ウイルヘルム・ライヒ
投稿者: bobositai 投稿日時: 2001/10/26 11:22 投稿番号: [106026 / 177456]
ニコラ・テスラと同様に、世紀の大発見の手掛かりをしていたと思われるのがウイルヘルム・ライヒである。彼は1897年3月24日、旧オ−ストリア帝国領のガルシア地方ドブルツィニカで誕生した。彼自身が幼少期から青年期にかけての生い立ちを他人に語らなかったため詳細は分からないが、当時としては比較的中流の家庭である農場主の長男として生まれている。ライヒは第一次世界大戦に従軍後、ウィ−ン大学医学部で精神医学を専攻し、1922年には医学博士号を取得している。彼は後に「人はなぜ生まれそして死んでいくのだろうか」という壮大な人生のテ−マに挑んでいくことになる。彼がまだ学生だった頃、オ−ストリアでも既に名声を得ていた精神分析医ジ−クムント・フロイト博士の「リピド−理論:性的衝動エネルギ−」に引かれ、精神分析総合研究所で彼の助手となる。これらの業績が学位の取得に結び付いたとも考えられるが、当時6年制の大学を4年という短期間で卒業したエピソ−ドから天才たる資質を窺い知ることが出来る。また彼の才能を見抜いていた恩師フロイトの推薦でウィ−ン精神医学協会の会員となる。
翌年には「オルガスム体験能力」という1つの革命的理論を、そして後に「オルガスムの機能」発表している。しかしこの学説は結果的にみるとフロイトの学説と対決することになり、異端のレッテルを貼られたうえ、国際精神分析連合から追放されてしまうのだった。そして遂に1939年にアメリカへ移つらざるをえなかった。その後数年間は、独自に生物物理学の研究に没頭する。ウィルヘルム・ライヒは性エネルギ−と電気エネルギ−の関係を研究中の1939年、根源的エネルギ−の存在を直観し、その未知のエネルギ−に「オルゴン」という名を与え本格的な研究を開始した。あるときライヒは精巧な顕微鏡を使い、倍率を極端に高くして腐った食物を調べていた。すると青緑色に輝く小球が食物から放出されているのを発見した。生物エ−テルの存在を信じるライヒは脈動するエネルギ−の小胞が見えたと思った。そして、それが波形放射する生物エ−テルの「バイオン」だと思ったのだ。バイオンは既に19世紀に、フランスの有名な科学者、H・チャ−ルトン・バスチャンによって発見されている。そのバイオンをライヒは再発見したらしいのだ。
ライヒは興奮したが慎重を期して、バイオンにはどの様な性質があるのか、その生態を調べ始めた。そしてまもなくバイオンが必ず腐敗物から放出されることを立証した。バイオンには確かに固有の性質があり、他のバクテリアを攻撃するらしいことが分かった。金属にも入り込むこともあるし、石炭や砂の様な無生物の中にも存在している。ライヒは1939年まで研究を続けたものの、ある予期せぬトラブルが発生したのだ。顕微鏡でエネルギ−の小気泡を調べていたので目を焼かれ結膜炎の症状が現れたり、顔の皮膚に日焼けが目立つようになった。そこでライヒは賢明にも、金属の裏打ちがついた簡単なボックスを作った。ところが、それでバイオンを分離しようとすると逆に不思議な副次効果が現れるのである。実験を始めるとすぐに、蓋の上の温度が高くなるのである。興味を持ったライヒは実験を続け、1940年に最初のアキュムレ−タを作った。アキュムレ−タは六面体のボックスで内側に有機物と無機物の層を交互に重ね絶縁をほどこしている。絶縁物質の層によって生命エネルギ−「バイオン」を閉じこめたり、向きを変えたり、強くすることが出来る。
層の数が増えれば効果も高くなる。アキュムレ−タのボックスは太陽光線に反応する温室のように、バイオンの小胞を捕らえて集中させるのだ。バイオンを放出させることで未知のエネルギ−、すなわち一定の割合で放出されるらしい放射線を強めることが出来る。しかしそれはまた、結膜炎や日焼けを引き起こす。作物であろうと、僅か一滴の血であろうと、あらゆるものの中にこの放射線は存在する。ライヒはそれを立証し、その放射線に「オルゴン」という名前をつけた。ライヒは後に、こう考えるようになった。「オルゴンは濃度の違いはあっても、地中、空中、宇宙にと、あらゆるところに存在する。オルゴンの集まる場所は(オルゴン外皮)と呼ばれている部分、つまり大気圏上部のオルゴン層の中にある。オルゴンはエネルギ−の媒体役としてし他の運動エネルギ−を集中させる。そしてそのために電磁場や重力場の力が強力に働き、オルゴンの光が動いたり、空が青いのも、森林地帯や山脈の上空で熱波がちらちら光るのも、雲、風、ハリケ−ン、北極光のオ−ロラまで、気象現象の大本はそこにある。全てはオルゴンによる副次的な影響であり、それが目に見えているだけなのだ」と。
