パレスチナ低抗運動の足跡4
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/05/16 02:45 投稿番号: [13337 / 20008]
しかし、ここでもイスラエルは、”清無用”とばかり、家屋の破壊、投獄、拷問、戒厳令、集団懲罰、通行許可制など凡ゆる手段をつくしてパレスチナ人の追い出しを計っている。
とくにその中で最も強大な抵抗の基地になっているのはガザ地区である。僅か一〇〇平方マイルの地域に三五万人のアラブ人が住み、地域自体が一種の”収容所”の観を呈している。
これらすべては、一般市民の保護を規定した一九四九年のジュネーブ国際協定に違反するものとして、国連から占領下のアラブ人民の人権を調査したいと再三イスラエルに調査団の入国を求めているがイスラエルは頑強に拒否しつづけている。一九七〇年一二月の国連総会で圧倒的多数でイスラエル占領下におけるアラブ人の人権侵害が糾弾された。
6 占領地域のアラブ人
〈解説〉軍政による抑圧
一九四八年九月のパレスチナ戦争終結後も、イスラエル国内に残ったアラブ人は、約一六万人、現在では自然増加によって約三〇万人に達している。
しかし、シオニストたちは、一九四八年の独立宣言の中で白々しくも次のように言明した。
「イスラエル国は、イスラエルの預言者たちが夢想したような、自由、正義、平和に基礎をおくものとする。全市民の社会的、政治的権利は、信教、人種、性別による差別はなく全く平等とする。」
そして彼らは、世界の眼をパレスチナ難民にそそがせている間に、パレスチナの完全なイスラエル化を目標にこれらイスラエルに残ったアラブ人の土地を着々と没収した。それはアラブ人の土地の八○%に達している。
イスラエル創設の最初の一〇年間、イスラエル当局は、もっぱら軍政の施行を通してアラブ人にたいし厳しい抑制や圧迫政策をとり、必要とするアラブの土地をことごとく没収し、続々移住してきたユダヤ人を定着させた。
本文にもあるように、不在地主法(一九五〇年三月)と土地取得法(一九五三年)など一連の悪法は”土地の収奪を合法化するため”につくられた法律であった。かくて、イスラエル建国当時、一七五万ドナムあったアラブ人の土地は五〇万ドナムに縮小されてしまった。
しかし、六〇年代の初頭には、イスラエル政権は、少し戦術を変え、アラブ人との関係を改善するためにアラブ人への抑圧をやや緩めたが、その狙いは、イスラエル当局に協力し、シオニズムの政策に服従しないアラブ人と対抗する裏切り分子を支援するなど、いわば「分割支配」のアメとムチの政策であった。
現在、イスラエルに住むアラブ人は邪魔ものの第二級の市民として、その九〇%は軍政に基づく、悪名高い南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)にも通じるような治安地域の中に、いわば”外国人”として住まわされているのである。
では、このようなアラブ人への一切の抑圧手段として用いられた軍政とはどんなものであろうか?
この軍政制度は、イスラエルが創設されてから強大な権力をふるってきたのであるが、もともとこうした軍政制度は、一九四五年当時のイギリス委任統治政庁の国防法(非常事態法)と一九四九年六月のイスラエルの国防関係法(治安地域)にー基づいている。イギリスによる国防法は、かつてユダヤ人の移民制限から反英テロ活動を行なったイルグン。ツパイ。レウミ、シテュルンなどユダヤ人の過激テロ分子を取締るためつくられたもので、今のイスラエルの指導的法律家たちは、この法律が制定された一九四五年当時には、これらの法律は、文明国には例のない、ナチ・ドイツにも存
在せぬ悪法であり、市民の基本的権利を脅かすものとして反対したいわくつきのものであった。しかし、一たんイスラエルが建国されるとこのような法律を引継ぐことには、僅か一人を例外として、誰も反対しなかった。
〈解説〉奪われているアラブ人の基本的人権
イスラエルに招待されたジャーナリストや知識人は、イスラエル政府がお膳立てしたお定りのコースを視察したあと「イスラエルに住むアラブ人の生活は、アラブ諸国内のアラブ人よりも”より豊かな生活”を楽しんでいる」という記事を書いている。
たしかに、イスラエルのアラブ人の一部が、部分的に改善された面があるにしても、圧倒的大多数のアラブ人の基本的人権は守られていないし、その社会生活面でも多くの差別を受けている。
第一、イスラエルはその建国の根拠を国連分割案にもとめているが、その分割案では「すべてのものに市民的、政治的・経済的問題での平等がつ無差別の権利と人権や基本的自由の享受を保証」しており、「人種、宗教、言語、性別を基礎に住民にーたいする差別はしない」とうたわれていたのであった。
