ウイルヘルム・ライヒ2
投稿者: bobositai 投稿日時: 2001/10/26 11:24 投稿番号: [106027 / 177456]
ライヒは自説を発展させ、大気中に存在するオルゴンは質量がゼロの根源的エネルギ−であり、日光によって生まれ、肺臓から体内に吸収されることを証明しようとした。オルゴンで特筆されることは、明らかにエントロピ−の法則に矛盾する性質があるということである。電気、熱などはエネルギ−の高いところから低いところへ流れるが、オルゴンは逆に低いところから高いところへ流れるのだ。実は地球そのものはオルゴンに覆われているのだ。そして地表上でオルゴンの濃度が最大になる場所は水源地である。ライヒによると水源地は天然のアキュムレ−タであり、オルゴンの貯蔵所として地上、地下の別なく周囲のオルゴンを更に集めるのだという。天然であれ人工的であれ、地上のオルゴン貯蔵所により強力なオルゴンが貯め込まれていると、大気中の「オルゴン生命体」はそこへ引きつけられてくるということである。ライヒは未分類のエネルギ−を見つけようとした。大気中のオルゴンを見るためにオルゴノスコ−プを作った。生物を取り巻くエネルギ−場を詳しく測定しようとしてオルゴン場メ−タも作った。
こうして視覚的に、温度的に、電気的に、それに真空内でオルゴンが輝く作用も利用してオルゴンの存在を実証した。またそれ以外に原動機も作っているが、それがうまいことにオルゴン・エネルギ−だけを放出した。オルゴンには体内のバクテリアの作用を打ち消す機能がある。それに気づいたライヒは最初のアキュムレ−タと同じ原理に基づいて同じ形のより大きなものを作った。真っ暗なアキュムレ−タの中には人間が短時間だけ座ることが出来る。実験の参加者は大抵身体が温かくなって皮膚がひりひりしたと言っている。日焼けで皮膚がやや赤くなり易いのが難点だが、精神的な障害から癌まで全て目覚ましく快復するようになった。またもっと不思議なことも起きた。光り輝く微粒子がぐるぐる回転しながら壁から出て消えていくのが肉眼で見えたという。1951年ライヒはごく微量の放射線を媒体に用いてオルゴンと電磁気との関連性をオルゴノン研究所で実験をし探り始めた。1月5日、きっかり1ミリグラムのラジウムを予め準備しておいた、鉛の容器の中に置いた。容器は20層張りのオルゴン・アキュムレ−タになっている。
ラジウムを5時間放置するという実験をまる1週間繰り返し、最後の日は30分だけで止めた。ライヒはこの実験に関する著作「オラヌ−ル実験第一次報告書 1947-1951」を出版している。それによると実験の結果は異常というよりも当惑するものであった。実験の後でオルゴノン研究所に障害が現れ始めた。アキュムレ−タ内に備え付けたガイガ−カウンタは増え続ける放射線を記録していたが、遂に振り切れてぴくりとも動かなくなったのである。体細胞の治療実験に使っていたネズミも卒倒して死んでしまったのである。そして奇妙なことに刺すような匂いが研究所の上空に広がりだした。更に翌日になると分厚く重苦しい雲が不気味に集まってきて、夜になると研究所の建物や辺り一帯が輝き始めた。また更に悪いことに、ラジウムを取り除いても事態は変わるどころか、よけい酷くなってしまった。ライヒはすぐに体調を崩して倒れ、何日も生死の境をさまよい続けた。やっかいな雲はその後何週間もラングレ−上空に集まり、重苦しく陰気な風景に囲まれたオルゴノン研究所は、いまにも最後の審判の日を迎えようかという雰囲気になった。
研究所の職員や客は病気になり、物が消えだしたかと思うと奇妙にも現れ、何もかもが薄紫色のオ−ラでうっすらと染まり、研究所の空気はいつも乾燥していた。ゴムホ−スの様に曲がった白樺の木は、まるで見えない雪が積もっているように見えるし、すぐ側の木々の茂みは黒ずんで枯れ、研究所は死の雰囲気に覆われているようであった。また実験のすぐ後で、オルゴノン研究所の上空に脈動する黄赤色の巨大化な光体が現れるようになった。研究所の上に奇妙な光が浮かんでいると助手が知らせて来たのでライヒにも容易に確認出来た。ライヒは自らUFOを見た訳ではないが、1947年の夏から世界各地で目撃されるようになった「空飛ぶ円盤」の研究報告を読みあさり、ライヒはそれが実在する可能性を心から信じていた。一連の実験で分かったことは、ラングレ−の環境や大気中のオルゴンは元々均衡が取れていたのに、それを乱してしまったということだった。最終結論としては、実験によってオルゴンの突然変異体である有害な変種が密集しているもので、それを作りだしたということになった。ライヒはそれをDOR( Deadly Orgon )と名付けている。
