パレスチナの現実(5)
投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2004/03/25 10:42 投稿番号: [7409 / 20008]
GivingTree さん、こんな現実もある。
◇
http://www.foreignaffairsj.co.jp/terrorism/hedge.html
パレスチナの子供たちは、幼い頃から民族主義と復讐の責務を聞かされて育ち、イスラエルに対する反発は世代を超えて社会に浸透している。貧困の中で困難な生活を余儀なくされている占領地の人々にとって、抵抗運動を繰り広げられることこそ生活の中で最も没頭できることなのかもしれない。かつてのインティファーダの英雄たちの時代は去り、今や幅を利かせているのは、ファタハの腐敗とは無縁な、髭をのばしたイスラムの戦士たちである。
ガザ地区の町並みの壁には、イスラエル兵に狙撃された「殉教者」のポスター大の写真が至るところに貼られている。写真の多くは、エルサレムにある、ドームが金で覆われたエルアクサ寺院の前で銃を構えたスナップだが、実際には今回の紛争が起きるずっと前にスタジオで撮られた写真である。銃は偽物だし、きらきらと輝くモスクも注意深く選ばれた背景写真だ。こうした写真の中に何か真実があるとすれば、それはイスラエルと戦ってパレスチナ国家を勝ち取ろうとする若者の熱意、それも、必要なら死をも厭わない熱意だろう。少なくとも、これらの写真が色褪せたり、はがれ落ちるまでは、殺された若者たちの写真が彼らのヒロイズムを人々に伝え続けることになる。
彼の家族によれば、レイドはあえて殉教者になろうとした。彼はガザ地区での生活に絶望し、イスラエルを憎み、そして自らの命を捧げなければすでに殉教者となった人々の名声を汚すことになると信じ込んでいた。
ガザ地区の労働者の中でイスラエルで働けるのはわずか二千八百人ばかり。その多くは、若者ほどはイスラエルの治安を脅かさないと考えられている中年の男性である。その結果、ガザ地区の若者は職にも就けず、することもなければ、行き場所もない。家賃も払えないために結婚もできず、イスラエルにさえ行けず、ガザにとどまるしかない。つまり、人々に認められ、名声を手にしたいと望む青年にとっては、殉教者となる以外に道はない。それがどんなに短い期間の名声であっても。
母親のファタは「この四、五年はあの子は殉教者になることしか頭になかったのです」と語る。「私はイスラエル兵とのこぜりあいの場所には行かないでおくれと頼みました。でも弟が紛争でけがをしてからというもの、イスラエル兵と戦うことが自分の義務だと考えるようになってしまって……。レイドは家を出るとき私に『神のご加護を』と言ったのですよ。私には息子がもう帰ってこないつもりだと分かっていました」。
レイドのようなパレスチナ人は、自分たちが乱用され、絶望と不正の中で生きていると教え込まれて育っている。親たちは、かつて自分の土地を追われ、親戚が殺されるか、追放されたことを子どもに幾度となく語って聞かせる。こうして子どもたちはパレスチナ国家という幻影のために命を捧げた身内の殉教者の名前を胸に刻み込む。パレスチナの家庭の多くでは、イギリスの委任統治政庁が発行したセピア色の土地登記書がフレームに入れて飾られている。老人の中には、すでに無くなっている昔の家の鍵を持っている者もいる。子どもは、幼いころから民族主義と復讐の責務を聞かされる。ボスニア同様に、彼らの反発は世代を超えて社会に深く浸透しており、この反発が表面化するか、あるいは多くの場合、流血の惨事を経て緩和されるかのいずれかである。
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http://www.foreignaffairsj.co.jp/terrorism/hedge.html
パレスチナの子供たちは、幼い頃から民族主義と復讐の責務を聞かされて育ち、イスラエルに対する反発は世代を超えて社会に浸透している。貧困の中で困難な生活を余儀なくされている占領地の人々にとって、抵抗運動を繰り広げられることこそ生活の中で最も没頭できることなのかもしれない。かつてのインティファーダの英雄たちの時代は去り、今や幅を利かせているのは、ファタハの腐敗とは無縁な、髭をのばしたイスラムの戦士たちである。
ガザ地区の町並みの壁には、イスラエル兵に狙撃された「殉教者」のポスター大の写真が至るところに貼られている。写真の多くは、エルサレムにある、ドームが金で覆われたエルアクサ寺院の前で銃を構えたスナップだが、実際には今回の紛争が起きるずっと前にスタジオで撮られた写真である。銃は偽物だし、きらきらと輝くモスクも注意深く選ばれた背景写真だ。こうした写真の中に何か真実があるとすれば、それはイスラエルと戦ってパレスチナ国家を勝ち取ろうとする若者の熱意、それも、必要なら死をも厭わない熱意だろう。少なくとも、これらの写真が色褪せたり、はがれ落ちるまでは、殺された若者たちの写真が彼らのヒロイズムを人々に伝え続けることになる。
彼の家族によれば、レイドはあえて殉教者になろうとした。彼はガザ地区での生活に絶望し、イスラエルを憎み、そして自らの命を捧げなければすでに殉教者となった人々の名声を汚すことになると信じ込んでいた。
ガザ地区の労働者の中でイスラエルで働けるのはわずか二千八百人ばかり。その多くは、若者ほどはイスラエルの治安を脅かさないと考えられている中年の男性である。その結果、ガザ地区の若者は職にも就けず、することもなければ、行き場所もない。家賃も払えないために結婚もできず、イスラエルにさえ行けず、ガザにとどまるしかない。つまり、人々に認められ、名声を手にしたいと望む青年にとっては、殉教者となる以外に道はない。それがどんなに短い期間の名声であっても。
母親のファタは「この四、五年はあの子は殉教者になることしか頭になかったのです」と語る。「私はイスラエル兵とのこぜりあいの場所には行かないでおくれと頼みました。でも弟が紛争でけがをしてからというもの、イスラエル兵と戦うことが自分の義務だと考えるようになってしまって……。レイドは家を出るとき私に『神のご加護を』と言ったのですよ。私には息子がもう帰ってこないつもりだと分かっていました」。
レイドのようなパレスチナ人は、自分たちが乱用され、絶望と不正の中で生きていると教え込まれて育っている。親たちは、かつて自分の土地を追われ、親戚が殺されるか、追放されたことを子どもに幾度となく語って聞かせる。こうして子どもたちはパレスチナ国家という幻影のために命を捧げた身内の殉教者の名前を胸に刻み込む。パレスチナの家庭の多くでは、イギリスの委任統治政庁が発行したセピア色の土地登記書がフレームに入れて飾られている。老人の中には、すでに無くなっている昔の家の鍵を持っている者もいる。子どもは、幼いころから民族主義と復讐の責務を聞かされる。ボスニア同様に、彼らの反発は世代を超えて社会に深く浸透しており、この反発が表面化するか、あるいは多くの場合、流血の惨事を経て緩和されるかのいずれかである。
これは メッセージ 7408 (GivingTree さん)への返信です.
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