日韓併合の歴史的意義/保護国化段階
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/19 03:36 投稿番号: [23 / 503]
日露戦争が不可避となったとき、韓国は局外中立を宣言しました。
しかし韓国皇帝はロシア大使館の保護を受けた経験のある親ロ派ですから、日本としては中立宣言を額面どおり信じることは出来ません。
それに当時は中立が無条件に認められた時代ではありません。本当に中立を維持するだけの国力も政治力も軍事力も不足していた韓国の中立宣言には日本に中立を認めさせるだけの力はなく、日本は韓国皇帝が再びロシアと手を組み、ロシアとの戦闘中に背後を突かれないために日本陣営につくことを要求しました。
ここで韓国には、ロシアと同盟を組むという選択肢もありました。
しかし実際には、韓国は日本の要求を受け容れ、事実上の同盟関係を結びました。(第一次日韓協約)
ところが韓国皇帝は日露戦争の最中に、ロシアに宛てて日本の勢力排除に助力を依頼する密使を送りました。これは明らかに戦争中の寝返り行為であり、日本に対する敵対行為であり、日本は韓国皇帝、ひいては皇帝を主権者にいただく韓国を攻撃する正当な交戦理由を得ました。
日露戦争終結後も、この敵対関係は継続しています。同盟国が降伏しても戦争は終結しないのと同じです。ロシアとの戦争を終えた日本は、日露戦争中の背信を理由に韓国を攻撃・占領することも出来ました。
韓国は日本との戦争を回避するため、日本の軍事的圧力を、外交権を差し出すことで回避しました。これが第二次日韓協約、韓国保護国化の軍事・外交史的経緯です。
韓国が保護国化されてしまったのは、第一に日露戦争の勝敗の行方を見誤った韓国皇帝の外交失策によるものであり、第二に自国の国力を正しく認識できなかった韓国皇帝の君主としての能力欠如によるものです。
日本は幕末以降、独立を維持するためにぎりぎりの努力を続けてきました。冷たい言い方になりますが、韓国にはその努力と能力が不足していたのです。
これは メッセージ 1 (akanbei_21c さん)への返信です.
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