Re: 戦前・開戦前夜
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/02/20 22:38 投稿番号: [136067 / 177456]
>でも、それは「戦場になっていない」だけなんだと思うんです。
確かに日本は戦場になっていないですね。
では、次の各項目についてそれぞれkatakorichanは賛成ですか?反対ですか?
ちなみに例に出てくるA国は凄く平和な国です。ちょっと景気は悪いけど、
A国ディズニーランドの駐車場にはいつも長い列が出来、パレスチナやアフガンの
人々がうらやむような美味しいものをみんなが食べているとします。
1.A国領土では銃火は全く見られない。A国は他国での戦争にも反対し、
アメリカがアフガニスタンを空爆しても断固としてそれに反対を続けた。
よって、A国は平和である。
2.A国領土では銃火は全く見られない。しかし、A国は他国での戦争には
無関心で、アメリカがアフガニスタンを空爆しても「うちとは無関係」とした。
よって、A国は平和である。
3.A国領土では銃火は全く見られない。そして、A国は同盟国のアメリカが
アフガニスタンを空爆するというので、A国海軍にアメリカへの補給だけ
実施するよう命じた。
よって、A国は平和である。
1はきっと「その通り」と思うでしょうね。3は「戦時だ」とするかな?
では2は?
katakorichanの見方を援用すれば、アフガンの空爆には全く荷担していないのだから
「平和」?それともアフガンの空爆を座視したことはそれだけで「戦時」?
では1の例では戦争には反対したのでアフガンでは多くの市民に犠牲が出たけど
A国はあくまで「平和」??
A国の繁栄はその勤勉な国民性に寄るものだから「平和」?それともA国が
多くの貧しい国との富のアンバランスを是正せず、ゆえに銃火に身をさらさずに
済むだけの「戦時」?では戦争に反対だけすれば多くの国を差し置いて豊かに
暮らしても「平和」??
で、katakorichanがどちらの結論を出すかは興味があるところなんですが、
そもそもこの国が「平和」であるとか「戦時」であるとか、katakorichanの
議論に何の意味がありますか?ということが言いたい例えなんです。
こう言ったら何だけど、世界のどこかで戦火の犠牲になる方がいる以上、
どの国だってその戦争の「銃後」に過ぎず、katakorichan風に言えばすべて
「戦時」な訳です。
katakorichanから「平和」と思ってもらえるためには戦争に反対するしかないですが、
そしたら今度は「戦争に反対だけすれば平和なの?」という別な疑問が私には
出てきます。1でも2でも3でも、A国の状況は何も変わらないのに?
ので、私はもっと単純に言える、「アフガンは内戦が続きアメリカの空爆も
受けたから『戦時』」「アメリカは本土に手ひどいテロ攻撃を受け、未だその
危険が完全に去っていないので『戦時』」「日本は本土に銃火がまったく
見られないので『平和』」でいいんじゃないかと思うわけです。
>日本はアフガニスタンでの軍事行動に加担しているんです。そういう事実から、目を背けるほうが、私は嘘だと思うんです。
日本のことを「戦時」であると言い続けないと目を背けたことになるというのが
私にはちょっと理解しがたいです。日本はインド洋に自衛艦を出したが、私は
「日本は平和だ」と思うけどそのことを忘れても目を背けてもいないつもりです。
まあ、「戦時」と言わないと目を背けたことになるというのであれば、katakorichan流の
「戦時」という単語はそういう意味だと理解することにしてもいいです。
確かに日本は戦場になっていないですね。
では、次の各項目についてそれぞれkatakorichanは賛成ですか?反対ですか?
ちなみに例に出てくるA国は凄く平和な国です。ちょっと景気は悪いけど、
A国ディズニーランドの駐車場にはいつも長い列が出来、パレスチナやアフガンの
人々がうらやむような美味しいものをみんなが食べているとします。
1.A国領土では銃火は全く見られない。A国は他国での戦争にも反対し、
アメリカがアフガニスタンを空爆しても断固としてそれに反対を続けた。
よって、A国は平和である。
2.A国領土では銃火は全く見られない。しかし、A国は他国での戦争には
無関心で、アメリカがアフガニスタンを空爆しても「うちとは無関係」とした。
よって、A国は平和である。
3.A国領土では銃火は全く見られない。そして、A国は同盟国のアメリカが
アフガニスタンを空爆するというので、A国海軍にアメリカへの補給だけ
実施するよう命じた。
よって、A国は平和である。
1はきっと「その通り」と思うでしょうね。3は「戦時だ」とするかな?
では2は?
katakorichanの見方を援用すれば、アフガンの空爆には全く荷担していないのだから
「平和」?それともアフガンの空爆を座視したことはそれだけで「戦時」?
では1の例では戦争には反対したのでアフガンでは多くの市民に犠牲が出たけど
A国はあくまで「平和」??
A国の繁栄はその勤勉な国民性に寄るものだから「平和」?それともA国が
多くの貧しい国との富のアンバランスを是正せず、ゆえに銃火に身をさらさずに
済むだけの「戦時」?では戦争に反対だけすれば多くの国を差し置いて豊かに
暮らしても「平和」??
で、katakorichanがどちらの結論を出すかは興味があるところなんですが、
そもそもこの国が「平和」であるとか「戦時」であるとか、katakorichanの
議論に何の意味がありますか?ということが言いたい例えなんです。
こう言ったら何だけど、世界のどこかで戦火の犠牲になる方がいる以上、
どの国だってその戦争の「銃後」に過ぎず、katakorichan風に言えばすべて
「戦時」な訳です。
katakorichanから「平和」と思ってもらえるためには戦争に反対するしかないですが、
そしたら今度は「戦争に反対だけすれば平和なの?」という別な疑問が私には
出てきます。1でも2でも3でも、A国の状況は何も変わらないのに?
ので、私はもっと単純に言える、「アフガンは内戦が続きアメリカの空爆も
受けたから『戦時』」「アメリカは本土に手ひどいテロ攻撃を受け、未だその
危険が完全に去っていないので『戦時』」「日本は本土に銃火がまったく
見られないので『平和』」でいいんじゃないかと思うわけです。
>日本はアフガニスタンでの軍事行動に加担しているんです。そういう事実から、目を背けるほうが、私は嘘だと思うんです。
日本のことを「戦時」であると言い続けないと目を背けたことになるというのが
私にはちょっと理解しがたいです。日本はインド洋に自衛艦を出したが、私は
「日本は平和だ」と思うけどそのことを忘れても目を背けてもいないつもりです。
まあ、「戦時」と言わないと目を背けたことになるというのであれば、katakorichan流の
「戦時」という単語はそういう意味だと理解することにしてもいいです。
これは メッセージ 136056 (katakorichan さん)への返信です.
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