>イスラム聖戦が2国家案容認へ
投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/12/11 14:14 投稿番号: [6970 / 20008]
「イスラム聖戦」というのは、確かにパレスチナ人の「イスラム原理主義組織」ですが、非常に小規模で秘密主義が徹底しており、しかも奇妙なことにパレスチナよりスポンサーであるイラン、シリアの方を向いている組織です。
この度、問題の発言をしたというナフェト・アザムという人物については、その経歴もまだよく把握していませんが、私の推測するに、イラン、シリアの意向を汲んでの発言ではないでしょうか。イランの「ハタミ政権」、シリアの「アサド政権」は、自国と同様にアメリカから「テロ支援国家」と名指しされていたイラクの「サダム・フセイン政権」が、米英の先制攻撃を受け崩壊したことに衝撃を受け、様々なチャンネルを通じて米英との関係改善を計っているとのことです。特に「バース党」の世俗政権であるシリアの「アサド政権」は危機感を強めており、イスラエルと「ゴラン高原問題」を解決し「平和条約」を結びたがっているという情報は、このところよく耳にします。
●「イスラム聖戦」
「ムスリム同胞団」の影響を受けた「イスラム原理主義者」であったアブドラアジズ・アル・アウドとファティ・アル・シャカキが、1979年の「ホメイニ革命」を機に 「ホメイニ主義者」に転向し、1981年にガザにて「イスラム聖戦(Islamic
Jihad
Palestine)」を創設。
その後、特に「イスラム聖戦」の代表となったファティ・アル・シャカキは、熱烈な「ホメイニ主義者」となり、“アラブ民族主義を唱える世俗国家は非イスラム的存在であり否定されるべき、追求されるべきは政教一致の汎イスラム共和国の建設”などと「ホメイニ主義」の宣伝に務め、ルホラ・ホメイニに関する著書も著すなど、パレスチナよりむしろイランで有名な人物になった。
しかし1995年10月29日、シャカキはイブラヒム・ドーウィッシュと偽名を名乗りマルタ島に滞在していたところを「モサド」の工作員2名に暗殺された。この時、パレスチナではそれほど騒がれなかったが、イランではシャカキの「国葬」が執り行われた。なお、シャカキの後任にはラマダン・アブドラ・シャラハが就任したが、この人物にはシャカキのようなカリスマ性はない。
現在も「イスラム聖戦」の軍資金のほとんどはイランが提供しているが、シリア、リビアからも資金提供を受けている。
これは メッセージ 6969 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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