パピヨンのテーマ Ⅱ その1 再掲
投稿者: theme_from_papillon 投稿日時: 2003/06/27 20:38 投稿番号: [157856 / 177456]
>>国際的に何かを認めたり、認めなかったりする場合でも、
私の述べている原理で決定される。
>>つまり、人間が正しいと思う選択を決定する場合にも遺伝子レベルで組み込まれた
危機回避の原理を逸脱するものではないということ。
ある程度以上、脳が発達した生物はそのような危機回避のシステムを持っている。
もちろん危険度の期待値というものは我々が感覚という言葉で呼んでいるもの
によって得られるものである。
>人間の歴史を眺めてみれば、それは自然に反する行為の蓄積、あるいは自然に対する
人智の優位性の主張と見ることが出来る。私たちは、あれこれの判断を自分に
備わった、先天的な感覚でしているわけではない。かなり多くの場合、後天的な
学習によって得た知識より、あれこれを判断している。
これが反論であるなら、君は「自然に反する行為の蓄積、あるいは自然に対する人智の優位性の主張」
は遺伝子の作用を逃れていると言いたいのだろうな。
人類が洞窟生活をしていた頃は、自然に反する行為をしていなかったという事実を基にそのように
考えているのであろう。
万が一それが正しいとしても、私の言う「ある程度以上、脳が発達した生物はそのような危機回避の
システムを持っている。もちろん危険度の期待値というものは我々が感覚という言葉で呼んでいるもの
によって得られるものである。」
という考えの反論にはならない。論点からかなり外れている。
だが、せっかくだから議論から脱線するが、君の主張についての真偽を吟味してみよう。
この前、私は鰯を食べた話をしたが、今日、町を歩いていると、30匹ぐらいのとらふぐが、大きな水槽の
中で泳いでいるのを見た。どでかい体に小さなひれが両脇に付いていて、それをピラピラとせわしなく動かし
ながら不器用に泳いでいる。見てるうちに食いたくなって、店に入って行ったのだが、活きのいいふぐは
格別だった。これだけうまいのに、あの泳ぎでは捕食者の格好の餌食であるが、彼らはちゃんと心得ていて
猛毒で武装している。
だが、人間にとっては彼らの化学兵器も何の役にも立たない。
コアラが毒のあるユーカリを食べるように生物の中には体の中に解毒剤を用意して、特定の毒のある生物を
常食とするものがいるが、人間はふぐを食うための解毒剤をつくる遺伝子を持ってはいない。
人間は我々の祖先たちが狩の対象としていた、マンモスに打ち勝つだけの腕力もないし、足の速い動物に勝る
脚力も持ち合わせていない。また、鳥のように空を飛ぶこともできない。
しかしながら、環境や捕食する対象が変化しても常に目的を成し遂げるための万能に近い遺伝子を持っている。
それは高度な知能を獲得する能力を持つ遺伝子である。
この知能と衣食住などに関する欲求が結びついて、君の言う「自然に反する行為の蓄積」を行なってきた
わけだが、もちろん遺伝子には自然に反する行為を行う意図はない。人間にもそのような意図はないであろう。
にも拘らず、知能と欲求が結びついて、自然の永続する平衡状態を乱すような結果を招く傾向にある。
知能も欲求もごくふつうの環境さえあれば、遺伝子の作用によって発現するものであるから、君の言う
「自然に反する行為の蓄積」が遺伝子の作用を逃れているという主張は的を得ていないことになる。
<続く>
私の述べている原理で決定される。
>>つまり、人間が正しいと思う選択を決定する場合にも遺伝子レベルで組み込まれた
危機回避の原理を逸脱するものではないということ。
ある程度以上、脳が発達した生物はそのような危機回避のシステムを持っている。
もちろん危険度の期待値というものは我々が感覚という言葉で呼んでいるもの
によって得られるものである。
>人間の歴史を眺めてみれば、それは自然に反する行為の蓄積、あるいは自然に対する
人智の優位性の主張と見ることが出来る。私たちは、あれこれの判断を自分に
備わった、先天的な感覚でしているわけではない。かなり多くの場合、後天的な
学習によって得た知識より、あれこれを判断している。
これが反論であるなら、君は「自然に反する行為の蓄積、あるいは自然に対する人智の優位性の主張」
は遺伝子の作用を逃れていると言いたいのだろうな。
人類が洞窟生活をしていた頃は、自然に反する行為をしていなかったという事実を基にそのように
考えているのであろう。
万が一それが正しいとしても、私の言う「ある程度以上、脳が発達した生物はそのような危機回避の
システムを持っている。もちろん危険度の期待値というものは我々が感覚という言葉で呼んでいるもの
によって得られるものである。」
という考えの反論にはならない。論点からかなり外れている。
だが、せっかくだから議論から脱線するが、君の主張についての真偽を吟味してみよう。
この前、私は鰯を食べた話をしたが、今日、町を歩いていると、30匹ぐらいのとらふぐが、大きな水槽の
中で泳いでいるのを見た。どでかい体に小さなひれが両脇に付いていて、それをピラピラとせわしなく動かし
ながら不器用に泳いでいる。見てるうちに食いたくなって、店に入って行ったのだが、活きのいいふぐは
格別だった。これだけうまいのに、あの泳ぎでは捕食者の格好の餌食であるが、彼らはちゃんと心得ていて
猛毒で武装している。
だが、人間にとっては彼らの化学兵器も何の役にも立たない。
コアラが毒のあるユーカリを食べるように生物の中には体の中に解毒剤を用意して、特定の毒のある生物を
常食とするものがいるが、人間はふぐを食うための解毒剤をつくる遺伝子を持ってはいない。
人間は我々の祖先たちが狩の対象としていた、マンモスに打ち勝つだけの腕力もないし、足の速い動物に勝る
脚力も持ち合わせていない。また、鳥のように空を飛ぶこともできない。
しかしながら、環境や捕食する対象が変化しても常に目的を成し遂げるための万能に近い遺伝子を持っている。
それは高度な知能を獲得する能力を持つ遺伝子である。
この知能と衣食住などに関する欲求が結びついて、君の言う「自然に反する行為の蓄積」を行なってきた
わけだが、もちろん遺伝子には自然に反する行為を行う意図はない。人間にもそのような意図はないであろう。
にも拘らず、知能と欲求が結びついて、自然の永続する平衡状態を乱すような結果を招く傾向にある。
知能も欲求もごくふつうの環境さえあれば、遺伝子の作用によって発現するものであるから、君の言う
「自然に反する行為の蓄積」が遺伝子の作用を逃れているという主張は的を得ていないことになる。
<続く>
これは メッセージ 157679 (light_cavalryman さん)への返信です.
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