何でも“派閥”化する単純化論の不毛さ
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2004/03/04 14:39 投稿番号: [164403 / 177456]
●備考(重要です)
最後の投稿のli__il氏は文中に「(苦笑)」を連発するクセがあるのですが、この表現に囚われすぎていると彼の言う事の本質を見逃して判断がストップしてしまうことがあります。そこで、今回は彼の投稿だけ「(苦笑)」をすべて「。」に変換して再掲しました。li__il氏の「(苦笑)」表現のファンの方には申し訳ありませんが、より多くのヒトに彼の意見も読んでもらいたいゆえの措置なので、どうかご容赦ください。
●終わりに
以上が、afleedというある異邦人青年の問いかけを発端となって展開された、私を含めた各参加者の持論です。賛否両論、そして賛同する意見の中での同意できる部分・できない部分、反対する意見の中での同意する部分・同意しない部分と、様々に枝分かれする意見があり、またその参加者1人の意見すら1つではなく、それぞれが苦悩や葛藤を抱えているということがよくわかっていただけると思います。
これが、1つのテーマに対する見方の多様性というものがもたらす人間らしさなのではないでしょうか。一概に「〜派」とくくることはできないからこそ、そこから深遠なる、1人では得られない何かを得ることができる。これが、掲示板で様々な立場の人が様々な意見をたたかわせることの醍醐味ではないでしょうか。1人1人の考えを、頭ごなしに「おまえは〜派の人間だから」という理由で言い出しの部分で排除するのではなく、とりあえず読んでみる。思うところがあったらコメントする。反論があったら反論する。でも、相手を潰さない、排除しない、攻撃しない、尊重する。こういうスタンスって、とれないものなのでしょうか?
相手も同様に、「潰さない、排除しない、攻撃しない、尊重する」というスタンスをとってくれれば、相互に対する受容と理解が生まれ、「報復の応酬」ではなく「善意の返礼」という形で、無駄な衝突やいがみ合い、罵り合い、精神的苦痛や怒り、悲しみをなきもののできるのではないでしょうか。というより、掲示板でですらそれができないで真に平和を愛する人間といえるのでしょうか?
意見を言い切ること、断定的に言うことって、実はとても怖いことです。それは、言ってしまった手前責任が生じるからです。だから人は、自分の考えを言い切らなかったり、人の考えに乗せて発信したり、相手を名指しにしなかったり、と様々な方法をとって自分が直接自分の言ったことについて責任を持たされることを回避しようとします。それは、言い切ってしまった後に、自分が大勢に逆行する思考の持ち主だとわかると弾圧・排除・抹殺されるという恐怖感を感じるからでもあります。なぜか?人と関わりたいからです。
何人たりとも、人は人と関わらずには存在・存続・生存できません。掲示板のような現代社会のマイクロコズム(縮図)においても、この原則は同じのようです。だから人は、自分が大勢に逆行した意見を言って排除・排斥されたり無視されたりするのを怖がります。そしてこうした恐怖は、人を凶暴に、暴力的にさせたりもします。それが、人間というものです。孤独を嫌い、連帯を好む。個人の利益のみよりも集団の中での融和を望む。これは日本人だけでなく、全人類共通のヒトとしての特徴だと思います。
ヒトであることは恥じるべきことではありません。ヒトらしく、孤立する恐怖からくるずるさや、攻撃性でヒトを傷つけたりしてしまっても、それもヒトゆえの弱さなのだから“仕方ない”でしょう。でも、そうした中でもなるべくうまくやろうとする─存在・存続・生存しようとするのもまた、ヒトらしさなのではないでしょうか。
意見を言い切ることの恐怖、曖昧でいることの恐怖、揶揄されることの恐怖、期待されることの恐怖。ヒトはヒトと関わるときに同時に様々な恐怖を抱えることになります。でもそれぞれが、それぞれを受容しあえば、恐怖は減少・分散し、それに代わる価値観によって支配されるようになります。私はそれこそが友愛を求める精神だと思っています。
掲示板というちっぽけな、でもマイクロコズムともいえる世界の中で、私はその友愛の精神の芽の発芽を、不毛であっても期待しつづけていきたいと思います。なぜなら、こんなちっぽけな世界でも平和でいられないヒトに、外の世界の平和を求めることなど、どだい無理だろうと考えるからです。私は、ヒトの可能性に賭けたい。ヒトを信じたい。でも、ヒトは複雑です。だから、時間をかけて良い関係を醸成していきませんか?私は一部諦めかけていますが、自分に負けたくないんです。
派閥の想定による不毛な単純化は、もうやめにしませんか?
