「戦後」60年_8
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/08/01 05:10 投稿番号: [173712 / 177456]
原爆症1号カルテ:英訳の報告書発見
症状経過克明に
広島で被爆し、世界で初めて「原子爆弾症」と診断された女優、仲みどりさん(1945年に死去)のカルテの大半を英訳した報告書が、広島大学原爆 放射線医科学研究所(原医研、広島市)に保管されていることが31日分かった。
入院から死亡するまでの臨床経過が詳細に記述され、放射線による急性障害の 症状がよく分かる内容。仲さんのカルテは、人体影響の客観的データとして、医学的、歴史的意義が高いとされるが、所在不明のため、内容は知られていなかっ た。報告書は、「原爆症1号カルテ」の全容を知るうえで極めて貴重な資料だ。
報告書は、終戦後に日米の研究者で編成された合同調査団がま とめた文書で、73年に米ワシントンの陸軍病理学研究所から日本に返還された資料の一つ。東京大学付属病院で仲さんの血液検査にかかわり、カルテの行方を 捜し続ける医師、白戸四郎さん(82)=神奈川県綾瀬市=が確認した。
「臨床記録」のほか、「解剖記録」、顕微鏡写真など計約60枚の文書で構成。要旨には、仲さんの治療責任者だった東大教授の署名もあった。
このうち臨床記録には血液や尿の検査データのほか、症状も詳細に記述。被爆直後から嘔吐(おうと)や下痢、食欲不振などの症状が表れ、死亡6日前から脱毛が始まっていた。
また死亡直前には歯肉炎や咽頭(いんとう)炎の症状も出て、体温は39〜40度あった。いずれも被爆による急性障害の典型的な症状だった。直接の死因は肺 炎で、死亡直前には呼吸困難が続いたことも判明した。こうした内容から、報告書には所在不明のカルテの大半が盛り込まれた可能性が高い。合同調査団がカル テをもとに、一部を省いたうえで英訳し、米国側が持ち帰ったらしい。米国は原爆症の資料としてデータを保存し、活用したとみられる。
広島では、原爆投下直後の混乱がしばらく続き、病状経過を詳細に記録して死亡した症例は極めて少ない。しかも、解剖で「原子爆弾症」と確定診断されたケースも珍しかったという。
仲さんの場合、被爆2日後の45年8月8日に列車で、東京に逃げ、同16日に東大病院に入院。十分な診察に基づくカルテ作成が可能だった。しかも同24日 に死亡した直後に解剖も実施された。後に「原爆症第1号患者」と言われるようになったが、東大病院に保管されているはずのカルテが消え、学者や医師らが 「幻のカルテ」として行方を捜している。【鵜塚健】
◆被ばく線量8000
▽神谷研二・広島大緊急被ばく医療推進センター 長の話 白血球の少なさなど入院後の症状が細かく書かれ、原爆の急性障害がよくわかる報告書だ。カルテを転記したものと考えられる。放射線の急性障害は、 原発などでの臨界事故などしかなく、どのように各臓器に影響が出るかを示す貴重なデータだ。被ばく線量は、一般人の年間許容量の8000倍にあたる8シー ベルトぐらいと推定される。
☆仲みどり 1909(明治42)年、東京・日本橋で生まれ、現在の津田塾大学を中退後、丸山定夫や園井恵子 らとともに移動演劇隊「桜隊」に所属。脇役として活躍。45年6月、国策により拠点を東京から広島に移し、8月6日、爆心地から約700メートルの宿舎で 被爆した。
◇英文の報告書に記された主な症状◇
※日付は1945年8月
【6日】(被爆)嘔吐、食欲不振、下痢で便に血が混じる
【10日】(自宅到着)強い胸の痛み。嘔吐物にも血が混じる。尿の色が濃い
【16日】(入院)白血球数400(通常は5000以上)
【17日】背中の傷が悪化
【18日】脱毛始まる。黒い便。骨髄芽球など白血球に異常(白血病?)。尿に高いウロビリノーゲン値(肝臓障害?)
