knight-1
投稿者: QYM_2 投稿日時: 2001/12/21 20:35 投稿番号: [2311 / 20008]
先ず、大ブリテン島を中心とするイギリス諸島は、数多くの民族の支配にされてきました。既に新世紀時代には、イベリア人がストーンヘッジを建てるほどの高度な文化を築き上げていましたが、紀元前六世紀ごろ現在のフランスに居住し、鉄器を持つ強力な民族集団だったケルト人が、紀元前二世紀ごろからのローマ人との戦いの末、次第に劣勢となって大陸を追われ現在のイギリス諸島に入ってきました。さらにローマ人が侵攻するに及んで、ケルト人はウェールズ、アイルランド、スコットランド等(一部はフランスのブルターニュ半島にも居住)の辺境に追いやられましたが、居残った一族、ブリトン人はローマ人化しました。
ローマ帝国が滅亡した後、すなわち五世紀後半からゲルマン人の一族であるサクソン族、アングル族、ジュード族が移り住み始めると共に、ディーン族などバイキングの侵攻も度々ありました。そして最後に入ってきたのがノルマン人でありました。
ノルマンディ公ウィリアムス一世は、ヘイスティングスでサクソン王ハロルド二世(在位c.1066)を破り、征服王(在位c.1066〜87)としてイギリスを支配しました。そして、それによって大陸の封建制が導入されたのであります。ウイリアムス征服王は、イギリス各地に家臣を封じました。彼がc.1086年に作らせたイギリス最初の土地台帳(Domesday Book)によると、各地に封じられた王の直臣、すなわち貴族は二百たらずで、その配下に少なくとも四千人の陪臣が抱えられていたと言われ、貴族は自分に与えられた土地の幾許かを家臣に与え、その見返りとして家臣は貴族に奉公したと言われています。
これは メッセージ 2310 (pear767 さん)への返信です.
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