Re: 9/11の日経コラムより
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/10/28 02:31 投稿番号: [149220 / 177456]
>協調しようがしまいが、戦争を回避できる仕組みがほしい。
さしずめ私は「戦争を回避するために協調できる仕組みが欲しい」ですね。
確かに、katakurichanとは逆の思考なのかもしれません。
>ですから、今「協調できるかどうか」が長い年月にわたって影響するような事態が問題なのであって、現時点で「協調」したようにみえたとしても、それは問題解決に結びついているわけではない、と思うんです。
現時点で協調したように見えることが私にとっては至上です。未来は未来の人間が
作り上げればいい。今を作れない我々が未来に固執するとしたら本末転倒では
ないですかね?協調しさえしていれば、いずれ未来の誰かが平和のうちに問題を
解決してくれると期待できるでしょう。
>ですから、協調できないことや問題の共有化が図れないことはむしろ「ようあること」であって、私はむしろ、それが戦争の要因となりうるというほうが「問題」だと思うんですよ。
戦争は絶対悪ではありません。戦争をいたずらに追放すれば戦争しなくても済む
ようになる訳でもありません。私がなぜそう思うかを例を挙げて書きますね。
例えば今の世界の地域の中で、最も戦争と縁遠いのはどこだと思いますか?
私ならばそれは欧州だと思います。ではなぜ欧州が戦争と縁遠いのか。
欧州が経済的に恵まれてるから?宗教間の確執の少ない地域だから?
彼らが人権と啓蒙思想に最初に目覚めた人々だから?
今から100年前、欧州は既に世界で最も経済の繁栄した社会でした。また100年前から
既に宗教が戦争の原因となる時代を超越していました(無論キリスト教にも宗派間の
争いがあることは承知で書いています)。人権も、啓蒙思想も、20世紀の欧州では
既に新発明ではなかった。にもかかわらず欧州は歴史上最も凄惨きわまりない
二度の大戦の舞台となりました。つまり戦争とは貧困や宗教や人権侵害によってのみ
生まれうるものではないということです。では今の欧州が戦争を最も縁遠く出来たのは
何故なのか?
私なら、それは欧州が膨大な血を流した結果、国際協調のみが戦争を回避しうると
学んだからだと思います。1945年以降の欧州は、katakurichanの理想とは異なり
大量破壊兵器を手放したわけでも、軍事による威嚇を放棄したわけでもない。
むしろ世界で最も大量破壊兵器や最新兵器の密度の濃い地域だったと言うしかない。
であっても彼らは彼らなりに、各国の協調によれば軍事に頼らない安全保障を
作り上げられるのではと模索を続けた。50年に及びさらに未来へと続く彼らの
試行錯誤を支え続けたモチベーションが、二度の世界大戦にあったことは
誰にも否定できない事実でしょう。
marchingpeopleさんは暴力から民主主義が生まれたと書いていますが、私なら
戦争から非軍事の安全保障が生まれたと書くでしょうね。そして世界で戦争を
最も縁遠く出来た地域は、残念ながらkatakurichan方式でないやり方でそれを
達成したのだと言うよりありません。
協調できなければ戦争、なんです。だからこそ協調するためのモチベーションが
生まれてくる。今は欧州程には成熟してない多くの地域の多くの指導者の中には
知らず知らずに協調よりも戦争を選ぶ莫迦が数多くいるのは残念なことです。
しかし彼らの思考を協調に向かわせることの出来るモチベーションはつまるところ
戦争の被害しかあり得ない。それが歴史が証明した結果なのではないですか?
