>米国、地下核実験の再開を準備
投稿者: kfi_525095 投稿日時: 2002/01/09 10:05 投稿番号: [129626 / 177456]
http://www.rondan.co.jp/html/atom/atom.html#JP1
第二次世界大戦が終わった後、チャーチルは連合国側の残虐行為について熟考した。1946年、ニュルンベルグ軍事裁判の証言を聞いて、「もし我々が、あの戦争に負けていたら、非常な苦境に立たされたであろう。」と述べた。 おそらく彼は次から次と行われた一般市民の虐殺について思いをめぐらせていたであろう。 ナチス政権下のドイツ空軍、ルフトバーフェはおよそ6万人のイギリス人非戦闘員を殺した。 しかし、連合軍の空軍はドイツと日本でその10倍もの人民を虐殺したのだ。
呵責の念がチャーチルにつきまとい、1953年の1月、彼をワシントンへと向かわせた。ホワイトハウスでの男性だけの晩餐の席で、首相は自分たちの魂の行方について次のような挑発的な質問をしてトルーマン大統領を驚かせた。 「大統領、貴方と私が聖ペテロ(訳者注:イエスの十二使徒の一人、天国の扉を開ける鍵を預かるとされている)の前に立つときがきて、彼に『私はお前たち二人があの原子爆弾を投下したことに責任があると思う。それに対して何と申し開きをするつもりか。』と尋ねられた時、どう答えるか、心づもりをしておられることと思います。 貴方ご自身としてはどういう答えでしょうか。」
「野獣のような残忍な人間を相手にしなければならない時は、こちらも野獣を扱うと思って事に当たらなくてはならない。」トルーマンは長崎に原爆が投下された2日後、キリスト教会連邦協議会で聖ペテロの生きている代弁人ともいえる人に向かってそう述べている。ニューヨーク州、ホワイト・プレインズのボーダーズ・ブックで、長崎に原爆を投下したパイロット、チャールス・スィニーに「あなたは長崎で自分の同胞であるカトリック信者を何人殺したか。」と私は問いかけたが、彼は話の筋が飲み込めなかった。私の統計的な質問に憤慨した、スィニーの支持者の一人が私の頭に本を投げつけてきた。彼の1997年に出された回顧録、「戦争の終結」から抜けていたその数字は30,000人で、当時の日本のカトリック人口の4分の1にあたる。 それから、喝采を浴びた「南京略奪」の著者、アイリス・チャングがいた。 当然、日本人に対して厳しい彼女は、広島と長崎の略奪者について口を閉ざしていた。
「貴方は一般市民の死傷者という点で南京と2つの日本の都市を比較したが、日本人の犯した罪とアメリカ人の罪について、前者を強く強調し、後者は考慮に入れることさえせずに、2つの間に道徳上の線を引いているように思われる。」と私は会議の前に彼女に宛てた手紙の中で述べた。 彼女の回答は1年以上も立ってやっと、片側に彼女の写真が載せられた宣伝用のはがきで寄せられた。 もう片一方には、「貴方の考えを提供していただいてありがとうございます。 連合軍の戦争犯罪に関するプロジェクトの成功をお祈りします。 今後もよろしくご連絡下さい。」としたためられていた。
質疑応答の時間に直接彼女に、広島と長崎の破壊は南京の破壊と似たものだと考えているかどうかとたずねた。 むこの民の累々たる死骸の山に追いつめられたのか、彼女は途方にくれ、人道的区別を付けることはできなかった。 しかし、その代わり、南京を持ち上げ、日本人をビシビシ叩いたこの大虐殺の専門家は爆弾についてこれからもぜひ討論をつづけるべきだという、よくある御定まりの答えを出した。 彼女に賞を与えたハリー・トルーマン・ライブラリーがたぶん満足する答えだった。
第二次世界大戦が終わった後、チャーチルは連合国側の残虐行為について熟考した。1946年、ニュルンベルグ軍事裁判の証言を聞いて、「もし我々が、あの戦争に負けていたら、非常な苦境に立たされたであろう。」と述べた。 おそらく彼は次から次と行われた一般市民の虐殺について思いをめぐらせていたであろう。 ナチス政権下のドイツ空軍、ルフトバーフェはおよそ6万人のイギリス人非戦闘員を殺した。 しかし、連合軍の空軍はドイツと日本でその10倍もの人民を虐殺したのだ。
呵責の念がチャーチルにつきまとい、1953年の1月、彼をワシントンへと向かわせた。ホワイトハウスでの男性だけの晩餐の席で、首相は自分たちの魂の行方について次のような挑発的な質問をしてトルーマン大統領を驚かせた。 「大統領、貴方と私が聖ペテロ(訳者注:イエスの十二使徒の一人、天国の扉を開ける鍵を預かるとされている)の前に立つときがきて、彼に『私はお前たち二人があの原子爆弾を投下したことに責任があると思う。それに対して何と申し開きをするつもりか。』と尋ねられた時、どう答えるか、心づもりをしておられることと思います。 貴方ご自身としてはどういう答えでしょうか。」
「野獣のような残忍な人間を相手にしなければならない時は、こちらも野獣を扱うと思って事に当たらなくてはならない。」トルーマンは長崎に原爆が投下された2日後、キリスト教会連邦協議会で聖ペテロの生きている代弁人ともいえる人に向かってそう述べている。ニューヨーク州、ホワイト・プレインズのボーダーズ・ブックで、長崎に原爆を投下したパイロット、チャールス・スィニーに「あなたは長崎で自分の同胞であるカトリック信者を何人殺したか。」と私は問いかけたが、彼は話の筋が飲み込めなかった。私の統計的な質問に憤慨した、スィニーの支持者の一人が私の頭に本を投げつけてきた。彼の1997年に出された回顧録、「戦争の終結」から抜けていたその数字は30,000人で、当時の日本のカトリック人口の4分の1にあたる。 それから、喝采を浴びた「南京略奪」の著者、アイリス・チャングがいた。 当然、日本人に対して厳しい彼女は、広島と長崎の略奪者について口を閉ざしていた。
「貴方は一般市民の死傷者という点で南京と2つの日本の都市を比較したが、日本人の犯した罪とアメリカ人の罪について、前者を強く強調し、後者は考慮に入れることさえせずに、2つの間に道徳上の線を引いているように思われる。」と私は会議の前に彼女に宛てた手紙の中で述べた。 彼女の回答は1年以上も立ってやっと、片側に彼女の写真が載せられた宣伝用のはがきで寄せられた。 もう片一方には、「貴方の考えを提供していただいてありがとうございます。 連合軍の戦争犯罪に関するプロジェクトの成功をお祈りします。 今後もよろしくご連絡下さい。」としたためられていた。
質疑応答の時間に直接彼女に、広島と長崎の破壊は南京の破壊と似たものだと考えているかどうかとたずねた。 むこの民の累々たる死骸の山に追いつめられたのか、彼女は途方にくれ、人道的区別を付けることはできなかった。 しかし、その代わり、南京を持ち上げ、日本人をビシビシ叩いたこの大虐殺の専門家は爆弾についてこれからもぜひ討論をつづけるべきだという、よくある御定まりの答えを出した。 彼女に賞を与えたハリー・トルーマン・ライブラリーがたぶん満足する答えだった。
これは メッセージ 129624 (omotenouranourawaomote さん)への返信です.
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