>>戦争は支那が始めた
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/25 01:40 投稿番号: [3921 / 9280]
>文献を拾って説得するのはかまいませんが、もっと自分の考えで言ってください。
だったら、これのどこに間違いがあるのか指摘して下さい。↓
戦前の民主主義について
第二次大戦前の日本は独裁国家であり、戦後に初めて米軍が民主主義を教えたように考えている人がいますが、それは間違いです。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/minshushugi.html
>植えつけられたのではなく、日本にそういった発想がないからGHQに憲法を訂正してもらったのでしょう。
>民主主義を分かっていない証拠です。
アメリカが日本に平和憲法を押し付けた目的は民主主義に変えることではなく、戦争が出来ない国にすることでした。
●1945年
8月6日、米国が広島に原爆を投下
8月9日、米国が長崎に原爆を投下
●1946年5月3日、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷
●1947年
5月3日、日本国憲法施行
7月13日、マッカーサー「政策目標で最も重要な武装解除と非武装化は完璧に達成された。日本は今後100年間、近代戦向けの再軍備はできないだろう。」と報告
>日本が攻め込まれたならいざ知らず、注意を怠り日本兵が殺されて頭に血がのぼる方が愚かというものです。
>この程度で戦争にまで発展させられたら日本も中国もたまりません。
もしも、今、日本軍が在日米軍や在日米国人を攻撃して大量殺害すれば、間違いなく米軍は防衛のための戦争を始めます。
当時の日本軍が行ったことは、それと同じでした。
>日本人はこの頃も中国人に嫌われていたようですが、たがが一部隊の問題を国家間の問題にまで
>発展させたのは日本側に落ち度があります。
一部隊ではありませんでした。
●1937年
7月7日、盧溝橋事件。演習中の日本軍が銃撃される。
7月9日、停戦協定が成立。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣。
7月10日、200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開
7月11日、停戦協定が成立。日本政府、華北への派兵を声明。
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収集させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
7月17日、蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
―――――――――――――――――――
東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。
ただ、通州事件の目撃者3人の口供書だけは受理された。
その一つ、元陸軍少佐の証言から。
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た。」
『東京裁判』朝日新聞法廷記者団[東京裁判刊行会]中巻
―――――――――――――――――――
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
>結局最後に日本は満州国まで作っちゃって「侵略行為では無い」、は中国から見て筋が通りません。
満州事変を侵略行為だなんて言った国は、支那以外にはどこもありませんでし\xA4
だったら、これのどこに間違いがあるのか指摘して下さい。↓
戦前の民主主義について
第二次大戦前の日本は独裁国家であり、戦後に初めて米軍が民主主義を教えたように考えている人がいますが、それは間違いです。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/minshushugi.html
>植えつけられたのではなく、日本にそういった発想がないからGHQに憲法を訂正してもらったのでしょう。
>民主主義を分かっていない証拠です。
アメリカが日本に平和憲法を押し付けた目的は民主主義に変えることではなく、戦争が出来ない国にすることでした。
●1945年
8月6日、米国が広島に原爆を投下
8月9日、米国が長崎に原爆を投下
●1946年5月3日、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷
●1947年
5月3日、日本国憲法施行
7月13日、マッカーサー「政策目標で最も重要な武装解除と非武装化は完璧に達成された。日本は今後100年間、近代戦向けの再軍備はできないだろう。」と報告
>日本が攻め込まれたならいざ知らず、注意を怠り日本兵が殺されて頭に血がのぼる方が愚かというものです。
>この程度で戦争にまで発展させられたら日本も中国もたまりません。
もしも、今、日本軍が在日米軍や在日米国人を攻撃して大量殺害すれば、間違いなく米軍は防衛のための戦争を始めます。
当時の日本軍が行ったことは、それと同じでした。
>日本人はこの頃も中国人に嫌われていたようですが、たがが一部隊の問題を国家間の問題にまで
>発展させたのは日本側に落ち度があります。
一部隊ではありませんでした。
●1937年
7月7日、盧溝橋事件。演習中の日本軍が銃撃される。
7月9日、停戦協定が成立。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣。
7月10日、200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開
7月11日、停戦協定が成立。日本政府、華北への派兵を声明。
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収集させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
7月17日、蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
―――――――――――――――――――
東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。
ただ、通州事件の目撃者3人の口供書だけは受理された。
その一つ、元陸軍少佐の証言から。
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た。」
『東京裁判』朝日新聞法廷記者団[東京裁判刊行会]中巻
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8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
>結局最後に日本は満州国まで作っちゃって「侵略行為では無い」、は中国から見て筋が通りません。
満州事変を侵略行為だなんて言った国は、支那以外にはどこもありませんでし\xA4
これは メッセージ 3910 (heikenomatuei さん)への返信です.
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