富田メモに対する京都人からの一考察
投稿者: freshworld88 投稿日時: 2006/08/14 02:18 投稿番号: [121529 / 196466]
私は京都出身の者ですが、幼い頃より祖父母やお年寄りが天皇のことを『天皇陛下』と言わずに、『天皇はん』と言うのをよく耳にしたことがあります。
御所と言う天皇の古くからの宮中が京都にあり最も天皇家を身近に感じているはずの日本人が、このような不埒な物言いをするのは全国でも珍しいのではないでしょうか。
この言葉の中には、「何やら京都には日本古来の神道の祭祀執行者として神代の時代から脈々と続く尊い血筋のお方、奇特なお方が住んでおられる。」ということに対する親しみの念と同時に、それだからと言って、天皇には決して権威を認めないと言う強い意思のあらわれが含まれていると思うのです。(明治時代に御真影とかいう天皇の写真を小学校に掲げることにしましたが、全国で最後まで掲げなかったのは京都だといわれていることからもそのことをうかがい知ることができます。)
ご存知の通り、京都は平清盛や源義経が活躍する源平の頃から幕末、明治維新まで天皇を政治利用しようとする輩のために、戦、戦の連続で、そのたびに街は焼き払われ、応仁の乱の頃には、奇跡的に火災をまぬがれた千本釈迦堂を除き、あとは全て焼け野原になったことも有りました。
その結果、親兄弟は殺され、略奪、強姦はされるはで、一般の京都庶民は路頭に迷うしかなかったのです。(そんな状況ですから、性格も引きこもりがちになり、ものの言い方ひとつで、新撰組のようによそから押し寄せてきた荒くれ者から無礼打ちされて殺されたりしたので、はっきりとした物言いを自然としなくなりました。帰って欲しい客が来ても言い出せず、にこにこ笑いながら、こっそり箒を逆さまに立てて早く帰って欲しいというおまじないをしたりしたものですから、何を考えているのかわからない腹黒とか言われて誤解されるはめになりました。)
このように、京都に天皇がおられたばっかりに、ほとんど戦場と化し庶民は困難を極めました。
けれど、『天皇はん』は庶民の安寧を神様にお祈りされたり、優雅に宮中で和歌をお読みになられたり、院宣を発して兄弟喧嘩させることによって京都を混乱状態にされたりすることはあっても、決して、庶民の困難を救ってくださるほどの力はおありではありませんでしたので、頼りにすることはできなかったのです。
それ故に、京都人はお上の力や権威に頼ることなく、町衆が力を結集して自力で自分たちの街を守ってきたのです。
その町衆の力が強すぎて統制するのが難しいので、京都に住むのを嫌がり城を京都に構えず、安土とかいう辺鄙な琵琶湖のほとりに構えたばっかりに、天下統一を目前に部下に殺された人も現れたりしました。(祇園祭などは鮮やかな呉服で経済力をつけた町衆の力を誇示する一種のデモンストレーションとも言えます。)
前置きが長くなりましたが、結局、何を言いたかったかと言いますと、富田メモで天皇があれこれいわれたからと言って日本中で騒いでいますが、京都人から言わせたら「『天皇はん』が何やいわはったようですけど、そやからどないしたんどす。」と言うことなんです。
いちいち天皇のお言葉に権威付けをし、国の方針をそれにあわせて決定すると言うのは、戦前のいつか来た道であり、かえって天皇の政治利用につながり極めて危険なことであるということです。
そのことを、これまで一番警戒し危険視していたはずの左翼系の政治家や大学教授たちから、『大御心に従うべきだ。』と最近主張するのを聞くのは不思議さを通り越して、もうお笑いの世界以外の何ものでもありません。
主権在民である以上、この国の将来を決定するのは国の象徴である天皇ではなくあくまでも国の代表である国民自身であるということを認識すべきです。
天皇は、京都人の言う『天皇はん』ぐらいでちょうど良いのではないだろうか。
御所と言う天皇の古くからの宮中が京都にあり最も天皇家を身近に感じているはずの日本人が、このような不埒な物言いをするのは全国でも珍しいのではないでしょうか。
この言葉の中には、「何やら京都には日本古来の神道の祭祀執行者として神代の時代から脈々と続く尊い血筋のお方、奇特なお方が住んでおられる。」ということに対する親しみの念と同時に、それだからと言って、天皇には決して権威を認めないと言う強い意思のあらわれが含まれていると思うのです。(明治時代に御真影とかいう天皇の写真を小学校に掲げることにしましたが、全国で最後まで掲げなかったのは京都だといわれていることからもそのことをうかがい知ることができます。)
ご存知の通り、京都は平清盛や源義経が活躍する源平の頃から幕末、明治維新まで天皇を政治利用しようとする輩のために、戦、戦の連続で、そのたびに街は焼き払われ、応仁の乱の頃には、奇跡的に火災をまぬがれた千本釈迦堂を除き、あとは全て焼け野原になったことも有りました。
その結果、親兄弟は殺され、略奪、強姦はされるはで、一般の京都庶民は路頭に迷うしかなかったのです。(そんな状況ですから、性格も引きこもりがちになり、ものの言い方ひとつで、新撰組のようによそから押し寄せてきた荒くれ者から無礼打ちされて殺されたりしたので、はっきりとした物言いを自然としなくなりました。帰って欲しい客が来ても言い出せず、にこにこ笑いながら、こっそり箒を逆さまに立てて早く帰って欲しいというおまじないをしたりしたものですから、何を考えているのかわからない腹黒とか言われて誤解されるはめになりました。)
このように、京都に天皇がおられたばっかりに、ほとんど戦場と化し庶民は困難を極めました。
けれど、『天皇はん』は庶民の安寧を神様にお祈りされたり、優雅に宮中で和歌をお読みになられたり、院宣を発して兄弟喧嘩させることによって京都を混乱状態にされたりすることはあっても、決して、庶民の困難を救ってくださるほどの力はおありではありませんでしたので、頼りにすることはできなかったのです。
それ故に、京都人はお上の力や権威に頼ることなく、町衆が力を結集して自力で自分たちの街を守ってきたのです。
その町衆の力が強すぎて統制するのが難しいので、京都に住むのを嫌がり城を京都に構えず、安土とかいう辺鄙な琵琶湖のほとりに構えたばっかりに、天下統一を目前に部下に殺された人も現れたりしました。(祇園祭などは鮮やかな呉服で経済力をつけた町衆の力を誇示する一種のデモンストレーションとも言えます。)
前置きが長くなりましたが、結局、何を言いたかったかと言いますと、富田メモで天皇があれこれいわれたからと言って日本中で騒いでいますが、京都人から言わせたら「『天皇はん』が何やいわはったようですけど、そやからどないしたんどす。」と言うことなんです。
いちいち天皇のお言葉に権威付けをし、国の方針をそれにあわせて決定すると言うのは、戦前のいつか来た道であり、かえって天皇の政治利用につながり極めて危険なことであるということです。
そのことを、これまで一番警戒し危険視していたはずの左翼系の政治家や大学教授たちから、『大御心に従うべきだ。』と最近主張するのを聞くのは不思議さを通り越して、もうお笑いの世界以外の何ものでもありません。
主権在民である以上、この国の将来を決定するのは国の象徴である天皇ではなくあくまでも国の代表である国民自身であるということを認識すべきです。
天皇は、京都人の言う『天皇はん』ぐらいでちょうど良いのではないだろうか。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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