イスラエル/パレスチナ和平

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>平和共存のために

投稿者: ikusamu_mu 投稿日時: 2002/10/07 03:56 投稿番号: [4410 / 20008]
>1936年にイギリスのピール委員会が、パレスチナにユダヤ国家とアラブ国家を隣り合わせて建設することを提案しました。
これは、1917年の英国外相バルフォアの宣言によるユダヤ国家建設承認から大幅に譲歩するものでしたので、ユダヤ側は苦渋の選択のうえ受け入れました。しかし、アラブ側は一方的に拒否したのです。

  ここでは、イギリスのマクマホン書簡によるアラブ国家設立の約束が反故にされている事に触れていませんが、意図的に無視したのでしょうか?
  それに、もともとアラブ人の住んでいたところに、ユダヤ人の国家を作るわけですから、当時のアラブ側が拒否するのは当然の事だと思います。日本で言えば横浜の中国人居住区が独立して日本人を追い出し始めるようなものです。
  1947年のパレスチナ分割案にしても、人口の30%しかないユダヤ人に領土の50%を与えるというパレスチナ側に対して圧倒的に不公平な内容だったはずです。

  また、1967年の国連安保理決議242号を持ち出すのなら、現在のイスラエルがそれを無視して,パレスチナの占領を続け、なおかつ去年サウジアラビアが提案した中東和平案-イスラエルが1967年以前の境界線への撤退する事と引換えに、アラブ各国がイスラエルと平和協定を結ぶ-を拒否している事実をどう説明するのでしょうか?


>2000年夏、和平交渉でイスラエルのバラク首相は占領地域の九割以上を返還し、パレスチナ国家樹立を承認することを提案しました。
それにもかかわらずアラファト議長はまたもや拒否して、アメリカのクリントン大統領を激怒させました。

  これは事実ではありません。「アラファトの西岸90%返還拒否」が、クリントンとバラクが自分たちの失敗の責任をアラファトになすりつけるための「デマ」だった事は、イスラエルの新聞ハァレツやフランスの新聞「ル・モンド」でも暴露されています。
  東エルサレムの主権問題では相当な譲歩があったのは事実ですが、領土交渉では西岸の20%が入植地、または租借地として残したままで、しかも入植地が西岸領土を分割するようになっていたのです。パレスチナはガザ地区も含めて3分割された形で、経済、領土において一体性のない国家として独立する事になり、とてもパレスチナ側には受け入れられない内容だった事は、バラク政権の外相代行であったベン・アミ氏も認めています。

  実際は、つい最近の「Newsweek」記事でも指摘していたように、「難民の帰還問題」や「神殿の丘の帰属」も含めて多くの面で不一致があった事が交渉決裂の原因で、単純に領土問題だけが原因なのではありません。

  ついでに付け加えて言わせてもらえば、現在のシャロン政権においては「領土と平和の交換」など望むべきもありません。
  それは、彼の今までの言動からも明らかでしょう。住宅相時代に入植計画を強引に推し進めたうえに「土地は奪え」とまで公言し、首相になってからは公式の場で「パレスチナ人(テロリストではなく)を殺せ」とまで言っている人です。彼が入植地を譲る事は、彼自身の政治信条を捨てる事にほかならないからです。
  もし、イスラエルが本気で和平を望むなら、この【戦争犯罪者】を失脚させるしかないでしょう。そして、それはイスラエル人自身が決める事なのです。
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