暴力論ではないですが・・・(3)
投稿者: gegendenkrieg 投稿日時: 2001/11/01 02:49 投稿番号: [109873 / 177456]
続き
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宗教的な原理主義や道徳的な原理主義の困ったところは、革命と抵抗について素朴な考え方を抱くこと、とくにみずから進んでひとを殺したり、ひとに殺されることを受け入れようとすることだ。そしてこうした考え方が、あまりにも簡単に先進的な技術と結びつき、人々を怯えさせる報復という行動に喜びを感じるようになることだ。ニューヨークとワシントンを爆撃して自殺した犯人たちは、貧しい貧民ではなく、教育のある中産階級の人々のようだ。賢い指導者たちであれば、教育と、大衆の動員と、忍耐強い組織活動によって大義を実現しようとするだろう。しかし貧しく、絶望した人々は、今回のテロのように、宗教的なはったりやたわごとで仮装した魔術的な思考方法と、手早い血なまぐさい解決策へと誘い込まれがちなのだ。
ところで巨大な軍事および経済的な力をもっているからといって、叡智や道徳的な見方が生まれるものではない。今回の危機においても、懐疑的な意見や人道的な意見はほとんど耳にすることがなかった。アメリカは自国の領土から遠く離れた場所で、長期的な戦争を戦う方向に進む用意をしている。そしてごく不確実な根拠に基づいて、いったいどのような目的に向かうつもりなのかも明らかにしないまま、同盟国に支援を強要している。
戦争を求める声や信念が声高に語られているが、わたしたちは、人々をたがいにへだてる想像の上だけの区別から一歩さがって、こうしたラベルづけが正しいのかどうかを再検討する必要がある。利用できる限られた資源について確認し、わたしたちが互いにどのような運命を分かち持とうとするのかを、決めるべきなのである。これまでの多くの文明はそうしてきたのだ。
イスラムと西洋の対決というモットーは、考えもなく従うにはあまりに不適切なものではないだろうか。この旗印のもとに馳せ参じる人々もいるだろうが、一息いれて批判的なみかたをすることもなく、不正と抑圧がたがいに結び付いてきた過去の歴史を振り返ることもなく、たがいに解放と啓蒙をすすめることを模索することもなく、将来の世代に長期的な戦争と苦悩の責めを負わせることは、必然的なことなどではなく、意図的な営みだといわざるをえない。
他者を悪魔のように考えるのは、品位ある政治の確固とした基盤にはならない。とくに現在では、不正なテロの土台を取り去り、テロリストを孤立させ、阻止し、テロを実行できなくすることが可能であることを考えると、これはとうてい望ましいこととは言えない。たしかにそのためには忍耐と啓蒙が必要だ。しかしこれは、さらに大規模な暴力と苦悩へと突き進むよりは、はるかに有効な投資となるだろう。
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宗教的な原理主義や道徳的な原理主義の困ったところは、革命と抵抗について素朴な考え方を抱くこと、とくにみずから進んでひとを殺したり、ひとに殺されることを受け入れようとすることだ。そしてこうした考え方が、あまりにも簡単に先進的な技術と結びつき、人々を怯えさせる報復という行動に喜びを感じるようになることだ。ニューヨークとワシントンを爆撃して自殺した犯人たちは、貧しい貧民ではなく、教育のある中産階級の人々のようだ。賢い指導者たちであれば、教育と、大衆の動員と、忍耐強い組織活動によって大義を実現しようとするだろう。しかし貧しく、絶望した人々は、今回のテロのように、宗教的なはったりやたわごとで仮装した魔術的な思考方法と、手早い血なまぐさい解決策へと誘い込まれがちなのだ。
ところで巨大な軍事および経済的な力をもっているからといって、叡智や道徳的な見方が生まれるものではない。今回の危機においても、懐疑的な意見や人道的な意見はほとんど耳にすることがなかった。アメリカは自国の領土から遠く離れた場所で、長期的な戦争を戦う方向に進む用意をしている。そしてごく不確実な根拠に基づいて、いったいどのような目的に向かうつもりなのかも明らかにしないまま、同盟国に支援を強要している。
戦争を求める声や信念が声高に語られているが、わたしたちは、人々をたがいにへだてる想像の上だけの区別から一歩さがって、こうしたラベルづけが正しいのかどうかを再検討する必要がある。利用できる限られた資源について確認し、わたしたちが互いにどのような運命を分かち持とうとするのかを、決めるべきなのである。これまでの多くの文明はそうしてきたのだ。
イスラムと西洋の対決というモットーは、考えもなく従うにはあまりに不適切なものではないだろうか。この旗印のもとに馳せ参じる人々もいるだろうが、一息いれて批判的なみかたをすることもなく、不正と抑圧がたがいに結び付いてきた過去の歴史を振り返ることもなく、たがいに解放と啓蒙をすすめることを模索することもなく、将来の世代に長期的な戦争と苦悩の責めを負わせることは、必然的なことなどではなく、意図的な営みだといわざるをえない。
他者を悪魔のように考えるのは、品位ある政治の確固とした基盤にはならない。とくに現在では、不正なテロの土台を取り去り、テロリストを孤立させ、阻止し、テロを実行できなくすることが可能であることを考えると、これはとうてい望ましいこととは言えない。たしかにそのためには忍耐と啓蒙が必要だ。しかしこれは、さらに大規模な暴力と苦悩へと突き進むよりは、はるかに有効な投資となるだろう。
これは メッセージ 109738 (chao_zoo さん)への返信です.
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