イスラエル/パレスチナ和平

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イスラエル年表、再掲(改) 2/3

投稿者: r911911911 投稿日時: 2003/06/23 00:25 投稿番号: [5773 / 20008]
1983年   PLOとパレスチナ人は自分達への援助とイスラエル打倒をアラブ諸国にしばしば依頼した。幾度も裏切られたが、中でもシリアはPLOを攻撃しパレスチナ人を多数殺害した。

1987年12月、ガザで「インティファーダ」始まる

○1987年から1994年の間にシン・ベットは2万3千人のパレスチナ人を尋問

1988年7月31日、フセイン・ヨルダン国王、西岸を法的・行政的に放棄する宣言

1988年11月、アルジェにてパレスチナ民族評議会。パレスチナ国家独立宣言

1988年12月、ジュネーブにてアラファトがテロ放棄とイスラエル生存権承認を宣言、安保理決議242、338受諾

1990年    PLOは傘下組織によるテロ行為を非難することを拒否し、米国との話し合いの機会を逸した。

1991年1月、湾岸戦争。PLOはクウェートに敵対するイラクを支持。湾岸アラブ諸国は援助金を打ち切り、パレスチナ人に更なる難民が発生した。

1991年10月、マドリード和平会議

1993年8月、オスロ合意「暫定(5年)自治に関する原則宣言」

○オスロ合意までのテロ事件は73件(死亡者21人、負傷者185人)

1994年、「ヘブロン乱射事件」(マクペラの洞窟のモスクで極右イスラエル青年が礼拝中のパレスチナ人に銃を乱射、死者約30人

1994年9月、湾岸評議会アラブ(対イスラエル)ボイコット停止

1994年10月、ヨルダン、イスラエルとの平和条約調印

○1993年9月のオスロ合意から1995年4月にPLOがハマスとの対立姿勢を対外的にほのめかすようになるまでの2年半におけるハマスの活動は非常に活発。パレスチナの対イスラエル攻撃は172回、そのうちの152回はハマスによるものと見られる。この間に死亡したイスラエル人の数は78人、負傷者は230人。この時期に自爆テロが登場。

1995年9月28日、パレスチナ自治拡大協定(タバ合意)

1995年11月、ラビン首相暗殺(犯人は大イスラエル主義のユダヤ青年)。

○パレスチナ人による一連の対イスラエルテロが、より保守的な(イスラエル)政府成立を促す結果となる。和平プロセスは3年間にわたりペースを落とした。

1996年1月、パレスチナ選挙、アラファト議長らPLO幹部ガザへ拠点移す

○1996年2月ハマスは5回の自殺テロ事件を起こし、イスラエル側に死者59人、負傷者200人を出した。自治政府はアメリカ、イスラエルの圧力を受けて3月にハマスの大量逮捕。

1996年5月、首相公選でリクード党首ネタニヤフ選出

○選挙直前に大テロがハマスによって起こされ右派リクードのネタニヤフ政権を招いたと考えられる。

1998年1月17日、ヘブロンからのイスラエル軍撤退合意(ヘブロン合意)

2000年、米国株ピークアウト(1月ダウ、3月ナスダック)

2000年5月24日、イスラエル、レバノン撤退終了

2000年7月11日、キャンプ・デービッドで3首脳による和平交渉(25日決裂)。パレスチナ側はウエストバンクとガザの95%を占める独立国を提示されたが拒絶。
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