Re: 9/11の日経コラムより
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/09/18 08:40 投稿番号: [147814 / 177456]
>それはわかるんですけど、「恐れがある」という「可能性」で軍事行動を起こす、そういう流れになっているんだなあ・・という気味の悪さがありますけども・・・
「恐れがある」から「軍事行動を起こす」ではありません。少なくとも
外交の世界ではそれは短絡に過ぎません。「恐れがある」→「では外交だ」
→「しかし圧力をかけねばいけない」→「外交が破綻すれば軍事行動」ですね。
本来なら恐れがあっても外交で解決できれば軍事行動は回避できるはずなんです。
無論、イラクが「軍事的圧力がなくても安全保障が働く枠組み」の中にいれば
「恐れがある」→「では外交だ」だけで済むんですけどね。
>国際社会における「秩序」って、何なんだろう??という疑問も強くあります。例えば日本社会における「法秩序」とか「公序良俗」みたいなものは、国際政治の中では無いに等しくて、まったく別の物が「秩序」と呼ばれているんだなぁ・・と、この1年でわかったんですが。
日常生活での秩序とは、最後は法であり司法権力が保障します。むろん何でも
法が解決するわけでなく、国民のコモンセンスが揉め事を解決できる分には
むやみやたらと裁判所に訴えないのも「秩序」ですが、最後は誰もが逆らえない
「裁判所の判決」が存在し、それを大方の国民が支持しているから秩序は成立する
のだと私は思います。
国際社会での秩序とは外交に過ぎません。各国が国益を追求する中で合従連衡を
行い、秩序が成立したり破綻したりする。その中で「軍事的圧力」が用いられる
場合があって、その場合は破綻が「戦争」という外交の究極像になる、と。
「軍事的圧力」を用いずに済む外交の場合は戦争まで至らずに秩序が破綻する
だけですが(例えばイギリスがEUの通貨統合にあくまでNoと言ってもイギリスを
空爆しようと言う国はいない)、これはまだ世界のいくつかの地域でしか見られない
現象です。
>前から疑問に思っていたのは、どうして戦争首謀者が、そのまま政権に居座るの?どうして10年も放っておくの?ということでした。
それも外交(というかその究極形態としての戦争)の結果に過ぎません。当時の
外交(or戦争)の残したものがフセイン政権の存命という事態で、なぜと言われても
いろいろな国や指導者の利害を調整したときにそうなるのが一つの結果だったと
思うべきでしょう。
これが日本社会の中のことであれば、警察が最後まで犯人を捕縛せず、あるいは
裁判所が判決を出さずに裁判を投げ、司法当局が刑罰の執行を中途半端で止めて
しまえば大問題ですが、それは全て司法権力が存在する社会でしか言えないことです。
法権力に頼らない揉め事の解決では、中途半端に終わった事態などよくあること
ではありませんか?katakurichanは友人関係の中でのトラブルを白黒つけるまで
はっきりさせねば気が済まない方ですか?(笑)
>一般市民には政治的判断なんか関係ないですし・・・
一般市民が関係すればそれは政治的判断とは言われないでしょうね(笑)。
一般市民が国家間の政治的判断の犠牲に供されることもよくあることです。
それは残念なことだけど、でも一般市民を犠牲にしない外交があり得ないことも
否定できない事実です。一般市民があくまで犠牲になることを避けたいのであれば、
それは自らの才覚で何とかせざるを得ないでしょう。亡命するも良し、権力者と
個人的な蜜月を築くも良し、国連総会で窮乏を訴えても良し、成功しないことも
ありません。
無論、そんなこと出来ずに銃火に倒れる一般市民が大多数であるでしょうが、
それもまたやむを得ないことだと思います。犠牲を減らすことは可能でも、一人の
犠牲も出さずに国益を調整するための究極的方法を人類は編み出していないのだから。
いつかは、ヨーロッパ式の各国が対立すれど軍事的行動には至らないとする
