異文化の理解を超えて・・・(1)
投稿者: chottomato2 投稿日時: 2002/01/03 12:19 投稿番号: [128895 / 177456]
「米国がなぜアラブ人に憎まれるのかを知りたかったら、エジプトの政府系の日刊紙アルアハラムに最近載ったイブラヒム・ナフィ編集長の社説を読めばよい」
ニューヨーク・タイムズのトマス・フリードマン氏のコラムはこう始まる。
社説は米国紙のエジプト政府批判に反撃するものだった。その中でナフィ氏は、アフガニスタンでの米軍による食料投下にふれて「人道支援物資の中には、アフガンの人々の健康を損なうために遺伝子操作されたものがあると報じられている。この報道が正しければ、米国は人道に対する罪を犯していることになる」と書いている。
フリードマン氏はかみついた。
「どこのものか名前も示さない報道を根拠にして、この社説は米国がアフガンに毒入りの食料をまいていると非難するのだ。これではふつうのエジプト人が米国を憎むのは不思議ではないじゃないか」
『根深い欧米への嫌悪感』
文明の衝突を避けることはグローバル化が進む現代の大きな課題である。とくにニューヨーク、ワシントンでの同時多発テロ以後、米国とアラブ諸国との関係のもろさが明らかになってきた。このメディアの論争もその表れである。世界を不安定にしないために、どう対処すべきなのか。
世界貿易センターを倒したテロについてアラブの街では「ムスリムがあんなことをやるはずはない」という声が強かった。テロはイスラエルの陰謀でユダヤ人はあの朝は出勤しなかった、というデマを信じる人も多かった。
アラブをはじめとするイスラム諸国民の欧米に対する嫌悪感は根深いものがある。モロッコの社会学者ファーティマ・メルニーシー氏は、ベルリンの壁が崩れて歓喜するドイツ人をテレビで見た、首都ラバトの靴屋が叫んだ言葉を記している。
「なんてこった! ドイツ人も自分たちと同じように感じているんじゃないか! 自分よりも貧しい同胞を愛し、彼らを解放しようとしているんだ」「異教徒なのに人道主義者。アッラーは偉大なり!」
『宗教性が濃い人格形成』
おおらかなまでの偏見だ。これほどの偏見は偏向報道だけでは生まれまい。パキスタンの週刊紙フライデー・タイムズに載った「テロの根っこ」と題する寄稿でサルマン・タリク・クレシ氏はこう述べる。
「西洋の価値観は、いまイスラムの価値観と見られているものに対する呪いだ、という見方に私たちは戻る。この文化的嫌悪の大釜に、西側の帝国主義的な海外プレゼンスの香辛料を加え、米国が実際に犯している多くの暴虐で味付けし、それを何世紀にもわたる民族的な屈辱の火にかける。そうすればムスリムの疎外感の源について、いくらか洞察できるようになる」
パレスチナ紛争やイラク制裁といった目に見える問題の底に、開放的な性や無秩序な家族関係といった欧米のライフスタイルに対する嫌悪が横たわる。しかも、質実なイスラムの価値がその影響によって脅かされている。そうした認識がムスリムの怒りにつながる、という見方である。
メルニーシー氏が著した「イスラームと民主主義」(平凡社選書)によると、アラブ諸国では就学前の幼児はコーラン学校に通う。多くは分厚いコーランをひたすら暗記させるだけだ。また、80年代にサウジアラビアではラジオ放送の30%、エジプトでは19%が宗教番組だったと指摘する。
フリードマン氏は、サウジの10年生の宗教の教科書は「ムスリムは互いに忠実であり、異教徒を敵とみなす義務がある」と書いていると批判する。こんな例はまれではあろうが、アラブ諸国では総じて、宗教性の濃い人格形成がいまも続いている。
民主的でない政治や発展の遅れた経済、閉鎖的な社会、宗教的な文化などが互いに絡み合い、人びとは不満をのみこんで生きる。千年前には西洋を野蛮と見下していたアラブ世界が、近代化に失敗して欧州の植民地になり、いまは米国に従わされているという屈辱感もある。文明の衝突を招かないためには、こうした多くの問題を丹念に解きほぐしていくしかあるまい。