こうして視覚的に、温度的に、電気的に、それに真空内でオルゴンが輝く作用も利用してオルゴンの存在を実証した。またそれ以外に原動機も作っているが、それがうまいことにオルゴン・エネルギ−だけを放出した。オルゴンには体内のバクテリアの作用を打ち消す機能がある。それに気づいたライヒは最初のアキュムレ−タと同じ原理に基づいて同じ形のより大きなものを作った。真っ暗なアキュムレ−タの中には人間が短時間だけ座ることが出来る。実験の参加者は大抵身体が温かくなって皮膚がひりひりしたと言っている。日焼けで皮膚がやや赤くなり易いのが難点だが、精神的な障害から癌まで全て目覚ましく快復するようになった。またもっと不思議なことも起きた。光り輝く微粒子がぐるぐる回転しながら壁から出て消えていくのが肉眼で見えたという。1951年ライヒはごく微量の放射線を媒体に用いてオルゴンと電磁気との関連性をオルゴノン研究所で実験をし探り始めた。1月5日、きっかり1ミリグラムのラジウムを予め準備しておいた、鉛の容器の中に置いた。容器は20層張りのオルゴン・アキュムレ−タになっている。
ラジウムを5時間放置するという実験をまる1週間繰り返し、最後の日は30分だけで止めた。ライヒはこの実験に関する著作「オラヌ−ル実験第一次報告書 1947-1951」を出版している。それによると実験の結果は異常というよりも当惑するものであった。実験の後でオルゴノン研究所に障害が現れ始めた。アキュムレ−タ内に備え付けたガイガ−カウンタは増え続ける放射線を記録していたが、遂に振り切れてぴくりとも動かなくなったのである。体細胞の治療実験に使っていたネズミも卒倒して死んでしまったのである。そして奇妙なことに刺すような匂いが研究所の上空に広がりだした。更に翌日になると分厚く重苦しい雲が不気味に集まってきて、夜になると研究所の建物や辺り一帯が輝き始めた。また更に悪いことに、ラジウムを取り除いても事態は変わるどころか、よけい酷くなってしまった。ライヒはすぐに体調を崩して倒れ、何日も生死の境をさまよい続けた。やっかいな雲はその後何週間もラングレ−上空に集まり、重苦しく陰気な風景に囲まれたオルゴノン研究所は、いまにも最後の審判の日を迎えようかという雰囲気になった。
研究所の職員や客は病気になり、物が消えだしたかと思うと奇妙にも現れ、何もかもが薄紫色のオ−ラでうっすらと染まり、研究所の空気はいつも乾燥していた。ゴムホ−スの様に曲がった白樺の木は、まるで見えない雪が積もっているように見えるし、すぐ側の木々の茂みは黒ずんで枯れ、研究所は死の雰囲気に覆われているようであった。また実験のすぐ後で、オルゴノン研究所の上空に脈動する黄赤色の巨大化な光体が現れるようになった。研究所の上に奇妙な光が浮かんでいると助手が知らせて来たのでライヒにも容易に確認出来た。ライヒは自らUFOを見た訳ではないが、1947年の夏から世界各地で目撃されるようになった「空飛ぶ円盤」の研究報告を読みあさり、ライヒはそれが実在する可能性を心から信じていた。一連の実験で分かったことは、ラングレ−の環境や大気中のオルゴンは元々均衡が取れていたのに、それを乱してしまったということだった。最終結論としては、実験によってオルゴンの突然変異体である有害な変種が密集しているもので、それを作りだしたということになった。ライヒはそれをDOR( Deadly Orgon )と名付けている。
これは メッセージ 106026 (bobositai さん)への返信です.
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