>死んだわけではないけども…
投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2004/11/05 14:40 投稿番号: [8358 / 20008]
>アラファトはそれでも
>「私は捕虜になるよりも、殉教者になることを選ぶ。殉教者、殉教者!」
>メディアにそう語って、支持者の喝采を得た。そして包囲が解除されると、Vサインをかざして
>…本人のサバイバル以外に、何ひとつ勝ち得てはいないのに…外に現れた。
>「またしても、アラファトは合意を守らず危機をもたらした。またしても、アラファトは彼我の力の差を読み誤った。
>またしても、アラブ諸国はアラファトに声援を送るのみで救出のため微動たりともしなかった。またしても、イスラエルはアラファトを殺さなかった。
>またしても、米国が救出のために動いた。またしてもアラファトは無傷で切り抜けた。
>しかし、またしても、アラファトがこの混乱と暴力の果てにもたらしたのは、本人のサバイバルだけだった」
>民衆に空虚な夢を与え続けたこの人物は、結局破壊と混乱以外に何ももたらさないまま、今その波乱に富んだ人生を閉じようとしている。
>本人しか所在を知らない莫大な隠れ資金も、永遠に行方がわからなくなるのだろう。
この人の生涯の夢(というか目標)は2つ。
1つは「パレスチナの独立」であり、もう1つは「その新国家の建国の父になること」だった。
(イスラエル人ならもう一つ、「イスラエルの殲滅」を付け加えるだろうけど、私はそう思わない。彼にとってイスラエルの殲滅は、上記2つの目標を達成するための手段にすぎなかったと思う)
彼は2つの目標を追い求めたが、それを同時に実現しようとした。
1つめの「パレスチナ独立」を実現するためには、
アッバスが初の首相になってロードマップに基づく交渉が開始した時点で、身を引いて「象徴」となっておく手があった。
それが出来なかったのは、結局2つ目の「建国の父になる」という夢を捨てられなかったため。
クリントン時代のバラク案に首を縦に振れなかったのも、同じ理由。
逆に、パレスチナ人にとって屈辱的なオスロ合意を飲んだのも、このためだろう。
常に「民衆の欲求」という下からの切実な声や「民族の目標」という長期的戦略よりも、「自分の生存」を優先してきたアラファト。
「生存」だけならともかく、「Mr.パレスチナ」であり続けるために、
彼はパレスチナの民衆の苦しみを利用し、イスラエルの民衆を殺戮し、アラブ諸国をペテンにかけてきた。
栄光はすべて自分の手柄、悲惨はすべて他人の責任。
これは メッセージ 8353 (abutouma さん)への返信です.
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