イスラエル年表、再掲(改) 1
投稿者: r911911911 投稿日時: 2003/06/23 00:22 投稿番号: [5772 / 20008]
イスラエル年表
1897年8月、バーゼルにて第1回シオニスト会議
1913年、 サウジアラビア独立
1914年、 第一次世界大戦勃発(〜1918)
1920年、 レバノン独立
1922年7月、イギリスのパレスチナ委任統治が国際連盟で追認
1929年8月、エルサレムのユダヤ教聖地「嘆きの壁」でユダヤ人とパレスチナ人が衝突
1932年、 イラク独立
1933年、 ナチスが独政権掌握、パレスチナヘのユダヤ人大量移住始まる
1936年、 アラブの大蜂起(〜1939)
1939年9月、ナチス・ドイツポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発(〜1945年5月独降伏、8月日本降伏)
1941年、 シリア独立
1946年、 ヨルダン独立
1947年11月29日、パレスチナ分割案可決(国連決議181)
1948年5月14日、イスラエル独立宣言
○アラブ同盟イスラエル共和国攻撃、第一次中東戦争勃発。アラブ同盟側「すべてを手に入れなければ意味がない」「ユダヤ大殺戮」。
○1948年5月15日、アラブ同盟の事務総長アザム・パシャ「これは絶滅戦争となり、モンゴル軍や十字軍による大虐殺のような歴史的大事件として、後世の語り草となるであろう」。−第一次中東戦争はアラブの大敗。
1948年12月10日、世界人権宣言が国際連合で採択
1948年12月11日、国連総会決議194-III。難民の帰還問題に関する決議。アラブ諸国は当初この決議を拒絶したが、後に彼らは重々しくこれに依拠し決議が全的帰還権を承認したものとみなした(ルース・ラビドス:エルサレム・ヘブライ大学国際法教授)
。
○国連難民統計:71万6000人(ヨルダン川西岸28万人、トランス・ヨルダン7万人、レバノン10万人、イラク4000人、シリア75000人、エジプト7千人、ガザ19万人)
○アラブ諸国からのユダヤ人難民は62万9000人(1945-1972)
○カイロ放送「難民はイスラエルに対するアラブの闘争の礎石である。難民はアラブ民族、アラブ・ナショナリズムの武器である」
1950年5月、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)活動開始。この年の登録難民は91万人
○アラブ側は難民再定住に関する国連プランを、協議せずに拒絶した。それに続く4分の1世紀を通じ、イスラエルが繰り返し行った難民に対する補償提案を、受け取ることさえ拒否し続ける(ポール・ジョンソン)
○1950年代、ファタハ結成「パレスチナはパレスチナ人自身で取り返さなければならない」
1956年10月29日、第2次中東戦争(スエズ動乱)
1960年、国連総会で植民地解放宣言が採択される(アフリカ総会)
1961年、クウェート独立
1964年5月、エルサレムで第1回パレスチナ民族評議会(PNC)開催。PLO(パレスチナ解放機構)創設
1967年6月、第三次中東戦争(6日戦争)勃発。アラブ完敗。イスラエル、東エルサレムを併合
1967年11月、国連安保理決議242。「(最近の紛争で占領された)領土と平和の交換原則」
1970年09月、ヨルダン内戦(黒い9月)。PLOのヨルダン撤退
1973年10月、第四次中東戦争(ヨム・キプール)、エジプト・シリア軍イスラエル攻撃。国連安保理決議338(12時間以内の停戦、決議242の履行)。OAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟10ヶ国、毎月5%の石油減産を発表。
1974年10月、第7回アラブ首脳会議。PLOをパレスチナ人の「唯一正当な代表」とするラバト決議採択
1977年6月、ベギン首相リクード政権成立
1978年9月、キャンプ・デービッド合意
1982年4月、イスラエル軍シナイ半島から完全撤退。6月、イ軍レバノン侵攻。8月PLO、西ベイルートから撤退、チュニスへ脱出。