とくにその中で最も強大な抵抗の基地になっているのはガザ地区である。僅か一〇〇平方マイルの地域に三五万人のアラブ人が住み、地域自体が一種の”収容所”の観を呈している。
これらすべては、一般市民の保護を規定した一九四九年のジュネーブ国際協定に違反するものとして、国連から占領下のアラブ人民の人権を調査したいと再三イスラエルに調査団の入国を求めているがイスラエルは頑強に拒否しつづけている。一九七〇年一二月の国連総会で圧倒的多数でイスラエル占領下におけるアラブ人の人権侵害が糾弾された。
6 占領地域のアラブ人
〈解説〉軍政による抑圧
一九四八年九月のパレスチナ戦争終結後も、イスラエル国内に残ったアラブ人は、約一六万人、現在では自然増加によって約三〇万人に達している。
しかし、シオニストたちは、一九四八年の独立宣言の中で白々しくも次のように言明した。
「イスラエル国は、イスラエルの預言者たちが夢想したような、自由、正義、平和に基礎をおくものとする。全市民の社会的、政治的権利は、信教、人種、性別による差別はなく全く平等とする。」
そして彼らは、世界の眼をパレスチナ難民にそそがせている間に、パレスチナの完全なイスラエル化を目標にこれらイスラエルに残ったアラブ人の土地を着々と没収した。それはアラブ人の土地の八○%に達している。
イスラエル創設の最初の一〇年間、イスラエル当局は、もっぱら軍政の施行を通してアラブ人にたいし厳しい抑制や圧迫政策をとり、必要とするアラブの土地をことごとく没収し、続々移住してきたユダヤ人を定着させた。
本文にもあるように、不在地主法(一九五〇年三月)と土地取得法(一九五三年)など一連の悪法は”土地の収奪を合法化するため”につくられた法律であった。かくて、イスラエル建国当時、一七五万ドナムあったアラブ人の土地は五〇万ドナムに縮小されてしまった。
しかし、六〇年代の初頭には、イスラエル政権は、少し戦術を変え、アラブ人との関係を改善するためにアラブ人への抑圧をやや緩めたが、その狙いは、イスラエル当局に協力し、シオニズムの政策に服従しないアラブ人と対抗する裏切り分子を支援するなど、いわば「分割支配」のアメとムチの政策であった。
現在、イスラエルに住むアラブ人は邪魔ものの第二級の市民として、その九〇%は軍政に基づく、悪名高い南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)にも通じるような治安地域の中に、いわば”外国人”として住まわされているのである。
では、このようなアラブ人への一切の抑圧手段として用いられた軍政とはどんなものであろうか?
この軍政制度は、イスラエルが創設されてから強大な権力をふるってきたのであるが、もともとこうした軍政制度は、一九四五年当時のイギリス委任統治政庁の国防法(非常事態法)と一九四九年六月のイスラエルの国防関係法(治安地域)にー基づいている。イギリスによる国防法は、かつてユダヤ人の移民制限から反英テロ活動を行なったイルグン。ツパイ。レウミ、シテュルンなどユダヤ人の過激テロ分子を取締るためつくられたもので、今のイスラエルの指導的法律家たちは、この法律が制定された一九四五年当時には、これらの法律は、文明国には例のない、ナチ・ドイツにも存
在せぬ悪法であり、市民の基本的権利を脅かすものとして反対したいわくつきのものであった。しかし、一たんイスラエルが建国されるとこのような法律を引継ぐことには、僅か一人を例外として、誰も反対しなかった。
〈解説〉奪われているアラブ人の基本的人権
イスラエルに招待されたジャーナリストや知識人は、イスラエル政府がお膳立てしたお定りのコースを視察したあと「イスラエルに住むアラブ人の生活は、アラブ諸国内のアラブ人よりも”より豊かな生活”を楽しんでいる」という記事を書いている。
たしかに、イスラエルのアラブ人の一部が、部分的に改善された面があるにしても、圧倒的大多数のアラブ人の基本的人権は守られていないし、その社会生活面でも多くの差別を受けている。
第一、イスラエルはその建国の根拠を国連分割案にもとめているが、その分割案では「すべてのものに市民的、政治的・経済的問題での平等がつ無差別の権利と人権や基本的自由の享受を保証」しており、「人種、宗教、言語、性別を基礎に住民にーたいする差別はしない」とうたわれていたのであった。
これは メッセージ 13336 (jyonnconner さん)への返信です.
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