非軍事安全保障(あるいはそれの発展型)が広まると良いと思いますけどね。
「恐れがある」から「軍事行動を起こす」ではありません。少なくとも
外交の世界ではそれは短絡に過ぎません。「恐れがある」→「では外交だ」
→「しかし圧力をかけねばいけない」→「外交が破綻すれば軍事行動」ですね。
本来なら恐れがあっても外交で解決できれば軍事行動は回避できるはずなんです。
無論、イラクが「軍事的圧力がなくても安全保障が働く枠組み」の中にいれば
「恐れがある」→「では外交だ」だけで済むんですけどね。
>国際社会における「秩序」って、何なんだろう??という疑問も強くあります。例えば日本社会における「法秩序」とか「公序良俗」みたいなものは、国際政治の中では無いに等しくて、まったく別の物が「秩序」と呼ばれているんだなぁ・・と、この1年でわかったんですが。
日常生活での秩序とは、最後は法であり司法権力が保障します。むろん何でも
法が解決するわけでなく、国民のコモンセンスが揉め事を解決できる分には
むやみやたらと裁判所に訴えないのも「秩序」ですが、最後は誰もが逆らえない
「裁判所の判決」が存在し、それを大方の国民が支持しているから秩序は成立する
のだと私は思います。
国際社会での秩序とは外交に過ぎません。各国が国益を追求する中で合従連衡を
行い、秩序が成立したり破綻したりする。その中で「軍事的圧力」が用いられる
場合があって、その場合は破綻が「戦争」という外交の究極像になる、と。
「軍事的圧力」を用いずに済む外交の場合は戦争まで至らずに秩序が破綻する
だけですが(例えばイギリスがEUの通貨統合にあくまでNoと言ってもイギリスを
空爆しようと言う国はいない)、これはまだ世界のいくつかの地域でしか見られない
現象です。
>前から疑問に思っていたのは、どうして戦争首謀者が、そのまま政権に居座るの?どうして10年も放っておくの?ということでした。
それも外交(というかその究極形態としての戦争)の結果に過ぎません。当時の
外交(or戦争)の残したものがフセイン政権の存命という事態で、なぜと言われても
いろいろな国や指導者の利害を調整したときにそうなるのが一つの結果だったと
思うべきでしょう。
これが日本社会の中のことであれば、警察が最後まで犯人を捕縛せず、あるいは
裁判所が判決を出さずに裁判を投げ、司法当局が刑罰の執行を中途半端で止めて
しまえば大問題ですが、それは全て司法権力が存在する社会でしか言えないことです。
法権力に頼らない揉め事の解決では、中途半端に終わった事態などよくあること
ではありませんか?katakurichanは友人関係の中でのトラブルを白黒つけるまで
はっきりさせねば気が済まない方ですか?(笑)
>一般市民には政治的判断なんか関係ないですし・・・
一般市民が関係すればそれは政治的判断とは言われないでしょうね(笑)。
一般市民が国家間の政治的判断の犠牲に供されることもよくあることです。
それは残念なことだけど、でも一般市民を犠牲にしない外交があり得ないことも
否定できない事実です。一般市民があくまで犠牲になることを避けたいのであれば、
それは自らの才覚で何とかせざるを得ないでしょう。亡命するも良し、権力者と
個人的な蜜月を築くも良し、国連総会で窮乏を訴えても良し、成功しないことも
ありません。
無論、そんなこと出来ずに銃火に倒れる一般市民が大多数であるでしょうが、
それもまたやむを得ないことだと思います。犠牲を減らすことは可能でも、一人の
犠牲も出さずに国益を調整するための究極的方法を人類は編み出していないのだから。
いつかは、ヨーロッパ式の各国が対立すれど軍事的行動には至らないとする
非軍事安全保障(あるいはそれの発展型)が広まると良いと思いますけどね。
これは メッセージ 147800 (katakurichan2 さん)への返信です.
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