ヒューマニズムは日本人の論理
投稿者: TERUTERUKID 投稿日時: 2000/10/15 16:39 投稿番号: [511 / 20008]
「一理あるが」といっていただいてありがとうございます。
>その意見にも一理はあります、が、その意見は「イスラエルの立場」のみに立っています。
なるほど、そうです。
我々が日常用いるヒューマニズム的立場からの解決策では無理そうなので、どちらかが最大限譲歩できそうなポイントを考えてみました。そのポイントが他の当事者に許容できる理由づけが可能なら希望があるので。この場合一番強硬そうで主張も理解し易いイスラエルの「最大限譲歩」はどこか?ということです。
イスラムに対しては最低限エルサレムの聖地としてのかれらの権限を確保しなければなりません。パレスチナに対しては、独立国家の国民としての居住権を与えねばなりませんが「エルサレム」は十二分なの代わりのもので代替が利くかもしれません。ところがイスラエルは困った事に「神からのもの」という前提があるので、神が「もうイスラエルの物ではない」といわない限り何があろうと譲れないのです。譲れば「神の意志に対する反逆」ですから知性に基づく筋は通りません。イスラエルがみなイスラム教に改宗すれば別ですが。
宗教的解決を形式と実質の運用で行う方法として前発言だったのですが、パレスチナ人民の立場については言及しませんでした。もちろん、ここは歴史的にパレスチナ人民の土地でもあり、現代においては「弱者は追い出す」などという解決はありえません。が、こちらはイスラエルのバックのユダヤ民族が世界の何分の1かの富を所有するほどの経済力を持ちますから、エルサレムの主権を渡すよりは遥かに容易な妥協が可能ではないでしょうか。ようするにパレスチナがユダヤ人に最後に所有権を持っていたものとして高く売りつけて大いに得をしなければなりません。もちろんそれはマネーではなく、土地と生活をもってです。
>私の私見である「エルサレム神聖独立都市宣言」は、「三方一両損」の大岡裁きです。
これは知性的な論理に基づく案として、極めてマトモで我々日本人にはわかりやすいですが、こういったヒューマニズムに立脚する案は、宗教的思考の前には検討対象にすらならないほど無意味に思われます。宗教が人間の道具(便法)であれば可能なのですが、それは日本人の感覚に過ぎません。神がイスラエルに約束したことが実は人間の創作であったと立証するか、神自ら姿を現されない限り既存の宗教の絶対性は揺るぎません。
むしろ、イスラエル側の実権が本当にイスラエル(=ヤコブ)の子どもたちにあるのか。そのことについて当事者のイスラエル国民やパレスチナ人がどう考えているのかが気になります。というのは外国や外来人が実は当事者の主体であれば、ただでさえ難しい宗教的解決すら無効になりもともと住んでいた真の当事者が全滅するまで解決しないという残酷なことになってしまうように思われます。
>その意見にも一理はあります、が、その意見は「イスラエルの立場」のみに立っています。
なるほど、そうです。
我々が日常用いるヒューマニズム的立場からの解決策では無理そうなので、どちらかが最大限譲歩できそうなポイントを考えてみました。そのポイントが他の当事者に許容できる理由づけが可能なら希望があるので。この場合一番強硬そうで主張も理解し易いイスラエルの「最大限譲歩」はどこか?ということです。
イスラムに対しては最低限エルサレムの聖地としてのかれらの権限を確保しなければなりません。パレスチナに対しては、独立国家の国民としての居住権を与えねばなりませんが「エルサレム」は十二分なの代わりのもので代替が利くかもしれません。ところがイスラエルは困った事に「神からのもの」という前提があるので、神が「もうイスラエルの物ではない」といわない限り何があろうと譲れないのです。譲れば「神の意志に対する反逆」ですから知性に基づく筋は通りません。イスラエルがみなイスラム教に改宗すれば別ですが。
宗教的解決を形式と実質の運用で行う方法として前発言だったのですが、パレスチナ人民の立場については言及しませんでした。もちろん、ここは歴史的にパレスチナ人民の土地でもあり、現代においては「弱者は追い出す」などという解決はありえません。が、こちらはイスラエルのバックのユダヤ民族が世界の何分の1かの富を所有するほどの経済力を持ちますから、エルサレムの主権を渡すよりは遥かに容易な妥協が可能ではないでしょうか。ようするにパレスチナがユダヤ人に最後に所有権を持っていたものとして高く売りつけて大いに得をしなければなりません。もちろんそれはマネーではなく、土地と生活をもってです。
>私の私見である「エルサレム神聖独立都市宣言」は、「三方一両損」の大岡裁きです。
これは知性的な論理に基づく案として、極めてマトモで我々日本人にはわかりやすいですが、こういったヒューマニズムに立脚する案は、宗教的思考の前には検討対象にすらならないほど無意味に思われます。宗教が人間の道具(便法)であれば可能なのですが、それは日本人の感覚に過ぎません。神がイスラエルに約束したことが実は人間の創作であったと立証するか、神自ら姿を現されない限り既存の宗教の絶対性は揺るぎません。
むしろ、イスラエル側の実権が本当にイスラエル(=ヤコブ)の子どもたちにあるのか。そのことについて当事者のイスラエル国民やパレスチナ人がどう考えているのかが気になります。というのは外国や外来人が実は当事者の主体であれば、ただでさえ難しい宗教的解決すら無効になりもともと住んでいた真の当事者が全滅するまで解決しないという残酷なことになってしまうように思われます。
これは メッセージ 510 (TAROT_SHINJI_1999 さん)への返信です.
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