>謙虚さが生まれることを願おうか
投稿者: katakurichan2 投稿日時: 2002/09/08 00:07 投稿番号: [146898 / 177456]
>米政権内では、国際協調派と目されているパウエル氏である。演説を中断しなければならないような経験は珍しいのではないか。
>アメリカはなぜ嫌われるのか。この自問は貴重だと思う。この問いをくぐって大国にふさわしい謙虚さが生まれることを願おうか。
しかし・・・
この文章、な〜んかひっかかる。(とまとさんに文句があるわけではありません)
環境サミットで米国に対して非難の声が上がったという報道があったのは知っていますが、しかし、サミットというのは各国が「対話」の為に集まったはず。演説を怒号で遮るっていうのは、「対話」の限界を認めているということみたいな感じがします。米国が強気で会議を仕切ったかのように言われていますが、決議が終わった後で「怒号」による感情的な意思表示をする、それはどういう意味なのでしょうか。それまでの「会議」は何だったのか。「会議」での対話や調整というものを否定するということにならないのでしょうか。(どうせなら、会議の前に力を注ぐべきでしょう)
それで、この文章を書いた人は、その怒号に対しては疑問を持っていないみたいなのに、むしろ面白がっているみたいなのに、最後には米国に「謙虚さ」を願うって書く、何だか意地が悪い感じです。アメリカの悪口を言う事や注文をつけることが、いつの間にか市民権を得てしまっているかのよう(この筆者が勝手に勘違いしているのかもしれないけど)。
施策などについて、具体的に指摘して具体的に批判したり提言したりするならまだしも、「謙虚さが生まれることを願おうか」って、何のつもりなんでしょう。・・・他者に対して謙虚さを求めるなんて、そういう人間のほうも相当に厚かましいような気がします。ちょーーっと呆れる。
これは メッセージ 146849 (chottomato3 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/146898.html