例え協調しなくても絶対に戦争にならないと保証したのであれば、どこの指導者も
問題を平和のうちに解決するためのモチベーションが湧かないだろうというのが
歴史の示すところであり、未来に非協調=凄惨な戦争の種を残すだけのことでしょう。
それが本当の被害に繋がるかどうかは、その指導者が「やかんに触ると火傷する」
というだけの想像力の持ち主であるかどうかにかかっているのでしょうね。
協調を促すために鞭を先に見せるのか(アメリカ・イギリス)飴を先に見せるのか
(フランス・ロシア)の方法論はあるにせよ、協調に至らなくても戦争は絶対に
しないというのでは世界はいつまでも戦争を縁遠くすることはできっこない。
これが私の考えであり、僭越だけれど多分世界の指導者の多くが考えていること
であり、より僭越だけど歴史から導かれた一つの結果だと思います。
さしずめ私は「戦争を回避するために協調できる仕組みが欲しい」ですね。
確かに、katakurichanとは逆の思考なのかもしれません。
>ですから、今「協調できるかどうか」が長い年月にわたって影響するような事態が問題なのであって、現時点で「協調」したようにみえたとしても、それは問題解決に結びついているわけではない、と思うんです。
現時点で協調したように見えることが私にとっては至上です。未来は未来の人間が
作り上げればいい。今を作れない我々が未来に固執するとしたら本末転倒では
ないですかね?協調しさえしていれば、いずれ未来の誰かが平和のうちに問題を
解決してくれると期待できるでしょう。
>ですから、協調できないことや問題の共有化が図れないことはむしろ「ようあること」であって、私はむしろ、それが戦争の要因となりうるというほうが「問題」だと思うんですよ。
戦争は絶対悪ではありません。戦争をいたずらに追放すれば戦争しなくても済む
ようになる訳でもありません。私がなぜそう思うかを例を挙げて書きますね。
例えば今の世界の地域の中で、最も戦争と縁遠いのはどこだと思いますか?
私ならばそれは欧州だと思います。ではなぜ欧州が戦争と縁遠いのか。
欧州が経済的に恵まれてるから?宗教間の確執の少ない地域だから?
彼らが人権と啓蒙思想に最初に目覚めた人々だから?
今から100年前、欧州は既に世界で最も経済の繁栄した社会でした。また100年前から
既に宗教が戦争の原因となる時代を超越していました(無論キリスト教にも宗派間の
争いがあることは承知で書いています)。人権も、啓蒙思想も、20世紀の欧州では
既に新発明ではなかった。にもかかわらず欧州は歴史上最も凄惨きわまりない
二度の大戦の舞台となりました。つまり戦争とは貧困や宗教や人権侵害によってのみ
生まれうるものではないということです。では今の欧州が戦争を最も縁遠く出来たのは
何故なのか?
私なら、それは欧州が膨大な血を流した結果、国際協調のみが戦争を回避しうると
学んだからだと思います。1945年以降の欧州は、katakurichanの理想とは異なり
大量破壊兵器を手放したわけでも、軍事による威嚇を放棄したわけでもない。
むしろ世界で最も大量破壊兵器や最新兵器の密度の濃い地域だったと言うしかない。
であっても彼らは彼らなりに、各国の協調によれば軍事に頼らない安全保障を
作り上げられるのではと模索を続けた。50年に及びさらに未来へと続く彼らの
試行錯誤を支え続けたモチベーションが、二度の世界大戦にあったことは
誰にも否定できない事実でしょう。
marchingpeopleさんは暴力から民主主義が生まれたと書いていますが、私なら
戦争から非軍事の安全保障が生まれたと書くでしょうね。そして世界で戦争を
最も縁遠く出来た地域は、残念ながらkatakurichan方式でないやり方でそれを
達成したのだと言うよりありません。
協調できなければ戦争、なんです。だからこそ協調するためのモチベーションが
生まれてくる。今は欧州程には成熟してない多くの地域の多くの指導者の中には
知らず知らずに協調よりも戦争を選ぶ莫迦が数多くいるのは残念なことです。
しかし彼らの思考を協調に向かわせることの出来るモチベーションはつまるところ
戦争の被害しかあり得ない。それが歴史が証明した結果なのではないですか?
例え協調しなくても絶対に戦争にならないと保証したのであれば、どこの指導者も
問題を平和のうちに解決するためのモチベーションが湧かないだろうというのが
歴史の示すところであり、未来に非協調=凄惨な戦争の種を残すだけのことでしょう。
それが本当の被害に繋がるかどうかは、その指導者が「やかんに触ると火傷する」
というだけの想像力の持ち主であるかどうかにかかっているのでしょうね。
協調を促すために鞭を先に見せるのか(アメリカ・イギリス)飴を先に見せるのか
(フランス・ロシア)の方法論はあるにせよ、協調に至らなくても戦争は絶対に
しないというのでは世界はいつまでも戦争を縁遠くすることはできっこない。
これが私の考えであり、僭越だけれど多分世界の指導者の多くが考えていること
であり、より僭越だけど歴史から導かれた一つの結果だと思います。
これは メッセージ 149211 (katakurichan2 さん)への返信です.
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