『ロビンソン』解釈
投稿者: yamaokikayoko 投稿日時: 2002/11/06 13:33 投稿番号: [149463 / 177456]
――新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
別れと出会いのこの季節…
正宗は不治の病で若くして三途の河原を走っている大切な人、「君」のことばかりを思う、切ない日々を送っていた。
(生死をさ迷う精神レベルで)正宗は、「走る君」をつかまえるべく、自転車で追いかけていた。
――思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに
憔悴しきっている正宗。
元気だった頃の「君」との思い出、ほんのちょっとのエピソードの数々でも全てを大切に…心に引っさげ…病床のまぶしい「君」を、辛そうに愛しそうにみつめている。
――同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ
「君」との出会いを思い出す。
価値観の合う相手だったのだろう。
――誰も触れない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
正宗は「君が死んでも絶対にこの手を離さない」と強く思う。
普遍の愛で二人は宇宙「夢の国」へとトランスし…正宗は「永遠に生きる君」と幸福にいつまでも。
――片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
現代医学に見捨てられた「君」。
「君」はもう何も言えない。
ただ息をして…近づいてくる死を待つだけ。
そんな病床の動けない「君」を…
どうする事もできない正宗は…思わず抱きしめ、強く頬にくちづける。
――いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの三日月も僕を見てた
形而下での「君」との接点、その窓口は「君」の顔である。
危篤状態の「君」の顔色はもう「死」に近い。青ざめた色をしている。「薄汚れてる」ではなく「うす汚れてる」と表記してあるのは、「薄さ」や「汚れ」を表現したくなかったため。
ぎりぎりの三日月…儚い「君」の瞳…
「君」は迫ってくる「死」への計り知れぬ恐怖と孤独の中にいて…ぎりぎりの瞳で、ただ正宗だけを信じて見つめている。「ギリギリ」ではなく「ぎりぎり」と表記したのは、正宗を見る安らかな眼差しを表現するため。
――待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ
なんと…
正宗の自転車は…まさに死にゆく「君」を、彼岸のあっち岸で(君の臨終より気持ちでちょっとだけ先に逝って)待伏せていたんだ。
一人で三途の川を渡って来る「君」を。
そして間に合った。
…
永遠の悲しいお別れをしたはずの正宗が待っていた事に気づいた「君」はさぞかし驚き、幸福に満ち溢れたことだろう。
――誰も触れない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
生まれ変わったこの国で正宗とずっとずっと一緒にいられるんだ。
もう別れることなんてない。
永遠に二人はいっしょ。
……
――大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
ルララ 宇宙の風に乗る
繰り返すことで気持ちの強さ、「永遠」を強調。
正宗は「最愛の人の死」という経験で得た普遍の愛を、全ての人に共有してほしいという願いからこの「終わらない歌」をばらまいた。
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
別れと出会いのこの季節…
正宗は不治の病で若くして三途の河原を走っている大切な人、「君」のことばかりを思う、切ない日々を送っていた。
(生死をさ迷う精神レベルで)正宗は、「走る君」をつかまえるべく、自転車で追いかけていた。
――思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに
憔悴しきっている正宗。
元気だった頃の「君」との思い出、ほんのちょっとのエピソードの数々でも全てを大切に…心に引っさげ…病床のまぶしい「君」を、辛そうに愛しそうにみつめている。
――同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ
「君」との出会いを思い出す。
価値観の合う相手だったのだろう。
――誰も触れない 二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
正宗は「君が死んでも絶対にこの手を離さない」と強く思う。
普遍の愛で二人は宇宙「夢の国」へとトランスし…正宗は「永遠に生きる君」と幸福にいつまでも。
――片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
現代医学に見捨てられた「君」。
「君」はもう何も言えない。
ただ息をして…近づいてくる死を待つだけ。
そんな病床の動けない「君」を…
どうする事もできない正宗は…思わず抱きしめ、強く頬にくちづける。
――いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの三日月も僕を見てた
形而下での「君」との接点、その窓口は「君」の顔である。
危篤状態の「君」の顔色はもう「死」に近い。青ざめた色をしている。「薄汚れてる」ではなく「うす汚れてる」と表記してあるのは、「薄さ」や「汚れ」を表現したくなかったため。
ぎりぎりの三日月…儚い「君」の瞳…
「君」は迫ってくる「死」への計り知れぬ恐怖と孤独の中にいて…ぎりぎりの瞳で、ただ正宗だけを信じて見つめている。「ギリギリ」ではなく「ぎりぎり」と表記したのは、正宗を見る安らかな眼差しを表現するため。
――待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ
なんと…
正宗の自転車は…まさに死にゆく「君」を、彼岸のあっち岸で(君の臨終より気持ちでちょっとだけ先に逝って)待伏せていたんだ。
一人で三途の川を渡って来る「君」を。
そして間に合った。
…
永遠の悲しいお別れをしたはずの正宗が待っていた事に気づいた「君」はさぞかし驚き、幸福に満ち溢れたことだろう。
――誰も触れない 二人だけの国 終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
生まれ変わったこの国で正宗とずっとずっと一緒にいられるんだ。
もう別れることなんてない。
永遠に二人はいっしょ。
……
――大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
ルララ 宇宙の風に乗る
繰り返すことで気持ちの強さ、「永遠」を強調。
正宗は「最愛の人の死」という経験で得た普遍の愛を、全ての人に共有してほしいという願いからこの「終わらない歌」をばらまいた。
これは メッセージ 149461 (yamaokikayoko さん)への返信です.
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