長文のご精読、ありがとうございました。
∇etranger∇
最後の投稿のli__il氏は文中に「(苦笑)」を連発するクセがあるのですが、この表現に囚われすぎていると彼の言う事の本質を見逃して判断がストップしてしまうことがあります。そこで、今回は彼の投稿だけ「(苦笑)」をすべて「。」に変換して再掲しました。li__il氏の「(苦笑)」表現のファンの方には申し訳ありませんが、より多くのヒトに彼の意見も読んでもらいたいゆえの措置なので、どうかご容赦ください。
●終わりに
以上が、afleedというある異邦人青年の問いかけを発端となって展開された、私を含めた各参加者の持論です。賛否両論、そして賛同する意見の中での同意できる部分・できない部分、反対する意見の中での同意する部分・同意しない部分と、様々に枝分かれする意見があり、またその参加者1人の意見すら1つではなく、それぞれが苦悩や葛藤を抱えているということがよくわかっていただけると思います。
これが、1つのテーマに対する見方の多様性というものがもたらす人間らしさなのではないでしょうか。一概に「〜派」とくくることはできないからこそ、そこから深遠なる、1人では得られない何かを得ることができる。これが、掲示板で様々な立場の人が様々な意見をたたかわせることの醍醐味ではないでしょうか。1人1人の考えを、頭ごなしに「おまえは〜派の人間だから」という理由で言い出しの部分で排除するのではなく、とりあえず読んでみる。思うところがあったらコメントする。反論があったら反論する。でも、相手を潰さない、排除しない、攻撃しない、尊重する。こういうスタンスって、とれないものなのでしょうか?
相手も同様に、「潰さない、排除しない、攻撃しない、尊重する」というスタンスをとってくれれば、相互に対する受容と理解が生まれ、「報復の応酬」ではなく「善意の返礼」という形で、無駄な衝突やいがみ合い、罵り合い、精神的苦痛や怒り、悲しみをなきもののできるのではないでしょうか。というより、掲示板でですらそれができないで真に平和を愛する人間といえるのでしょうか?
意見を言い切ること、断定的に言うことって、実はとても怖いことです。それは、言ってしまった手前責任が生じるからです。だから人は、自分の考えを言い切らなかったり、人の考えに乗せて発信したり、相手を名指しにしなかったり、と様々な方法をとって自分が直接自分の言ったことについて責任を持たされることを回避しようとします。それは、言い切ってしまった後に、自分が大勢に逆行する思考の持ち主だとわかると弾圧・排除・抹殺されるという恐怖感を感じるからでもあります。なぜか?人と関わりたいからです。
何人たりとも、人は人と関わらずには存在・存続・生存できません。掲示板のような現代社会のマイクロコズム(縮図)においても、この原則は同じのようです。だから人は、自分が大勢に逆行した意見を言って排除・排斥されたり無視されたりするのを怖がります。そしてこうした恐怖は、人を凶暴に、暴力的にさせたりもします。それが、人間というものです。孤独を嫌い、連帯を好む。個人の利益のみよりも集団の中での融和を望む。これは日本人だけでなく、全人類共通のヒトとしての特徴だと思います。
ヒトであることは恥じるべきことではありません。ヒトらしく、孤立する恐怖からくるずるさや、攻撃性でヒトを傷つけたりしてしまっても、それもヒトゆえの弱さなのだから“仕方ない”でしょう。でも、そうした中でもなるべくうまくやろうとする─存在・存続・生存しようとするのもまた、ヒトらしさなのではないでしょうか。
意見を言い切ることの恐怖、曖昧でいることの恐怖、揶揄されることの恐怖、期待されることの恐怖。ヒトはヒトと関わるときに同時に様々な恐怖を抱えることになります。でもそれぞれが、それぞれを受容しあえば、恐怖は減少・分散し、それに代わる価値観によって支配されるようになります。私はそれこそが友愛を求める精神だと思っています。
掲示板というちっぽけな、でもマイクロコズムともいえる世界の中で、私はその友愛の精神の芽の発芽を、不毛であっても期待しつづけていきたいと思います。なぜなら、こんなちっぽけな世界でも平和でいられないヒトに、外の世界の平和を求めることなど、どだい無理だろうと考えるからです。私は、ヒトの可能性に賭けたい。ヒトを信じたい。でも、ヒトは複雑です。だから、時間をかけて良い関係を醸成していきませんか?私は一部諦めかけていますが、自分に負けたくないんです。
派閥の想定による不毛な単純化は、もうやめにしませんか?
長文のご精読、ありがとうございました。
∇etranger∇
これは メッセージ 164384 (etranger3_01 さん)への返信です.
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