ケリー博士の最後の論文(1)
投稿者: stwmpxqmwts 投稿日時: 2003/10/06 23:20 投稿番号: [160029 / 177456]
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オブザーバー紙8月30日に掲載されたケリー博士の最後の論文を「国際テロ関連 情報・翻訳ボード 」に翻訳したけど、こちらにも出しとこう。
あー、日本語にするのはしんどかったな。
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ケリー博士の最後の論文
「体制変革だけが危険を取り除くことができる」
数週間前からイラクはアルサムドⅡミサイルを破棄し始めた。これは、これは国連の指定した150キロを超える飛行距離のミサイルだった。サダム・フセイン大統領が国連の査察団に応諾した証拠として国際社会に示された。
しかしイラクはそうしたほうが利益になると判断すると、いつも原物を放棄してきた。イラクは30年かかって大量破壊兵器の兵器庫を作ってきたのだ。イラク軍により現出された今回の危険は、通常兵器・核兵器の両方の見地から見て、小規模ではあるが、イラクは今まで決して、軍事的に使用したりテロとして使用する兵器を開発し貯蔵する意思をあきらめたことはなかった。
今日イラクは査察に協力する姿勢を表面的には見せている。化学・生物兵器用の122mmロケット砲が発見され禁止されたミサイルと関連するエンジン・部品・ジャイロスコープの破壊が始まった。
イラクは(イラクの隠蔽工作の前の責任者)ラシッド・アマーの指揮下に、文書と兵器を調査する2つの委員会を作った。一つの委員会はイラクの一方的に破棄したサイトから兵器を見つける作業を開始した(これは、1991年に国連の監督なしに不法に隠蔽工作の一部として破棄されたサイトである)。アマー・アルサージ(イラクの大量破壊兵器の前の責任者)は、国際社会を欺く為の兵器委員会の主席スポークスマンである。
フセインが変わったとして、その人物によって信頼できる関係者が任命されない限り、協力作業が完全に確立されるとは考えにくい。
査察が始まっているからもっと時間が必要であると言う議論や、査察官を増やすことによって査察が効率的になると言う議論もある。しかしもともとプロセスに問題があり、体制変革による武装解除のみが現実的な道だと言う議論もある。
1991年から国連は武装解除を試みてきたが失敗した。永続的な五カ国による統一と決意が欠如しているのは、フランス・中国・ロシアと、アメリカ・イギリスとの亀裂という下劣な外交的努力の怠慢が原因である。もっと最近では安保理の有力なメンバーであるドイツが、外交的な亀裂をいっそう悪化させている。信用できる軍事力の脅迫によってサダム・フセインに、協力という形ではなく、国連による査察という形を承諾させることができた。イラクの譲歩と言われるU-2による監視飛行・審問の権利は、1991年から1998年まで日常的であった。しかし12年にわたる国連の管理によってすら武装解除に失敗にしたことにより、遺憾ながら軍事力が最終的に決定的な武装解除の唯一の方法になって来た。
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オブザーバー紙8月30日に掲載されたケリー博士の最後の論文を「国際テロ関連 情報・翻訳ボード 」に翻訳したけど、こちらにも出しとこう。
あー、日本語にするのはしんどかったな。
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ケリー博士の最後の論文
「体制変革だけが危険を取り除くことができる」
数週間前からイラクはアルサムドⅡミサイルを破棄し始めた。これは、これは国連の指定した150キロを超える飛行距離のミサイルだった。サダム・フセイン大統領が国連の査察団に応諾した証拠として国際社会に示された。
しかしイラクはそうしたほうが利益になると判断すると、いつも原物を放棄してきた。イラクは30年かかって大量破壊兵器の兵器庫を作ってきたのだ。イラク軍により現出された今回の危険は、通常兵器・核兵器の両方の見地から見て、小規模ではあるが、イラクは今まで決して、軍事的に使用したりテロとして使用する兵器を開発し貯蔵する意思をあきらめたことはなかった。
今日イラクは査察に協力する姿勢を表面的には見せている。化学・生物兵器用の122mmロケット砲が発見され禁止されたミサイルと関連するエンジン・部品・ジャイロスコープの破壊が始まった。
イラクは(イラクの隠蔽工作の前の責任者)ラシッド・アマーの指揮下に、文書と兵器を調査する2つの委員会を作った。一つの委員会はイラクの一方的に破棄したサイトから兵器を見つける作業を開始した(これは、1991年に国連の監督なしに不法に隠蔽工作の一部として破棄されたサイトである)。アマー・アルサージ(イラクの大量破壊兵器の前の責任者)は、国際社会を欺く為の兵器委員会の主席スポークスマンである。
フセインが変わったとして、その人物によって信頼できる関係者が任命されない限り、協力作業が完全に確立されるとは考えにくい。
査察が始まっているからもっと時間が必要であると言う議論や、査察官を増やすことによって査察が効率的になると言う議論もある。しかしもともとプロセスに問題があり、体制変革による武装解除のみが現実的な道だと言う議論もある。
1991年から国連は武装解除を試みてきたが失敗した。永続的な五カ国による統一と決意が欠如しているのは、フランス・中国・ロシアと、アメリカ・イギリスとの亀裂という下劣な外交的努力の怠慢が原因である。もっと最近では安保理の有力なメンバーであるドイツが、外交的な亀裂をいっそう悪化させている。信用できる軍事力の脅迫によってサダム・フセインに、協力という形ではなく、国連による査察という形を承諾させることができた。イラクの譲歩と言われるU-2による監視飛行・審問の権利は、1991年から1998年まで日常的であった。しかし12年にわたる国連の管理によってすら武装解除に失敗にしたことにより、遺憾ながら軍事力が最終的に決定的な武装解除の唯一の方法になって来た。
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これは メッセージ 159897 (stwmpxqmwts さん)への返信です.
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