1897年8月、バーゼルにて第1回シオニスト会議
1913年、 サウジアラビア独立
1914年、 第一次世界大戦勃発(〜1918)
1920年、 レバノン独立
1922年7月、イギリスのパレスチナ委任統治が国際連盟で追認
1929年8月、エルサレムのユダヤ教聖地「嘆きの壁」でユダヤ人とパレスチナ人が衝突
1932年、 イラク独立
1933年、 ナチスが独政権掌握、パレスチナヘのユダヤ人大量移住始まる
1936年、 アラブの大蜂起(〜1939)
1939年9月、ナチス・ドイツポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発(〜1945年5月独降伏、8月日本降伏)
1941年、 シリア独立
1946年、 ヨルダン独立
1947年11月29日、パレスチナ分割案可決(国連決議181)
1948年5月14日、イスラエル独立宣言
○アラブ同盟イスラエル共和国攻撃、第一次中東戦争勃発。アラブ同盟側「すべてを手に入れなければ意味がない」「ユダヤ大殺戮」。
○1948年5月15日、アラブ同盟の事務総長アザム・パシャ「これは絶滅戦争となり、モンゴル軍や十字軍による大虐殺のような歴史的大事件として、後世の語り草となるであろう」。−第一次中東戦争はアラブの大敗。
1948年12月10日、世界人権宣言が国際連合で採択
1948年12月11日、国連総会決議194-III。難民の帰還問題に関する決議。アラブ諸国は当初この決議を拒絶したが、後に彼らは重々しくこれに依拠し決議が全的帰還権を承認したものとみなした(ルース・ラビドス:エルサレム・ヘブライ大学国際法教授)
。
○国連難民統計:71万6000人(ヨルダン川西岸28万人、トランス・ヨルダン7万人、レバノン10万人、イラク4000人、シリア75000人、エジプト7千人、ガザ19万人)
○アラブ諸国からのユダヤ人難民は62万9000人(1945-1972)
○カイロ放送「難民はイスラエルに対するアラブの闘争の礎石である。難民はアラブ民族、アラブ・ナショナリズムの武器である」
1950年5月、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)活動開始。この年の登録難民は91万人
○アラブ側は難民再定住に関する国連プランを、協議せずに拒絶した。それに続く4分の1世紀を通じ、イスラエルが繰り返し行った難民に対する補償提案を、受け取ることさえ拒否し続ける(ポール・ジョンソン)
○1950年代、ファタハ結成「パレスチナはパレスチナ人自身で取り返さなければならない」
1956年10月29日、第2次中東戦争(スエズ動乱)
1960年、国連総会で植民地解放宣言が採択される(アフリカ総会)
1961年、クウェート独立
1964年5月、エルサレムで第1回パレスチナ民族評議会(PNC)開催。PLO(パレスチナ解放機構)創設
1967年6月、第三次中東戦争(6日戦争)勃発。アラブ完敗。イスラエル、東エルサレムを併合
1967年11月、国連安保理決議242。「(最近の紛争で占領された)領土と平和の交換原則」
1970年09月、ヨルダン内戦(黒い9月)。PLOのヨルダン撤退
1973年10月、第四次中東戦争(ヨム・キプール)、エジプト・シリア軍イスラエル攻撃。国連安保理決議338(12時間以内の停戦、決議242の履行)。OAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟10ヶ国、毎月5%の石油減産を発表。
1974年10月、第7回アラブ首脳会議。PLOをパレスチナ人の「唯一正当な代表」とするラバト決議採択
1977年6月、ベギン首相リクード政権成立
1978年9月、キャンプ・デービッド合意
1982年4月、イスラエル軍シナイ半島から完全撤退。6月、イ軍レバノン侵攻。8月PLO、西ベイルートから撤退、チュニスへ脱出。
これは メッセージ 5770 (r911911911 さん)への返信です.
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