「ルポ:パレスチナの声、イスラエルの声」2
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2004/04/10 02:26 投稿番号: [7564 / 20008]
「パレスチナの政治的な危機とみえる自治政府の欠陥は、好むと好まざるとに
かかわらず、過去のパレスチナの歴史がもたらした”産物”であり結果なので
す。あらゆるパレスチナ人に責任があり、誰もその責任から逃れることはでき
ません」
91年マドリッドの中東和平会議でパレスチナ代表団団長を務めたハイデル・
アブドゥルシャーフィーは、オスロ合意に批判的でした。96年パレスチナ
評議会選挙に立候補しました。選挙をボイコットしたハマスなどオスロ合意反
対派からは、「オスロ合意に反対しながら、なぜ選挙に立候補するのか」とい
う批判の声も上がりました。しかし、アブドゥルシャーフィーには「パレスチ
ナ社会に民主主義を根付かせるためには選挙は不可欠」という信念がありまし
た。
ガザでトップ当選した彼は、しかし、1年9ヶ月後、評議会議員を辞任しまし
た。
「自治政府とその政府幹部は、評議会の決議を尊重あるいは採択せず、その結果
、評議会は完全に無視されてしまいました。こんなやり方はパレスチナ憲章の
原理に反すると説得し、努力しました。社会・評議会・政府組織・司法制度を
組織するような基本法を起草しました。しかし承認されませんでした」
「いまだに独立した司法を持っていません。また法的な原理への真の意味での
尊重はありません。それは深刻な問題です」
政府幹部の腐敗に対しては、
「調査はやりました。委員会を結成し、その調査結果を支持しました。それに
よれば、間違いなく腐敗があり、中には閣僚も関わっていました。しかし評議
会の報告書は政府幹部によって無視され、私たちの提言実施されませんでした
。評議会自体もその後この問題について沈黙することで自らの役割を損ねてし
まいました。だから私は議員を辞任したのです」
民衆はなぜ抗議しないのかという問いに対して、
「怖いから、というのがあります。そんなことをしなくても拘留されたり、投獄
されたり、拷問されたりしています。人々は脅かされています」
「パレスチナ自治政府自身が民間企業や独占企業を通して経済活動を行うように
なり、ガソリンや他の燃料、セメントなどの建設資材、そのほかの分野での
独占状態が民間投資家たちを崩壊させてしまいました」
「自治政府や民間セクターの人間が企業を所有するだけでなく、その企業が他に
はない特権を握ったのです。まず彼らは税金を払いませんでした。公務員とし
て給与が支払われている労働者を、その企業が給与を払わずに自由に使って
いたのです。土地を無償で入手できます。これらすべてが市場での自由競争を
妨げていることは明らかです」
<Ⅲ>第二次インティファーダの勃発
・2000年9月シャロンがハラム・アッシャリーフ(神殿の丘)訪問
・これを機に第二次インティファーダが勃発
・その後3年が過ぎ、パレスチナ側2800人、イスラエル側1000人の死者
<背景>には、
・2000年7月キャンプデービッドが失敗
パレスチナの77%を諦め、23%のミニ国家を受け入れるつもりでした。
しかし、
・東エルサレムの主権
・入植地の撤去
・67年の境界
・帰還権
これらについて、諦めろという圧力にアラファトは拒否
イスラエルの反応は、『これ程譲歩したのに』『前例のない寛大な提案』を
したのにもかかわらず、パレスチナ側が拒否し、しかも、インティファーダと
いう暴力で答えたと受け止めます。
その結果、「和平」と、それを推し進めた左派へのイスラエル国民の幻滅と
社会の右傾化がもたらされます。
ハイファ大学講師のイラン・パペ氏は、
イスラエル「国民は間違った情報のキャンペーンの犠牲者」
①数字のトリック:西岸の90%を与えると言いながら、その中には西岸の三分
の一は含まれない。実際には西岸の三分の二の90%、つまり60%程度
②エルサレムの主権を分け合うという提案がない
③パレスチナ独立国家については何も言及していない
「ヨルダン川西岸地区の10%をイスラエルに併合した残りの90%の土地も、
意図的にパレスチナ人の人口密集地の中に建設された37の入植地によって
ユダヤ人に分割され、実際は、200万人のパレスチナ人は西岸の50%から
なる孤立領土に暮らすことになり、残りの40%の土地はおよそ4万人の入植
者たちの”防衛網”によって分割・遮断されてしまう」(イスラエル紙
「イディオット・アハロノット」01年7月:タニア・レインハルト氏)
