テロリストは何を見たのか
投稿者: native_born_lonely 投稿日時: 2003/05/02 13:51 投稿番号: [5099 / 20008]
つれづれなるままに連休前(一日早く旅立った方もいるようだが)。
あまりにも私感すぎる内容なので、私の投稿に日頃から不快感をお持ちの向きは読まずに次へお進みください。
Suicide bomber's family in shock
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/2991823.stm
>Imam Hashmi, who lives opposite the Hanif home, said:
"As I know him, he was honourable and very polite and I never heard about any kind of politics from him," he said.
どこの国でも政治を語るとチョイと危ない眼で見られるのだろうか(^^。掲示板の匿名性の意義が分る気がする(笑)。
>He said suicide attacks went against their religion.
"I do not agree with the killing of innocent people or any kind of terrorism.
"In the Koran it is forbidden strictly. Islam says these people will be in hell forever."
私が聞きかじってきた限りでも、テロはコーランの教えには反すると言われてきている。ジハードという言葉も、イスラエルで起こっているようなテロとは異なるのだと。
>Hanif was a "well liked and respected pupil" at Cranford Community College, Hounslow, which he attended for eight years, said headteacher Kevin Prunty.
取材対象となった人物が犯人と同一なら、やはりここでも、とても彼の動機の背景がいわゆるマスコミ報道が伝えたがっている「絶望」だとは言えない。何かドラマチックな感情の高ぶりにつながっていくような「絶望」という、ある種の人々を思考停止に陥れやすい、プロパガンダにはもってこいの言葉は、実際に「計画と準備が必要な」行動を起こす者には相応しくない。
憎悪、というのならば分るが、この犯人は「当事者」でさえない外国人だ。どのような「洗脳」の過程で、彼が何を「見た」のかが気になる。
キルケゴールの「死に至る病」としての絶望なのだろうか。そうなると、これは中東のテロに限らず、どの国にもある。「重度の鬱病」もそれに近いのかもしれない。どちらにしても、あまり時事報道向けのネタでは、実はない。ましてや殺人行為の正当な、あるいは人間的な理由と認めるべきものなどでは到底ない。
経済ニュースから読みとる限り、日本のみならず世界中で「負け組」の数は日を追って増えてきているようだ。年齢とともに人生も「成長」する、といった漠然とした「希望」(?)が失われつつある、という感覚までふくめればその数は確実に増加しているはずだ。
死に至る病としての絶望は、多分そうした生活環境を温床として育つのだろうか。ならば、「きっかけ次第」で何らかの呪文(?)がすっと脳味噌に入り込みかねない人間というのは、いるんだろうな。恐ろしい話しだが。
かなり歳のいった連中ではなく、こと若者、ということでは、教義や当事者的憎悪ではないテロ行為の必要条件ってなんだろう。
ひとつ共通していそうなことは、「ターゲット」と「自分」の関係にありそうだ。「強者」「相対的優位性」、自分の環境よりは「華美」「豪奢」「新しい」「楽しそう」「より自由に見える」何か……いずれにしても、殺すことになる相手のみならず、その場所も自分にとっての他者なのだ。
一方「環境」としては、今回の二十一歳の若者や、パレスチナの若い女性テロリストたちの実行時までの生活ぶりを報道で知る限り、いたって静かな印象のある、いわば「変化」の乏しさ、のようなものがあったと思う。必ずしもどん底の貧困である必要はなかった。
ビリージョエルの「♪Don't go changing〜」というような歌は、歌だからこそ人の気持ちとして共感を呼ぶけれど、世の中や人間は、本来は「変化する」ものだ。自分の生命力を生き生きとさせてくれるような「変化」が非現実的な感覚に思えているような状態が、死に至る病といった何か静的な絶望状態なんだろうか。
まあ、わかったようなわからんようなことを書いてしまいましたが、現代社会の教育現場に、もう少し哲学者の知恵が介入するようになれば、若いテロリストたちにも「自分」を見つめる手だてはいくらでもあっただろうと思えるのだが。
ところで「歳のいった」テロリストたちも、そんな自分史のある時期を経て、行動のきっかけがないまま「妄想」「麻痺」の悪循環を繰り返すような二十代を過ごしたのだろうな、とも思える。
いずれにせよテロを容認すべき理由はどこにもない。すでに起こってしまった取り返しのつかない事実ではある。テロも歴史のうちのひとつとして、人間が何ごとかを学びとれればと願いたい。
あまりにも私感すぎる内容なので、私の投稿に日頃から不快感をお持ちの向きは読まずに次へお進みください。
Suicide bomber's family in shock
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/2991823.stm
>Imam Hashmi, who lives opposite the Hanif home, said:
"As I know him, he was honourable and very polite and I never heard about any kind of politics from him," he said.
