SMTTNさま、遅くなってごめんなさい。
投稿者: sango311jp 投稿日時: 2001/10/13 18:08 投稿番号: [93536 / 177456]
知人のご主人のことだと思ったら、友人の事でした。
お騒がせしました。
でも、ニュースで出兵した人や家族の映像を見ると、悲しいですね。
さて、原理主義のことですが、SSMTTNさまの”「聖書に書いてあることは、すべて真であり、それ以外はすべて偽である」という立場”は、たぶん「排他主義」だと思いますが、いかがでしょうか? ポイントは「それ以外は全て偽である」という所なんですが。
私が、原理主義と「聖書にだけ忠実なこと」は違うと思うと言った訳は、「聖書以外に聖典などを持つ、いわゆる異端の宗教ではないです」という意味と、「人間は全て神の創造物である」という事と、「その人間には100%の自由意志が与えられていて、神を信じるか信じないかさえも事由に選べる」という事にあります。 原理主義は近代主義や合理主義を批判・排斥する立場だそうですが、全ては人間の主義主張であって、主義主張が違うからと言って、人間が他の人の人格を否定する事はできないというところなんです。 この考え方は、私の出身教会でも、今通っている教会でも(教団は違いますが)同じです。 どちらの牧師先生も、かたや日本人、かたやアメリカ人(オランダ系)で、お互いに会ったことも無い人達なのに、「自分はクリスチャンとは名乗りたくない。クリスチャンという言葉が曖昧だからだ。 私は自分を”キリストに従う者”と呼びたい」という事をいったので、私自身が「そっくりなことを言うな」と驚いたくらいです。
そういう訳で、やや「言葉のあや」的な問題でした。 あなたの思い込みでは無いと思います。 私のほうこそ言葉が足りなかったかもしれません。 「異端じゃないです」とはっきり書けば良かったんですよね。 すみません。
「かなりの人々は、1対1になった場合、そのような寛容さを発揮するのではないでしょうか。」という言葉は、本当にその通りだと感じました。
さて、ご質問に関してですが、ユダヤ教徒でないユダヤ人で、私が知っているのは、「メシアニック・ジュー」といって、旧約聖書だけを教典とするユダヤ教では「旧約聖書の預言にある救い主」としてのイエスキリストと新約聖書を否定していますが、メシアニック・ジューの人々は、「イエスは確かに旧約聖書の預言したメシア(救世主)だ」と信じている人達です。
他には、ユダヤ教の家庭で育ったけれど日本に来て仕事をしていた女性ですが、彼女は自分の信じていた旧約聖書を研究するうちに、やっぱりメシアはイエスじゃないかという所に至り、他にも、ユダヤ教ではユダヤ人以外は人間的にレベルが低いと考え、有色人種の色が濃い程、特に黒人さんは人間として扱っていないそうで、そういう所が信じられないといっていました。 ユダヤ人だからといって、ユダヤ教のナンセンスまで自分の信条とするのは嫌だという人が増えているようです。
「モスリン」は確かに繊維の名前ですね! ごめんなさい「モスリム」でした。 つまり、イスラム教のことです。
「因果応報」のことですが、これは誤解かと思います。 私の文面が、かなりクリスチャンではない方の為に分かりやすく短くまとめたので、そう感じられたのでしょう。
「人間が、どんなに良い人でもたまには良くない思いを抱く、人間からは罪は消えない」という事は、神は良く承知してます。 だから、本気で神に謝る人の過去の罪は、神が帳消しにしてくれます。 過去の罪が「因果応報」のように現在や未来の幸不幸を決めることはありません。
ただ、「神を信じる」と言いながら、その行動が生涯まったく反対だったとしたら、神の審判の日には、神から「神に従った者」とは見なされないわけです。 聖書によると、本来人間全てが神に創造されて、神から100%の自由意志が与えられています。 ですから、人間には良心というものが備わっているし、その自由の範囲は、神を信じようと信じまいとその人の自由だというくらい100%です。 人生は選択の連続なので、嘘の生活をする人は、選択を間違った方向にし続けて、人生の落伍者になってしまうだろうという事です。 聖書では、人間が失敗するのは人間自身の自分勝手さであって、神は常に罪人を赦すスタンスを崩していません。
、、、と、こんな感じで、答えになったでしょうか?
