日中関係

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Re: 封印された過去−日本人慰安婦 前編二

投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2007/03/14 15:21 投稿番号: [133592 / 196466]
  この元兵士は、慰安所や敗戦後の帰還の過程については雄弁に語っていたが、具体的にどのような戦闘行為に携ったかは、多くを語ろうとはしなかった。
  唯、太平洋戦争開始時には、福建省の福州(フーチョウ)におり、討伐(抗日抵抗運動掃討戦)に参加したという。雄弁なIさんもこの時ばかりは言葉少なに、戦場には様々な人間がいたと語った。日本人の工作員も存在したという。
  最新鋭の兵器が駆使される現代の戦闘においても共通することだが、民間人の中に潜伏するゲリラ活動を掃討しようとする場合、兵士の心の中に恐怖と疑心暗鬼が膨れ上がり、必ず凄惨な住民虐殺という結果を引き起こしてしまう。
  耳の不自由な老人は、戦闘についてー殺さなければ、相手に殺されるものだーと太い声量で言い切った。手には、部厚い赤茶けた背表紙の一冊の本が、握られていた。
  『台湾山砲戦記』と刻印されたその本は、自家版で戦友会の者のみが所有しているという。夥しい付箋の付けられた黄ばんだページを合間に時折くって、話を継ぎ足していた。そして、この本を戦友会の者以外に閲覧させることはできないと話した。戦友会に属する人間の氏名や連絡先まで掲載されているという。
  本の中に連隊が関与した住民虐殺や慰安所に関する記述でもあるのだろうか。
  老人は、思わずこんな言葉を口にした。
「嫁さんがいる前で、あの女は良かった、女性を強姦したなどと言えない」と。
  しかし、旧日本軍の内包していた強い連帯感と排除の論理には眼を見張らざるを得ない。それは、六十年の歳月を経て今なお、元兵士の心の中に重く横たわっている。
  山砲兵第四十八連隊の戦友会によって、1984年初版七百部、1987年再版百三十部が刊行された『台湾山砲戦記』は、Iさんの思惑を超えて現在、各地の図書館に蔵書が確認された。
  その戦記の巻頭には、熊本県護国神社内に建立された台湾軍忠魂碑の碑文が掲げられている。

    碑   文
  吾が台湾軍は北白川宮能久親王を奉戴して台湾に進駐以来、全島の治安警備と南方第一線の重鎮として国防の任に当った。
  昭和十二年七月   日支事変勃発するや、勇躍征途に就き、中支貴腰湾に敵前上陸を敢行、尓後揚子江沿岸を遡行進撃して怒涛の如き敵軍を撃破し、遂に武漢三鎮を陥落せしめ、陸の魚雷と激賞された。更に反転南進して海南島を攻略し、これを拠点に欽寧公路をはじめ、南支一円を席巻した。
  昭和十五年十一月機械化部隊として陣容を整え、第四十八師団を編成し、大東亜戦争に突入するや、間髪を入れずフィリピンに進撃して首都マニラを制圧、息つく間もなくジャワ島スラバヤをこれ亦旬日にして一掃平定し敵前上陸の台湾軍として勇名を轟かせた。その後濠北小スンダ諸島に移駐し、新鋭有力なる台湾志願兵を加えて勘定の任に就いた。しかし戦局我に利あらず昭和二十年八月十五日終戦の詔勅を拝するに至ったのである。
  台湾軍創設以来、台湾の治安警備に中支南支の戦線に、将亦南十字の星のもと、南溟の海に孤島に、ひたすら祖国の必勝と繁栄を念じて散華された英霊の忠魂を讃え
   慈に碑を建て篤く顕彰する
   英霊よ   安らかに眠り給え
     昭和五十七年四月四日

  山砲兵第四十八連隊を含む台湾軍の軌跡は、近代日本のアジア侵略の爪痕をそのまま、なぞった感がある。連隊の創始は、碑文にもあるように1895年(明治28年)5月、近衛師団長北白川宮能久親王の率いる征討軍の台湾進駐に遡る。更に日本統治時代の台湾における先住民族の抵抗蜂起として名高い「霧社事件」の制圧にもこの連隊の前身である台湾山砲兵大隊が出動している。
  その後の日中戦争、太平洋戦争での足跡は、碑文に記されている通りである。揚子江中流の要衝であった武漢三鎮への侵攻や海南島侵略にも与し、太平洋戦争勃発後は、フィリピン、インドネシアと転戦し、終戦を迎えている。

続く

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