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関東軍司令官は天皇の御名代・皇帝の後見人

投稿者: nemuronosannma 投稿日時: 2011/07/09 06:08 投稿番号: [18460 / 28555]
  1934年3月1日午前、溥儀は「新京」郊外順天広場で告天礼を執り行った。龍袍(ロンパオ)と呼ばれる清朝礼装を纏った溥儀や満州国初代国務総理大臣鄭孝胥にとっては、清朝復辟と言う希望が芽生えた瞬間であったかもしれない。

  同じ日に行われた、登極の儀では北京から来た愛新覚羅一族や清朝旧臣から三跪九叩の朝賀の礼を受ける。多くの外国人記者達は不遇な生涯を終えるはずであったラストエンペラーがカムバックしたように映ったであろる。しかし、この時溥儀は龍袍から満州国三軍大元帥の正装に着替えていた意味を知るもの少なかったかもしれな。それは、清朝の伝統を重んじる溥儀と、復辟を認めない関東軍の間で作られた折衷案でった。

  現に鄭孝胥は「帝政実施総理声明」では「誤りて清朝の復辟となすが如きは建国の理想と使命に忠なる政府の断じて取らざる所」と言わざるを得なかった。

  その後、「王朝」は変質を強める。日本人は帝政を天皇制と相似形を為す形に持って行く。紋章も清朝のものではなく、「菊の御紋」に対応した蘭花が用いられ、行幸に対して巡狩(巡行)、御真影にたして御容(御影)、皇位に対して帝位などの言葉が使わるようになる。あくまでも相似形であって同一化では無い処が面白い。   天皇との関係性は平等では無い事を暗示しているようだ。

  関東軍の帝政に対する態度も「満州皇帝は天意すなわち天皇の大御心に基づき帝位につきたるものにして、皇道連邦の中心たる天皇に仕え、天皇の大御心をもって心となすことを在位の条件とするものなり」(関東軍司令部「満州国の根本理念と協和会の本質」)というもであった。同文書には「関東軍司令官は天皇の御名代として皇帝の師溥たり後見人たるべきもの」とまで言っている。

  その後であるが、清朝復辟が叶わぬ夢と知る処となった溥儀は、保身のため天皇との「同一化」を目指し、祖先(祖宋)を神として祀る清朝の伝統をすて天照大神を建国の祖とした。誠に持って哀れとしか言いようが無い。傀儡国家の傀儡皇帝と言うことだ。
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