続きでーす
投稿者: take2210 投稿日時: 2001/10/14 00:08 投稿番号: [1944 / 20008]
「フセイン・マクマホン書簡」は1915年から16年にかけて、」カイロ在住のイギリス高等弁務官サー・ヘンリー・マクマホンが、イギリス政府の命で、メッカの太守フセイン・イブン・アリー(ハシム家―ムハンマドの血を引くといわれるアラブの名門)との間で交わした一連の往復書簡です。1915年に発出されたマクマホン書簡でパレスチナを含む広範な東アラブ地域において、アラブが独立国家を建設することを承認し、指示する用意があること約束しています。
この背景には、第一次世界大戦において、アラブ地域を支配していたオスマン・トルコがドイツなどの三国同盟側で参戦したため、同地域で戦略を有利にすすめるためにオスマン・トルコ(当時、ヨーロッパの重病人と言われていた)滅亡後にアラブ独立を獲得するために、さまざまな工作をしていたフセイン、そしてアラブ人味方とするためでした。
こうしてアラブ人は中東でオスマン・トルコを相手に戦います。因みにこのときアラブ人と一緒に戦ったイギリス人スパイが、有名なアラビアのローレンスです。
「バルフォア宣言」は1917年11月、イギリス外相アーサー・ジェームス・バルフォアが、イギリスにおけるシオニスト運動の指導者ウォルター・ロスチャイルドに送った書簡のなかで「イギリス政府は、パレスチナの地で、ユダヤ人がナショナル・ホーム(民族的郷土と訳される)を樹立することを好意的に受け止め、そのような目的の達成が容易になるような最善の努力をする」と明言し、イギリス政府の閣議の承認も経ていました。
背景として、当時は参戦していなかったアメリカの参戦をうながすため、アメリカのユダヤ人グループの支援を得ようとしたことと、ヨーロッパのユダヤ人財閥から資金援助を得ようとしたということの様です。
「サイクス・ピコ協定」は1916年5月、イギリスのサイクスとフランスのピコが、大戦終了後の中東のオスマン・トルコ領の分割についての合意です。
この協定ではパレスチナとその周辺は、シリア、レバノンをフランスが領有し、パレスチナ、ヨルダン、イラクをイギリス領とすること合意されました。
これは メッセージ 1943 (take2210 さん)への返信です.
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