かかわらず、過去のパレスチナの歴史がもたらした”産物”であり結果なので
す。あらゆるパレスチナ人に責任があり、誰もその責任から逃れることはでき
ません」
91年マドリッドの中東和平会議でパレスチナ代表団団長を務めたハイデル・
アブドゥルシャーフィーは、オスロ合意に批判的でした。96年パレスチナ
評議会選挙に立候補しました。選挙をボイコットしたハマスなどオスロ合意反
対派からは、「オスロ合意に反対しながら、なぜ選挙に立候補するのか」とい
う批判の声も上がりました。しかし、アブドゥルシャーフィーには「パレスチ
ナ社会に民主主義を根付かせるためには選挙は不可欠」という信念がありまし
た。
ガザでトップ当選した彼は、しかし、1年9ヶ月後、評議会議員を辞任しまし
た。
「自治政府とその政府幹部は、評議会の決議を尊重あるいは採択せず、その結果
、評議会は完全に無視されてしまいました。こんなやり方はパレスチナ憲章の
原理に反すると説得し、努力しました。社会・評議会・政府組織・司法制度を
組織するような基本法を起草しました。しかし承認されませんでした」
「いまだに独立した司法を持っていません。また法的な原理への真の意味での
尊重はありません。それは深刻な問題です」
政府幹部の腐敗に対しては、
「調査はやりました。委員会を結成し、その調査結果を支持しました。それに
よれば、間違いなく腐敗があり、中には閣僚も関わっていました。しかし評議
会の報告書は政府幹部によって無視され、私たちの提言実施されませんでした
。評議会自体もその後この問題について沈黙することで自らの役割を損ねてし
まいました。だから私は議員を辞任したのです」
民衆はなぜ抗議しないのかという問いに対して、
「怖いから、というのがあります。そんなことをしなくても拘留されたり、投獄
されたり、拷問されたりしています。人々は脅かされています」
「パレスチナ自治政府自身が民間企業や独占企業を通して経済活動を行うように
なり、ガソリンや他の燃料、セメントなどの建設資材、そのほかの分野での
独占状態が民間投資家たちを崩壊させてしまいました」
「自治政府や民間セクターの人間が企業を所有するだけでなく、その企業が他に
はない特権を握ったのです。まず彼らは税金を払いませんでした。公務員とし
て給与が支払われている労働者を、その企業が給与を払わずに自由に使って
いたのです。土地を無償で入手できます。これらすべてが市場での自由競争を
妨げていることは明らかです」
<Ⅲ>第二次インティファーダの勃発
・2000年9月シャロンがハラム・アッシャリーフ(神殿の丘)訪問
・これを機に第二次インティファーダが勃発
・その後3年が過ぎ、パレスチナ側2800人、イスラエル側1000人の死者
<背景>には、
・2000年7月キャンプデービッドが失敗
パレスチナの77%を諦め、23%のミニ国家を受け入れるつもりでした。
しかし、
・東エルサレムの主権
・入植地の撤去
・67年の境界
・帰還権
これらについて、諦めろという圧力にアラファトは拒否
イスラエルの反応は、『これ程譲歩したのに』『前例のない寛大な提案』を
したのにもかかわらず、パレスチナ側が拒否し、しかも、インティファーダと
いう暴力で答えたと受け止めます。
その結果、「和平」と、それを推し進めた左派へのイスラエル国民の幻滅と
社会の右傾化がもたらされます。
ハイファ大学講師のイラン・パペ氏は、
イスラエル「国民は間違った情報のキャンペーンの犠牲者」
①数字のトリック:西岸の90%を与えると言いながら、その中には西岸の三分
の一は含まれない。実際には西岸の三分の二の90%、つまり60%程度
②エルサレムの主権を分け合うという提案がない
③パレスチナ独立国家については何も言及していない
「ヨルダン川西岸地区の10%をイスラエルに併合した残りの90%の土地も、
意図的にパレスチナ人の人口密集地の中に建設された37の入植地によって
ユダヤ人に分割され、実際は、200万人のパレスチナ人は西岸の50%から
なる孤立領土に暮らすことになり、残りの40%の土地はおよそ4万人の入植
者たちの”防衛網”によって分割・遮断されてしまう」(イスラエル紙
「イディオット・アハロノット」01年7月:タニア・レインハルト氏)
これは メッセージ 7563 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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