対米全面テロ

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殺しちゃいけない・・・1

投稿者: chottomato3 投稿日時: 2002/08/29 22:55 投稿番号: [146618 / 177456]
大塚英志氏の文章(「GQ Japan」2000年7月号より無断で転載)
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  生中継のTVモニターの中に少年の姿が映し出された時、これでは簡単に狙撃できてしまう、とふと思った。そしてついそう思った自分にやれやれ、と思った。佐賀の17歳のバスジャックの事件でのことである。

  同じ映像を見て多くの人がそう感じたせいなのだろうか、たて続けに起きた17歳の犯罪に対する世論は何故、バスジャックの少年を狙撃しなかったのか、というほうに大きく傾いている。一つにはTVの映像が暗黙の内に視聴者たちに示した立ち位置によるものだろうが、しかし近頃の少年犯罪に対する世論のこの不気味な程の攻撃性はいったい、何なのだろうか。永山則夫の事件の時、あるいは女子高生コンクリート詰め殺人事件の時と少年犯罪の「凶悪化」が語られる時、決まって叫ばれていた少年法の「改正」も今回はすっかり世論が出来上がっている印象を受ける。

  ぼくは子どもたちの問題は大人たちの問題の反映だとしたり顔でコメントするつもりはないがしかし、牛刀をふりかざす少年の攻撃性とテレビモニターの向こう側という死角から「狙撃しろ」と叫ぶことの攻撃性は実は同質ではないのか、とやはり感じてしまう。17歳の少年もモニターのこちら側にいたらやはり「殺せ」と呟く種類の者のようにぼくには思えるのだ。

  それにしても何故、この国は近頃こんなにも攻撃的になってしまったのだろう。しかもその攻撃性は体制や権力といった強者に向かわず、その局面、局面での弱者に向かうのだ。

  17歳のバスジャックの少年は男性客は解放し、幼女に牛刀を突きつけそして老女を刺殺した。彼がもし社会なり体制なりに何らかの不満を持っていたらその殺意はその場に居あわせた別の人間に向かうはずだ。けれども彼はバスジャックという場におよんでも圧倒的な弱者を彼の攻撃性の対象とする。一方、TVモニターのこちら側の私たちは行動の一部始終が筒抜けの少年に対して圧倒的な強者である。彼は私たちに牛刀を向けることはない。だから狙撃しろ、と叫ぶことができる。

  こういった局面、局面で弱者を選び攻撃対象としていく関係性は例えば中学生による5千万円恐喝事件にも見てとれるようで、新聞の記事を信じるなら恐喝する側もいつか誰かに恐喝されることに互いに脅えていた、という。彼らは「自衛」のためにそのつど暴力を向ける弱者を捜し出さなくてはならないような印象がある。

  ぼくは何年か前、中学生たちのバタフライナイフが問題になった時、一つの疑問だったのは彼らがナイフを「護身のため」に持つと語っていたことだった。攻撃のための武器ではなく護身のための武器という方便の許に持たれるナイフはしかし、何ら抑止力は生み出さず、そして弱者への攻撃のために行使されてしまう。ぼくはそのことがずっと気になっていて、つまりそのことはこの国の憲法の行末をなんとなく暗示しているようにも思えたのだ。

  少年たちの暴力をいかにして抑止するか。少年法の改正という力による抑止力を期待する世論が高まっているが、けれどももし法という高次のルールによって根本的にこの国の少年犯罪に何らかの抑止力を与えようとするのなら、それはやはり憲法の水準ではないのか、とぼくは思う。


(2につづく→)
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