イスラエル/パレスチナ和平

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「ユダヤ人国家」とシオニズム

投稿者: take2210 投稿日時: 2001/10/13 22:57 投稿番号: [1943 / 20008]
16世紀ごろからオスマン・トルコ帝国の支配下にあったパレスチナはパレスチナ人、ユダヤ人ともに共存していました。多数派のイスラム教徒は、少数派のユダヤ教徒を同じ神を敬う「啓典の民」として他の異教徒以上の地位を与えていたようです。
1900年前後からロシア、ヨーロッパでユダヤ人排斥運動が激しくなります。1894年、ヨーロッパでもユダヤ人の同化か進んでいたフランスで起きた「ドレフュース事件―フランス軍参謀本部に勤務していたドレフュ―スがドイツのスパイの嫌疑をかけられ、ユダヤ人であるという理由で有罪判決となった事件。最終的にはドレフュ―スは無罪になった。」はユダヤ人に大きなショック与えました。この事件を取材したウィーンの「新自由新聞」パリ特派員、テオドール・ヘルツルはユダヤ人は独自の国家を持たねばならないとする「ユダヤ人国家」という本を1896年に出版します。これ以前のヘルツルは、ユダヤ人キリスト教社会に同化していかなければならないと考えていました。
ヘルツルは、コンスタンティノープルのユダヤ人グループの要求でパレスチナをユダヤ人独立国家の地として、オスマン・トルコのスルタンに話を持ちかけますが、スルタンはこれを拒否します。その後、ヘルツルはパレスチナに限る必要はないと考え、イギリスに協力を依頼するとイギリス政府はウガンダにその用意があると回答しました。
一方、ユダヤ人指導者の一人、C・ワイツマン(後の初代イスラエル大統領。ファーストネームはわかりませんでした。ゴメンネ)は紀元前1006年にダビデ王国が設立されているなどの歴史的経緯から、ユダヤ人の移住先は2世紀にローマ人に追放されたパレスチナであるべきだとしていました。パレスチナにはユダヤの神が祭られた「シオンの丘」があり、このシオンの丘に帰ろうとする運動を「シオニズム」といわれるようになりました。名づけたのは、一人のロシア人だといわれています。
1897年、第一回世界シオニスト会議が開催されてユダヤ人の移住先が議論され、パレスチナかウガンダに絞られ、パレスチナ案が採択されます。採択文書には「シオニズムの目的は、パレスチナにおいて、ユダヤ民族のために、公的な法律によって保障された祖国を創設することである」とされています。
続きは「フセイン・マクマホン書簡、バルフォア宣言、サイクス・ピコ協定」で…
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