者を総理にすれば逆に陸軍を抑えられるという、木戸幸一内大臣の案だったと言いますが。
半藤
東条は真面目に国力を調べたものの、上がってくる数字がみなみな水増しされている。その結果をもって、「戦争になっても鉄の生産量も石油も大丈夫です。勝てます。」と上奏するわけですから、陛下を騙しているんですが、東条自体も本気で信じている。つまり騙されているともいえます。
続く。
半藤
昭和天皇が白鳥敏夫イタリア大使に困惑されていた様子もこの日記にはあります。昭和一四年十月十九日、イタリアから帰国した白鳥大使の御進講について「御気分御すすみ遊ばされざる模様なり」とあり、小倉侍従が「差別待遇になりますから、どうぞお気持ちを広くもってお会いになってください」とお願いしているほどです。
阿川
白鳥大使も、大島浩駐ドイツ大使も、三国同盟結ぶべしと迫った点では同罪と思いますが、実のところ白鳥は、大島と違って部下に非常に人気があったらしい。「豪傑肌の外交官」「霞ヶ関の革新男」なんていわれてね。
半藤
枢軸派の親玉ですね。白鳥を外務大臣にと若手外交官連判状を総理に提出したこともあるとか。
阿川
外務省の若手官僚たちが酒を飲んでは、明治の大山巌元帥を讃えた「薩摩が生める快男児、姓は大山、名は巌」という歌をもじって「上総が生める快男児、姓は白鳥、名は敏夫」と手拍子うって歌っていたそうです。でも陛下は、そんな白鳥のこともちゃんと見抜いていらしたらしたんですね。
半藤
拝謁の回数や時間の長短を眺めるだけでも、いろんなことが見えてくる。それがこの小倉日記の面白さですが、雑誌ではすべてを掲載するのは不可能でした。
阿川
単行本にする際は、多少専門的になっても、全ての拝謁時間を収集して欲しいな。
【戦争はやりたくなかった】
阿川
この日記と半藤さんの解説を読みながら、改めて思ったのは、やはり軍人が、陛下を騙して戦争を始めたんだという事ですね。
半藤
昭和十二年の支那事変については、天皇は「やりたくなかった」と一貫して述べています。この日記で最も早いのは、昭和十五年十月十二日の「支那が案外に強く、事変の見通しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり。」 翌年一月九日にも「結局、日本は支那をみくびりたり。早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤も賢明」と侍従の詰所にわざわざやって来て語っている。だいたい陸軍は、中国は一発ガーンとやれば引き下がるはずという「中国一撃論」に基づいて、一ヶ月でカタを付けると豪語して支那事変を始めたでしょう。
阿川
そうそう。半藤さんの解説にもあったけれど、陛下が板垣大将征四郎陸相、「頭が悪い」とお怒りなったのも無理はない。山本五十六同じ事を言ってます。板垣の子分に「板垣大将に対する忌憚ないご意見を伺いたい」と、問われ「ほかのことはよくわからんが、頭が良くないのだけは事実だ」と答えた。(笑)しかも、「頭の善し悪しだけが人間の全てでもないから、いいじゃないか」と五十六さんは澄ましていたそうです。
半藤
太平洋戦争の直前、昭和十六年十一月三十日も、天皇は実に悩まれたと思いますね。小倉日記を見ると、まず午前十時頃から高松宮が四十分ほど話している。「海軍の真意は、対英米戦争をやりたくないのだ」と実情を話しに来られた訳ですね。それまで東条英機首相から、開戦準備万端という報告を受けていた天皇としては、びっくりなさったと思いますよ。しかし東条首相を呼ばれたのは夕方の四時。おそらくこの間、陛下は思い千ヶに乱れていらしたのではないでしょうか。
阿川
そのあたりは、歴史探偵半藤氏の深読みかもしれませんが。(笑)。でも、、東条は「四・〇〇ー五・〇〇」と一時間拝謁しているから、そうとう熱弁を振るったでしょうね。
半藤
その後に、海軍の意向を確かめるために、嶋田繁太朗海相と、永野修身軍令総長を呼ぶ。作戦については軍令部総長が、物資や将兵の志気については海軍大臣が「万全です」と答えるわけですが、この拝謁はたった二十分ほどです。
そもそも十月の東条内閣の成立と同時に大命が降った「白紙還元の御定」は、近衛内閣の対米開戦決意をいったんちゃらにして、日本の国力をきちんと調べなさい、というものだった。その上で戦争ができるかどうか決めようと。
阿川
東条を首相にしたのも「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で、主戦論者を総理にすれば逆に陸軍を抑えられるという、木戸幸一内大臣の案だったと言いますが。
半藤
東条は真面目に国力を調べたものの、上がってくる数字がみなみな水増しされている。その結果をもって、「戦争になっても鉄の生産量も石油も大丈夫です。勝てます。」と上奏するわけですから、陛下を騙しているんですが、東条自体も本気で信じている。つまり騙されているともいえます。
続く。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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