星の数ほどの可能性
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2001/12/21 00:08 投稿番号: [126819 / 177456]
>そういう立派な指揮官が上にたつと、そもそも、他国やテロ組織などから易々と
>攻撃を受けるような事態にはならないわけです。
社会が賢人によって構成されているなら、いずれ軍事力なんていらなくなるんです。
ではなぜ軍事力が必要かというと、その社会が賢人で構成されていないから。
ではそれはなぜかというと、「人間の文明がそこまで進歩していないから」
(いずれそのうち人は賢人になり、軍事力は社会からなくすことが出来る)という論と、
「戦争は人間の闘争本能や業によるものだ」(人間が人間である限り賢人にはなれない、
ゆえに戦争はなくならない)という論の、2つにわけて考えることが出来ると思います。
katakorichanの意見は前者の立場ですよね。
有能な指揮官(賢人)によって社会が導かれているという前提で、軍事力はいらない、と。
私も前者の立場なので反論しません。というか、賛成です。
誰か、戦争は未来永劫なくならない(後者)という意見の人に反論してもらうと良いでしょうね。
…と、それだけではあまりに投げやりなので(^^;、もう一つの視点を紹介しましょうか。
ものの価値って何で決まるかというのはいろいろ複雑なんだけど、
一つの意見として「そのものの秘める可能性の数」によって価値が決まるという
考え方があります。
ええと、例えばkatakorichanは10万円の現金と10万円の冷蔵庫のどちらが欲しいですか?
どちらも値打ちは同じはずなんですが、ほとんどの人は10万円の現金の方に
より多くの価値を見いだすのではないでしょうか。
なぜかというと、冷蔵庫は冷蔵庫にしかならないけど、現金は冷蔵庫にもTVにも
食べ物にも旅行にも、いろんなものに変化するから。その分「可能性を秘めている」訳です。
これを社会に適応してみると、より価値のある社会とは「多くの可能性を秘めた社会」だと
することができます。その中から社会の住人が望ましい一つを選べる社会、かな?
例えば共産主義的な計画経済は西側の自由経済に勝てなかった。それは、
計画経済がその計画が達成できるか出来ないかという「2つの可能性」しか持たないのに対して
自由経済は、計画などない「無数の可能性」をもっていたから勝てた、と考える。
では軍事力をどう考えるか。
軍事力のない社会は、軍事力のある社会よりも1つ「可能性」が少ない。
つまり「物事を軍事力で解決できる可能性」がないぶん、軍事力のない社会は
軍事力のある社会に劣る…と考えるんです。
だからどの国も軍事力を手放そうとしない。日本のように戦争をほとんどしない国でも、
選択肢が減るのは嫌だから軍事力を保有していると説明できます。
この考え方は一つのモデルで、「冷蔵庫」と「TV」の違いを無視したように、
「軍事」と「非軍事」の間の道義的な違いをデフォルメしてしまっていることに注意。
別にこれで「軍事力ばんざい」と言いたいわけではないんです。
ちょっとした思考実験です。当たっているかどうかもわかりゃしない(^^;。
で、この考え方に基づいて「軍事力のない世界」を実現するためにどうすればいいかを
考えてみると…私はめんどくさがりなので、あとはkatakorichanにお任せします(笑)。
続き、考えてみますか?
>攻撃を受けるような事態にはならないわけです。
社会が賢人によって構成されているなら、いずれ軍事力なんていらなくなるんです。
ではなぜ軍事力が必要かというと、その社会が賢人で構成されていないから。
ではそれはなぜかというと、「人間の文明がそこまで進歩していないから」
(いずれそのうち人は賢人になり、軍事力は社会からなくすことが出来る)という論と、
「戦争は人間の闘争本能や業によるものだ」(人間が人間である限り賢人にはなれない、
ゆえに戦争はなくならない)という論の、2つにわけて考えることが出来ると思います。
katakorichanの意見は前者の立場ですよね。
有能な指揮官(賢人)によって社会が導かれているという前提で、軍事力はいらない、と。
私も前者の立場なので反論しません。というか、賛成です。
誰か、戦争は未来永劫なくならない(後者)という意見の人に反論してもらうと良いでしょうね。
…と、それだけではあまりに投げやりなので(^^;、もう一つの視点を紹介しましょうか。
ものの価値って何で決まるかというのはいろいろ複雑なんだけど、
一つの意見として「そのものの秘める可能性の数」によって価値が決まるという
考え方があります。
ええと、例えばkatakorichanは10万円の現金と10万円の冷蔵庫のどちらが欲しいですか?
どちらも値打ちは同じはずなんですが、ほとんどの人は10万円の現金の方に
より多くの価値を見いだすのではないでしょうか。
なぜかというと、冷蔵庫は冷蔵庫にしかならないけど、現金は冷蔵庫にもTVにも
食べ物にも旅行にも、いろんなものに変化するから。その分「可能性を秘めている」訳です。
これを社会に適応してみると、より価値のある社会とは「多くの可能性を秘めた社会」だと
することができます。その中から社会の住人が望ましい一つを選べる社会、かな?
例えば共産主義的な計画経済は西側の自由経済に勝てなかった。それは、
計画経済がその計画が達成できるか出来ないかという「2つの可能性」しか持たないのに対して
自由経済は、計画などない「無数の可能性」をもっていたから勝てた、と考える。
では軍事力をどう考えるか。
軍事力のない社会は、軍事力のある社会よりも1つ「可能性」が少ない。
つまり「物事を軍事力で解決できる可能性」がないぶん、軍事力のない社会は
軍事力のある社会に劣る…と考えるんです。
だからどの国も軍事力を手放そうとしない。日本のように戦争をほとんどしない国でも、
選択肢が減るのは嫌だから軍事力を保有していると説明できます。
この考え方は一つのモデルで、「冷蔵庫」と「TV」の違いを無視したように、
「軍事」と「非軍事」の間の道義的な違いをデフォルメしてしまっていることに注意。
別にこれで「軍事力ばんざい」と言いたいわけではないんです。
ちょっとした思考実験です。当たっているかどうかもわかりゃしない(^^;。
で、この考え方に基づいて「軍事力のない世界」を実現するためにどうすればいいかを
考えてみると…私はめんどくさがりなので、あとはkatakorichanにお任せします(笑)。
続き、考えてみますか?
これは メッセージ 126794 (katakorichan さん)への返信です.
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