Re: 正義の国
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/02/13 19:34 投稿番号: [135248 / 177456]
>軍事力で何かを解決するって言っても、人が死にすぎです。(ネットで調べただけで、裏はとってませんが↓)
この五百年間で地球の人口は10倍(もしかしたらもっと)にふくれあがっていること、
時代の進歩とともに兵器の殺傷力が幾何級数的に上がっていることを考えると、
この程度の死者数は十分に考えられる数字ですね。
ちなみに(諸説がありますが)第一次大戦の死者は1〜2千万、第二次大戦の死者は
5〜6千万と言われています。この2回の異常事態を除けば20世紀の戦争犠牲者は
約4千万人。19世紀から20世紀にかけての100年間での人口の伸びを考えれば、
20世紀に2回の世界大戦を経て以降の戦死者数は減少に転じたと言えるでしょう。
これは、口では相変わらず「正義」を連呼しながらも、戦争を指導する為政者たちが
戦争による犠牲を恐れるようになったということだと私は思っています。
今後の戦争では、偶発的核戦争を除けば、数千万の犠牲者が生まれるような大戦は
金輪際ないでしょうね。
>ベトナム戦争だって、アメリカが負けたっていいますが、では逆にベトナムは勝ったの?
戦争の勝ち負けを政治的に捉えるならばベトナム(共産主義勢力)は勝者です。
例えば日本は第二次世界大戦の敗戦国ですが、今、この国を訪れた多くの人間は
この国が原爆まで投下された敗戦国だとは信じられない筈。
逆に混乱下のロシアを見れば、こちらの国こそ敗戦国だと思うかもしれません。
>けれども私にとったら、「不当に殺されない」ことが大前提です。
交通事故の例は除くとして、「戦争で不当に殺されない」ことを大事に思うなら
katakorichanが戦争で死ぬ可能性は決して高くはないでしょう。
戦後の日本の死因統計で「戦死」という項目は限りなく0ですから、katakorichanが
戦死するという未来はまず0%だと言ってもいいでしょうね。
>でも、そっちで死者が出たら、何にもならないんです。
平和を短期的なものとして捉えるのか、長期的なものとして捉えるのかの違いだと思います。
私は、仮に明日1万人が死ぬことになっても、その後の1年間に10万人しか
犠牲者がでないのであればそれは平和だと思うかもしれない。
明日誰も死ななくても、その後の1年間に100万人が死ぬなら、それよりも
前者の方がマシだと感じると思う。
誰も死ななくても良いやり方があるならベストだけれど、でも誰もそれを1年では
考えつかない。なら、前者の方をこそ私は支持します。それだけのことです。
では私が明日死ぬべき1万人の候補者となってしまったら?それは私の問題として
私の全能力を挙げて逃げますよ。そのために事前に手が打てるなら打ってもいい。
でも、私が明日交通事故で死ぬかもしれなくても私は自動車社会全体を否定しないように、
私が明日戦争で死ぬかもしれなくとも戦争による外交を否定しない。
ただ、道路には信号や歩道を整備して欲しいと思うし、同じようにより知恵を使って
戦争よりマシな方法を選んで欲しいと思う。なるべく犠牲者が少なくなるように。
katakorichanが「死人が出るのは絶対嫌」という理由で自動車社会全体を明日から
否定するなら私は別に何も言わないです。もちろん賛成もできないですけどね。
>けれど、だからといって「本気で戦争することはないじゃないか」と思うのです。
100年後には誰かが「本気で戦争をしなくてもよい仕組み」を考えついているでしょう。
しかし、今は100年後ではない。
例えばアフガニスタンに巣くうテロリストから、当面の間「航空機テロ」などという
悲惨きわまりない悪を取り上げるのに、誰も空爆より効果的な方法を思いつけなかった。
今度の空爆で無実のアフガニスタン市民が数千人死にましたが、これが50年前なら
数千人では済まなかったでしょうね。
アメリカはアフガンに対し総力戦を仕掛け、市民がその主目標になったはずです。
それが人類の知恵。納得できないのであれば、どうか頑張って知を磨いてください。
この五百年間で地球の人口は10倍(もしかしたらもっと)にふくれあがっていること、
時代の進歩とともに兵器の殺傷力が幾何級数的に上がっていることを考えると、
この程度の死者数は十分に考えられる数字ですね。
ちなみに(諸説がありますが)第一次大戦の死者は1〜2千万、第二次大戦の死者は
5〜6千万と言われています。この2回の異常事態を除けば20世紀の戦争犠牲者は
約4千万人。19世紀から20世紀にかけての100年間での人口の伸びを考えれば、
20世紀に2回の世界大戦を経て以降の戦死者数は減少に転じたと言えるでしょう。
これは、口では相変わらず「正義」を連呼しながらも、戦争を指導する為政者たちが
戦争による犠牲を恐れるようになったということだと私は思っています。
今後の戦争では、偶発的核戦争を除けば、数千万の犠牲者が生まれるような大戦は
金輪際ないでしょうね。
>ベトナム戦争だって、アメリカが負けたっていいますが、では逆にベトナムは勝ったの?
