>日本の前科
投稿者: kfi_525095 投稿日時: 2002/01/05 07:09 投稿番号: [129094 / 177456]
>虐待の有無に関しても、その例として「死>の行軍」をあげてますが、上に書いた通
>り、不可抗力だと思いますよ。虐待が全く>無かった、とは言い切る自信はありません>が。
【死の鉄道】およそ半世紀あまり前、「死の鉄道」と悪名の高い泰緬鉄道(タイ・ビルマ間)建設で,数多くの連合軍捕虜達が日本軍に虐待され,命を落とした。特に,多くの若者たちを失ったオーストラリアでは,日本への憎悪は根深かった。その半日感情の嵐の中で.....捕虜の一人,従軍司祭ライオネル・マーズデンである。http://www.tss-tv.co.jp/jp/nitigou/tetsudo.htm
泰緬(タイメン)鉄道は、日本軍が建設した、タイ-ビルマ間を結ぶ鉄道。
工事に動員されたのは、連合国の捕虜やアジア人労働者たちである。
全長は414.916キロ。
日本軍は、これだけの距離の鉄道を1942年11月から翌43年の10月までの、なんと約1年間で完成させている。捕虜やアジア人労働者たちを、過酷に使役した結果だ。しかも日本軍は、食料や医薬品を十分に提供しなかった。当然のことながら、工事の過程で多くの被害者が出ることとなる。この工事で亡くなった連合国捕虜は1万2000人、アジア人労働者は3万3000人と言われている。
当時、日本軍がシンガポールを攻撃し、山下司令官が「イエス・オア・ノー」とイギリス軍に降伏をせまった戦いや、ガダルカナルをめぐる、米軍との戦いなどに、オーストラリア軍が参加している。
日本軍の捕虜になったオーストラリア兵は、虐待を受けたり、重労働をさせられたりしたらしい。「戦場に架ける橋」という映画の舞台となった、クワイ川鉄橋建設には、多くのオーストラリア人捕虜が働かされたと言われている。また、オーストラリア本土も、1942年、日本軍の攻撃を受けている。北部のダーウィンや、ブルームは空爆で壊滅的状態。シドニー湾には、日本の秘密兵器、特殊潜行艇が侵入した。
ニューキャッスルには外洋から砲撃。
第2次世界大戦では、オーストラリアにとっての敵国は、ドイツでもイタリアでもなく、「日本」だったのである。従って、そのころ従軍していた人たちやその家族の中には、いまだに日本軍に対する怒りを持っている人もいる。あの戦争で3万人の死者が出たのだから。
【もう一つの外国人墓地 】
横浜市保土ケ谷区にある「英連邦戦死者墓地」は、「アジア諸国の収容所での強制労働に耐え、さらに日本に連行され、十分な食事や医療を受けられないまま炭鉱、土木工事などに従事させられて死んだ英連邦9カ国(イギリス、オーストラリア、カナダなど)の捕虜1873人が眠る」場所であり、しばしば「もう一つの外国人墓地」の異名で紹介されています(「神奈川新聞」、1997年7月25日)。日本に連行された捕虜は横浜のキャンプで取り調べを受けてから各地に連行されていったのでした(「毎日新聞」1996年8月 8日)。この中には旧日本軍がビルマ・インド侵攻作戦のため建設した泰緬鉄道の工事に従事させられた捕虜(「神奈川新聞」、同日)や、新潟県直江津収容所での捕虜虐待により死亡した60人の豪州兵も含まれている(「毎日新聞」、同日)とのことです。
http://subsite.icu.ac.jp/prc/bird/bird-song/25.html
>り、不可抗力だと思いますよ。虐待が全く>無かった、とは言い切る自信はありません>が。
【死の鉄道】およそ半世紀あまり前、「死の鉄道」と悪名の高い泰緬鉄道(タイ・ビルマ間)建設で,数多くの連合軍捕虜達が日本軍に虐待され,命を落とした。特に,多くの若者たちを失ったオーストラリアでは,日本への憎悪は根深かった。その半日感情の嵐の中で.....捕虜の一人,従軍司祭ライオネル・マーズデンである。http://www.tss-tv.co.jp/jp/nitigou/tetsudo.htm
泰緬(タイメン)鉄道は、日本軍が建設した、タイ-ビルマ間を結ぶ鉄道。
工事に動員されたのは、連合国の捕虜やアジア人労働者たちである。
全長は414.916キロ。
日本軍は、これだけの距離の鉄道を1942年11月から翌43年の10月までの、なんと約1年間で完成させている。捕虜やアジア人労働者たちを、過酷に使役した結果だ。しかも日本軍は、食料や医薬品を十分に提供しなかった。当然のことながら、工事の過程で多くの被害者が出ることとなる。この工事で亡くなった連合国捕虜は1万2000人、アジア人労働者は3万3000人と言われている。
当時、日本軍がシンガポールを攻撃し、山下司令官が「イエス・オア・ノー」とイギリス軍に降伏をせまった戦いや、ガダルカナルをめぐる、米軍との戦いなどに、オーストラリア軍が参加している。
日本軍の捕虜になったオーストラリア兵は、虐待を受けたり、重労働をさせられたりしたらしい。「戦場に架ける橋」という映画の舞台となった、クワイ川鉄橋建設には、多くのオーストラリア人捕虜が働かされたと言われている。また、オーストラリア本土も、1942年、日本軍の攻撃を受けている。北部のダーウィンや、ブルームは空爆で壊滅的状態。シドニー湾には、日本の秘密兵器、特殊潜行艇が侵入した。
ニューキャッスルには外洋から砲撃。
第2次世界大戦では、オーストラリアにとっての敵国は、ドイツでもイタリアでもなく、「日本」だったのである。従って、そのころ従軍していた人たちやその家族の中には、いまだに日本軍に対する怒りを持っている人もいる。あの戦争で3万人の死者が出たのだから。
【もう一つの外国人墓地 】
横浜市保土ケ谷区にある「英連邦戦死者墓地」は、「アジア諸国の収容所での強制労働に耐え、さらに日本に連行され、十分な食事や医療を受けられないまま炭鉱、土木工事などに従事させられて死んだ英連邦9カ国(イギリス、オーストラリア、カナダなど)の捕虜1873人が眠る」場所であり、しばしば「もう一つの外国人墓地」の異名で紹介されています(「神奈川新聞」、1997年7月25日)。日本に連行された捕虜は横浜のキャンプで取り調べを受けてから各地に連行されていったのでした(「毎日新聞」1996年8月 8日)。この中には旧日本軍がビルマ・インド侵攻作戦のため建設した泰緬鉄道の工事に従事させられた捕虜(「神奈川新聞」、同日)や、新潟県直江津収容所での捕虜虐待により死亡した60人の豪州兵も含まれている(「毎日新聞」、同日)とのことです。
http://subsite.icu.ac.jp/prc/bird/bird-song/25.html
これは メッセージ 129012 (ken_maryjp さん)への返信です.
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