翌年には「オルガスム体験能力」という1つの革命的理論を、そして後に「オルガスムの機能」発表している。しかしこの学説は結果的にみるとフロイトの学説と対決することになり、異端のレッテルを貼られたうえ、国際精神分析連合から追放されてしまうのだった。そして遂に1939年にアメリカへ移つらざるをえなかった。その後数年間は、独自に生物物理学の研究に没頭する。ウィルヘルム・ライヒは性エネルギ−と電気エネルギ−の関係を研究中の1939年、根源的エネルギ−の存在を直観し、その未知のエネルギ−に「オルゴン」という名を与え本格的な研究を開始した。あるときライヒは精巧な顕微鏡を使い、倍率を極端に高くして腐った食物を調べていた。すると青緑色に輝く小球が食物から放出されているのを発見した。生物エ−テルの存在を信じるライヒは脈動するエネルギ−の小胞が見えたと思った。そして、それが波形放射する生物エ−テルの「バイオン」だと思ったのだ。バイオンは既に19世紀に、フランスの有名な科学者、H・チャ−ルトン・バスチャンによって発見されている。そのバイオンをライヒは再発見したらしいのだ。
ライヒは興奮したが慎重を期して、バイオンにはどの様な性質があるのか、その生態を調べ始めた。そしてまもなくバイオンが必ず腐敗物から放出されることを立証した。バイオンには確かに固有の性質があり、他のバクテリアを攻撃するらしいことが分かった。金属にも入り込むこともあるし、石炭や砂の様な無生物の中にも存在している。ライヒは1939年まで研究を続けたものの、ある予期せぬトラブルが発生したのだ。顕微鏡でエネルギ−の小気泡を調べていたので目を焼かれ結膜炎の症状が現れたり、顔の皮膚に日焼けが目立つようになった。そこでライヒは賢明にも、金属の裏打ちがついた簡単なボックスを作った。ところが、それでバイオンを分離しようとすると逆に不思議な副次効果が現れるのである。実験を始めるとすぐに、蓋の上の温度が高くなるのである。興味を持ったライヒは実験を続け、1940年に最初のアキュムレ−タを作った。アキュムレ−タは六面体のボックスで内側に有機物と無機物の層を交互に重ね絶縁をほどこしている。絶縁物質の層によって生命エネルギ−「バイオン」を閉じこめたり、向きを変えたり、強くすることが出来る。
層の数が増えれば効果も高くなる。アキュムレ−タのボックスは太陽光線に反応する温室のように、バイオンの小胞を捕らえて集中させるのだ。バイオンを放出させることで未知のエネルギ−、すなわち一定の割合で放出されるらしい放射線を強めることが出来る。しかしそれはまた、結膜炎や日焼けを引き起こす。作物であろうと、僅か一滴の血であろうと、あらゆるものの中にこの放射線は存在する。ライヒはそれを立証し、その放射線に「オルゴン」という名前をつけた。ライヒは後に、こう考えるようになった。「オルゴンは濃度の違いはあっても、地中、空中、宇宙にと、あらゆるところに存在する。オルゴンの集まる場所は(オルゴン外皮)と呼ばれている部分、つまり大気圏上部のオルゴン層の中にある。オルゴンはエネルギ−の媒体役としてし他の運動エネルギ−を集中させる。そしてそのために電磁場や重力場の力が強力に働き、オルゴンの光が動いたり、空が青いのも、森林地帯や山脈の上空で熱波がちらちら光るのも、雲、風、ハリケ−ン、北極光のオ−ロラまで、気象現象の大本はそこにある。全てはオルゴンによる副次的な影響であり、それが目に見えているだけなのだ」と。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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