さて、原理主義のことですが、SSMTTNさまの”「聖書に書いてあることは、すべて真であり、それ以外はすべて偽である」という立場”は、たぶん「排他主義」だと思いますが、いかがでしょうか? ポイントは「それ以外は全て偽である」という所なんですが。
私が、原理主義と「聖書にだけ忠実なこと」は違うと思うと言った訳は、「聖書以外に聖典などを持つ、いわゆる異端の宗教ではないです」という意味と、「人間は全て神の創造物である」という事と、「その人間には100%の自由意志が与えられていて、神を信じるか信じないかさえも事由に選べる」という事にあります。 原理主義は近代主義や合理主義を批判・排斥する立場だそうですが、全ては人間の主義主張であって、主義主張が違うからと言って、人間が他の人の人格を否定する事はできないというところなんです。 この考え方は、私の出身教会でも、今通っている教会でも(教団は違いますが)同じです。 どちらの牧師先生も、かたや日本人、かたやアメリカ人(オランダ系)で、お互いに会ったことも無い人達なのに、「自分はクリスチャンとは名乗りたくない。クリスチャンという言葉が曖昧だからだ。 私は自分を”キリストに従う者”と呼びたい」という事をいったので、私自身が「そっくりなことを言うな」と驚いたくらいです。
そういう訳で、やや「言葉のあや」的な問題でした。 あなたの思い込みでは無いと思います。 私のほうこそ言葉が足りなかったかもしれません。 「異端じゃないです」とはっきり書けば良かったんですよね。 すみません。
「かなりの人々は、1対1になった場合、そのような寛容さを発揮するのではないでしょうか。」という言葉は、本当にその通りだと感じました。
さて、ご質問に関してですが、ユダヤ教徒でないユダヤ人で、私が知っているのは、「メシアニック・ジュー」といって、旧約聖書だけを教典とするユダヤ教では「旧約聖書の預言にある救い主」としてのイエスキリストと新約聖書を否定していますが、メシアニック・ジューの人々は、「イエスは確かに旧約聖書の預言したメシア(救世主)だ」と信じている人達です。
他には、ユダヤ教の家庭で育ったけれど日本に来て仕事をしていた女性ですが、彼女は自分の信じていた旧約聖書を研究するうちに、やっぱりメシアはイエスじゃないかという所に至り、他にも、ユダヤ教ではユダヤ人以外は人間的にレベルが低いと考え、有色人種の色が濃い程、特に黒人さんは人間として扱っていないそうで、そういう所が信じられないといっていました。 ユダヤ人だからといって、ユダヤ教のナンセンスまで自分の信条とするのは嫌だという人が増えているようです。
「モスリン」は確かに繊維の名前ですね! ごめんなさい「モスリム」でした。 つまり、イスラム教のことです。
「因果応報」のことですが、これは誤解かと思います。 私の文面が、かなりクリスチャンではない方の為に分かりやすく短くまとめたので、そう感じられたのでしょう。
「人間が、どんなに良い人でもたまには良くない思いを抱く、人間からは罪は消えない」という事は、神は良く承知してます。 だから、本気で神に謝る人の過去の罪は、神が帳消しにしてくれます。 過去の罪が「因果応報」のように現在や未来の幸不幸を決めることはありません。
ただ、「神を信じる」と言いながら、その行動が生涯まったく反対だったとしたら、神の審判の日には、神から「神に従った者」とは見なされないわけです。 聖書によると、本来人間全てが神に創造されて、神から100%の自由意志が与えられています。 ですから、人間には良心というものが備わっているし、その自由の範囲は、神を信じようと信じまいとその人の自由だというくらい100%です。 人生は選択の連続なので、嘘の生活をする人は、選択を間違った方向にし続けて、人生の落伍者になってしまうだろうという事です。 聖書では、人間が失敗するのは人間自身の自分勝手さであって、神は常に罪人を赦すスタンスを崩していません。
、、、と、こんな感じで、答えになったでしょうか?
これは メッセージ 79041 (SSMTTN さん)への返信です.
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