どこの国でも政治を語るとチョイと危ない眼で見られるのだろうか(^^。掲示板の匿名性の意義が分る気がする(笑)。
>He said suicide attacks went against their religion.
"I do not agree with the killing of innocent people or any kind of terrorism.
"In the Koran it is forbidden strictly. Islam says these people will be in hell forever."
私が聞きかじってきた限りでも、テロはコーランの教えには反すると言われてきている。ジハードという言葉も、イスラエルで起こっているようなテロとは異なるのだと。
>Hanif was a "well liked and respected pupil" at Cranford Community College, Hounslow, which he attended for eight years, said headteacher Kevin Prunty.
取材対象となった人物が犯人と同一なら、やはりここでも、とても彼の動機の背景がいわゆるマスコミ報道が伝えたがっている「絶望」だとは言えない。何かドラマチックな感情の高ぶりにつながっていくような「絶望」という、ある種の人々を思考停止に陥れやすい、プロパガンダにはもってこいの言葉は、実際に「計画と準備が必要な」行動を起こす者には相応しくない。
憎悪、というのならば分るが、この犯人は「当事者」でさえない外国人だ。どのような「洗脳」の過程で、彼が何を「見た」のかが気になる。
キルケゴールの「死に至る病」としての絶望なのだろうか。そうなると、これは中東のテロに限らず、どの国にもある。「重度の鬱病」もそれに近いのかもしれない。どちらにしても、あまり時事報道向けのネタでは、実はない。ましてや殺人行為の正当な、あるいは人間的な理由と認めるべきものなどでは到底ない。
経済ニュースから読みとる限り、日本のみならず世界中で「負け組」の数は日を追って増えてきているようだ。年齢とともに人生も「成長」する、といった漠然とした「希望」(?)が失われつつある、という感覚までふくめればその数は確実に増加しているはずだ。
死に至る病としての絶望は、多分そうした生活環境を温床として育つのだろうか。ならば、「きっかけ次第」で何らかの呪文(?)がすっと脳味噌に入り込みかねない人間というのは、いるんだろうな。恐ろしい話しだが。
かなり歳のいった連中ではなく、こと若者、ということでは、教義や当事者的憎悪ではないテロ行為の必要条件ってなんだろう。
ひとつ共通していそうなことは、「ターゲット」と「自分」の関係にありそうだ。「強者」「相対的優位性」、自分の環境よりは「華美」「豪奢」「新しい」「楽しそう」「より自由に見える」何か……いずれにしても、殺すことになる相手のみならず、その場所も自分にとっての他者なのだ。
一方「環境」としては、今回の二十一歳の若者や、パレスチナの若い女性テロリストたちの実行時までの生活ぶりを報道で知る限り、いたって静かな印象のある、いわば「変化」の乏しさ、のようなものがあったと思う。必ずしもどん底の貧困である必要はなかった。
ビリージョエルの「♪Don't go changing〜」というような歌は、歌だからこそ人の気持ちとして共感を呼ぶけれど、世の中や人間は、本来は「変化する」ものだ。自分の生命力を生き生きとさせてくれるような「変化」が非現実的な感覚に思えているような状態が、死に至る病といった何か静的な絶望状態なんだろうか。
まあ、わかったようなわからんようなことを書いてしまいましたが、現代社会の教育現場に、もう少し哲学者の知恵が介入するようになれば、若いテロリストたちにも「自分」を見つめる手だてはいくらでもあっただろうと思えるのだが。
ところで「歳のいった」テロリストたちも、そんな自分史のある時期を経て、行動のきっかけがないまま「妄想」「麻痺」の悪循環を繰り返すような二十代を過ごしたのだろうな、とも思える。
いずれにせよテロを容認すべき理由はどこにもない。すでに起こってしまった取り返しのつかない事実ではある。テロも歴史のうちのひとつとして、人間が何ごとかを学びとれればと願いたい。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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