戦争の勝ち負けを政治的に捉えるならばベトナム(共産主義勢力)は勝者です。
例えば日本は第二次世界大戦の敗戦国ですが、今、この国を訪れた多くの人間は
この国が原爆まで投下された敗戦国だとは信じられない筈。
逆に混乱下のロシアを見れば、こちらの国こそ敗戦国だと思うかもしれません。
>けれども私にとったら、「不当に殺されない」ことが大前提です。
交通事故の例は除くとして、「戦争で不当に殺されない」ことを大事に思うなら
katakorichanが戦争で死ぬ可能性は決して高くはないでしょう。
戦後の日本の死因統計で「戦死」という項目は限りなく0ですから、katakorichanが
戦死するという未来はまず0%だと言ってもいいでしょうね。
>でも、そっちで死者が出たら、何にもならないんです。
平和を短期的なものとして捉えるのか、長期的なものとして捉えるのかの違いだと思います。
私は、仮に明日1万人が死ぬことになっても、その後の1年間に10万人しか
犠牲者がでないのであればそれは平和だと思うかもしれない。
明日誰も死ななくても、その後の1年間に100万人が死ぬなら、それよりも
前者の方がマシだと感じると思う。
誰も死ななくても良いやり方があるならベストだけれど、でも誰もそれを1年では
考えつかない。なら、前者の方をこそ私は支持します。それだけのことです。
では私が明日死ぬべき1万人の候補者となってしまったら?それは私の問題として
私の全能力を挙げて逃げますよ。そのために事前に手が打てるなら打ってもいい。
でも、私が明日交通事故で死ぬかもしれなくても私は自動車社会全体を否定しないように、
私が明日戦争で死ぬかもしれなくとも戦争による外交を否定しない。
ただ、道路には信号や歩道を整備して欲しいと思うし、同じようにより知恵を使って
戦争よりマシな方法を選んで欲しいと思う。なるべく犠牲者が少なくなるように。
katakorichanが「死人が出るのは絶対嫌」という理由で自動車社会全体を明日から
否定するなら私は別に何も言わないです。もちろん賛成もできないですけどね。
>けれど、だからといって「本気で戦争することはないじゃないか」と思うのです。
100年後には誰かが「本気で戦争をしなくてもよい仕組み」を考えついているでしょう。
しかし、今は100年後ではない。
例えばアフガニスタンに巣くうテロリストから、当面の間「航空機テロ」などという
悲惨きわまりない悪を取り上げるのに、誰も空爆より効果的な方法を思いつけなかった。
今度の空爆で無実のアフガニスタン市民が数千人死にましたが、これが50年前なら
数千人では済まなかったでしょうね。
アメリカはアフガンに対し総力戦を仕掛け、市民がその主目標になったはずです。
それが人類の知恵。納得できないのであれば、どうか頑張って知を磨いてください。
これは メッセージ 135228 (katakorichan さん)への返信です.
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