ニューヨーク・タイムズのトマス・フリードマン氏のコラムはこう始まる。
社説は米国紙のエジプト政府批判に反撃するものだった。その中でナフィ氏は、アフガニスタンでの米軍による食料投下にふれて「人道支援物資の中には、アフガンの人々の健康を損なうために遺伝子操作されたものがあると報じられている。この報道が正しければ、米国は人道に対する罪を犯していることになる」と書いている。
フリードマン氏はかみついた。
「どこのものか名前も示さない報道を根拠にして、この社説は米国がアフガンに毒入りの食料をまいていると非難するのだ。これではふつうのエジプト人が米国を憎むのは不思議ではないじゃないか」
『根深い欧米への嫌悪感』
文明の衝突を避けることはグローバル化が進む現代の大きな課題である。とくにニューヨーク、ワシントンでの同時多発テロ以後、米国とアラブ諸国との関係のもろさが明らかになってきた。このメディアの論争もその表れである。世界を不安定にしないために、どう対処すべきなのか。
世界貿易センターを倒したテロについてアラブの街では「ムスリムがあんなことをやるはずはない」という声が強かった。テロはイスラエルの陰謀でユダヤ人はあの朝は出勤しなかった、というデマを信じる人も多かった。
アラブをはじめとするイスラム諸国民の欧米に対する嫌悪感は根深いものがある。モロッコの社会学者ファーティマ・メルニーシー氏は、ベルリンの壁が崩れて歓喜するドイツ人をテレビで見た、首都ラバトの靴屋が叫んだ言葉を記している。
「なんてこった! ドイツ人も自分たちと同じように感じているんじゃないか! 自分よりも貧しい同胞を愛し、彼らを解放しようとしているんだ」「異教徒なのに人道主義者。アッラーは偉大なり!」
『宗教性が濃い人格形成』
おおらかなまでの偏見だ。これほどの偏見は偏向報道だけでは生まれまい。パキスタンの週刊紙フライデー・タイムズに載った「テロの根っこ」と題する寄稿でサルマン・タリク・クレシ氏はこう述べる。
「西洋の価値観は、いまイスラムの価値観と見られているものに対する呪いだ、という見方に私たちは戻る。この文化的嫌悪の大釜に、西側の帝国主義的な海外プレゼンスの香辛料を加え、米国が実際に犯している多くの暴虐で味付けし、それを何世紀にもわたる民族的な屈辱の火にかける。そうすればムスリムの疎外感の源について、いくらか洞察できるようになる」
パレスチナ紛争やイラク制裁といった目に見える問題の底に、開放的な性や無秩序な家族関係といった欧米のライフスタイルに対する嫌悪が横たわる。しかも、質実なイスラムの価値がその影響によって脅かされている。そうした認識がムスリムの怒りにつながる、という見方である。
メルニーシー氏が著した「イスラームと民主主義」(平凡社選書)によると、アラブ諸国では就学前の幼児はコーラン学校に通う。多くは分厚いコーランをひたすら暗記させるだけだ。また、80年代にサウジアラビアではラジオ放送の30%、エジプトでは19%が宗教番組だったと指摘する。
フリードマン氏は、サウジの10年生の宗教の教科書は「ムスリムは互いに忠実であり、異教徒を敵とみなす義務がある」と書いていると批判する。こんな例はまれではあろうが、アラブ諸国では総じて、宗教性の濃い人格形成がいまも続いている。
民主的でない政治や発展の遅れた経済、閉鎖的な社会、宗教的な文化などが互いに絡み合い、人びとは不満をのみこんで生きる。千年前には西洋を野蛮と見下していたアラブ世界が、近代化に失敗して欧州の植民地になり、いまは米国に従わされているという屈辱感もある。文明の衝突を招かないためには、こうした多くの問題を丹念に解きほぐしていくしかあるまい。
これは メッセージ 128595 (chottomato2 さん)への返信です.
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