【19日】39〜40度の高熱。死亡直前まで
【21日】出血性歯肉炎、咽頭(いんとう)炎。傷口が硬化。体に粟粒(ぞくりゅう)状の点状出血
【22日】白血球数300
【24日】(死亡)ピンク色の粘性のたん。傷口が紫色に。呼吸困難が進む
毎日新聞 2005年8月1日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050801k0000m040116000c.html
広島で被爆し、世界で初めて「原子爆弾症」と診断された女優、仲みどりさん(1945年に死去)のカルテの大半を英訳した報告書が、広島大学原爆 放射線医科学研究所(原医研、広島市)に保管されていることが31日分かった。
入院から死亡するまでの臨床経過が詳細に記述され、放射線による急性障害の 症状がよく分かる内容。仲さんのカルテは、人体影響の客観的データとして、医学的、歴史的意義が高いとされるが、所在不明のため、内容は知られていなかっ た。報告書は、「原爆症1号カルテ」の全容を知るうえで極めて貴重な資料だ。
報告書は、終戦後に日米の研究者で編成された合同調査団がま とめた文書で、73年に米ワシントンの陸軍病理学研究所から日本に返還された資料の一つ。東京大学付属病院で仲さんの血液検査にかかわり、カルテの行方を 捜し続ける医師、白戸四郎さん(82)=神奈川県綾瀬市=が確認した。
「臨床記録」のほか、「解剖記録」、顕微鏡写真など計約60枚の文書で構成。要旨には、仲さんの治療責任者だった東大教授の署名もあった。
このうち臨床記録には血液や尿の検査データのほか、症状も詳細に記述。被爆直後から嘔吐(おうと)や下痢、食欲不振などの症状が表れ、死亡6日前から脱毛が始まっていた。
また死亡直前には歯肉炎や咽頭(いんとう)炎の症状も出て、体温は39〜40度あった。いずれも被爆による急性障害の典型的な症状だった。直接の死因は肺 炎で、死亡直前には呼吸困難が続いたことも判明した。こうした内容から、報告書には所在不明のカルテの大半が盛り込まれた可能性が高い。合同調査団がカル テをもとに、一部を省いたうえで英訳し、米国側が持ち帰ったらしい。米国は原爆症の資料としてデータを保存し、活用したとみられる。
広島では、原爆投下直後の混乱がしばらく続き、病状経過を詳細に記録して死亡した症例は極めて少ない。しかも、解剖で「原子爆弾症」と確定診断されたケースも珍しかったという。
仲さんの場合、被爆2日後の45年8月8日に列車で、東京に逃げ、同16日に東大病院に入院。十分な診察に基づくカルテ作成が可能だった。しかも同24日 に死亡した直後に解剖も実施された。後に「原爆症第1号患者」と言われるようになったが、東大病院に保管されているはずのカルテが消え、学者や医師らが 「幻のカルテ」として行方を捜している。【鵜塚健】
◆被ばく線量8000
▽神谷研二・広島大緊急被ばく医療推進センター 長の話 白血球の少なさなど入院後の症状が細かく書かれ、原爆の急性障害がよくわかる報告書だ。カルテを転記したものと考えられる。放射線の急性障害は、 原発などでの臨界事故などしかなく、どのように各臓器に影響が出るかを示す貴重なデータだ。被ばく線量は、一般人の年間許容量の8000倍にあたる8シー ベルトぐらいと推定される。
☆仲みどり 1909(明治42)年、東京・日本橋で生まれ、現在の津田塾大学を中退後、丸山定夫や園井恵子 らとともに移動演劇隊「桜隊」に所属。脇役として活躍。45年6月、国策により拠点を東京から広島に移し、8月6日、爆心地から約700メートルの宿舎で 被爆した。
◇英文の報告書に記された主な症状◇
※日付は1945年8月
【6日】(被爆)嘔吐、食欲不振、下痢で便に血が混じる
【10日】(自宅到着)強い胸の痛み。嘔吐物にも血が混じる。尿の色が濃い
【16日】(入院)白血球数400(通常は5000以上)
【17日】背中の傷が悪化
【18日】脱毛始まる。黒い便。骨髄芽球など白血球に異常(白血病?)。尿に高いウロビリノーゲン値(肝臓障害?)
【19日】39〜40度の高熱。死亡直前まで
【21日】出血性歯肉炎、咽頭(いんとう)炎。傷口が硬化。体に粟粒(ぞくりゅう)状の点状出血
【22日】白血球数300
【24日】(死亡)ピンク色の粘性のたん。傷口が紫色に。呼吸困難が進む
毎日新聞 2005年8月1日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050801k0000m040116000c.html
これは メッセージ 173706 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
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