連帯と相互批判:内在的批判の論理 ①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/03 20:23 投稿番号: [13227 / 20008]
>パレスチナの現状が過酷な占領状態によってもたらされているのが現実で、
>その結果起こったことの是非を”外”にいる人間がパレスチナ側にも
>責任があると言い立てたところで意味はない。
>ユダヤの側が言い立てるのは腐った責任転嫁で醜悪でもある。
>”外”の人間にできることは元記事にもあるように、「パレスチナ人は、
>自らの将来と生命を断ってまで、なぜ『自爆テロ』に走ってしまうのか」を
>追求し、その行為の原因と根源を伝えることだな。
何故、「意味」がないのでしょうか?
「”外”の人間にできること」は、何でしょうか?
それはラディカルな問いかけですね。
反占領闘争、解放闘争の名の下に、
イスラエルの一般市民を殺傷しても、批判してはならないということでしょうか?
一般市民を殺傷する行為は、犯罪であり、テロです。
しかも、この場合、無差別テロです。
無差別テロというのは、それ自体が、犯罪であり、
それ自体が、批判されねばならないことです。
どのような理由で行われたのかすら問題ではなく、
それ自体が批判され、否定されるべきものです。
それを批判してはならないということ自体が、
私には到底理解できません。
アムネスティ・インターナショナルや、ヒューマンライツ・ウォッチや、
人権団体や反戦団体も当然にも批判しています。
貴方が、無差別テロを批判しないというなら、
それは、貴方の勝手ですが、
他者にまで、無差別テロを批判するなという権利はありませんし、
また、間違っています。
声高に批判し、止めさせるべきことです。
あるがままの反占領闘争や、解放闘争を批判してはならない。
などというのは、とんでもない誤りです。
私は、あるがままの、パレスチナの反占領闘争や解放闘争を支持しません。
もし、無批判に支持すれば、上記のような腐敗した行為まで
支持せねばなりません。
世界の多くの心ある人々は、パレスチナの人々にシンパシーを寄せています。
しかし、無差別テロ路線を支持しているとは、到底思えません。
全く逆に、パレスチナの人々にシンパシーを寄せる人々こそが、
その無差別テロを容認する路線を批判するという圧力を掛けることによって、
パレスチナの闘争戦術上の誤りを是正させるべきなのです。
イラクでも同様です。
占領と戦っている人々を批判してはならないというなら、
イラクのアルカイダが、無差別テロを繰り返しても、
批判してはならないということになります。
イラクのアルカイダだって、占領軍と戦ってはいるのです。
では、イラクで占領と戦うアルカイダを批判してはならないということは、
正しいでしょうか?
あんなものは、根絶する対象なのであって、
批判してはならないなどということは、完全に誤っています。
問題は、
・どういう立場から、
・どのように批判するかの内容です。
イスラエル側による『テロリスト』というプロパガンダと戦わねばなりません。
しかし、そのプロパガンダを許している<物質的基礎>があるのです。
無差別テロ路線を内在させてきたことは、客観的事実です。
ここに踏み込まずに、貴方は一体どうやって、
このプロパガンダと戦うというのでしょうか?
<全部イスラエルの占領だけが悪いのだ>
これで、プロパガンダを粉砕できるでしょうか?
私には粉砕できるとは思えません。
反占領闘争、解放闘争の名の下で行われる誤りをも批判しない限り、
このプロパガンダさえ粉砕できないのです。
映画「パラダイス・ナウ」が日本でも公開されました。
日本でも、多くの人々が観て、
自爆テロリストに想いを馳せるようになりました。
どう受け止め、どう考えるかは、日本でも課題となっているのです。
パレスチナ側を一切批判する権利などないと貴方が考えるのは、
貴方の自由ですが、
「パレダイス・ナウ」を観た人々が、
パレスチナの自爆テロを肯定するとも思えません。
それは否定すべきだけれども
この映画を観た前と後では、
自爆テロリストという<表象>が変わるでしょうね。
メディアにより植えつけられてきた、
ステレオタイプ化した<表象>よりも、
変わるということだけは確かでしょうね。
どう変わるかは、一人一人違うでしょうが。
>その結果起こったことの是非を”外”にいる人間がパレスチナ側にも
>責任があると言い立てたところで意味はない。
>ユダヤの側が言い立てるのは腐った責任転嫁で醜悪でもある。
>”外”の人間にできることは元記事にもあるように、「パレスチナ人は、
>自らの将来と生命を断ってまで、なぜ『自爆テロ』に走ってしまうのか」を
>追求し、その行為の原因と根源を伝えることだな。
何故、「意味」がないのでしょうか?
「”外”の人間にできること」は、何でしょうか?
それはラディカルな問いかけですね。
反占領闘争、解放闘争の名の下に、
イスラエルの一般市民を殺傷しても、批判してはならないということでしょうか?
一般市民を殺傷する行為は、犯罪であり、テロです。
しかも、この場合、無差別テロです。
無差別テロというのは、それ自体が、犯罪であり、
それ自体が、批判されねばならないことです。
どのような理由で行われたのかすら問題ではなく、
それ自体が批判され、否定されるべきものです。
それを批判してはならないということ自体が、
私には到底理解できません。
アムネスティ・インターナショナルや、ヒューマンライツ・ウォッチや、
人権団体や反戦団体も当然にも批判しています。
貴方が、無差別テロを批判しないというなら、
それは、貴方の勝手ですが、
他者にまで、無差別テロを批判するなという権利はありませんし、
また、間違っています。
声高に批判し、止めさせるべきことです。
あるがままの反占領闘争や、解放闘争を批判してはならない。
などというのは、とんでもない誤りです。
私は、あるがままの、パレスチナの反占領闘争や解放闘争を支持しません。
もし、無批判に支持すれば、上記のような腐敗した行為まで
支持せねばなりません。
世界の多くの心ある人々は、パレスチナの人々にシンパシーを寄せています。
しかし、無差別テロ路線を支持しているとは、到底思えません。
全く逆に、パレスチナの人々にシンパシーを寄せる人々こそが、
その無差別テロを容認する路線を批判するという圧力を掛けることによって、
パレスチナの闘争戦術上の誤りを是正させるべきなのです。
イラクでも同様です。
占領と戦っている人々を批判してはならないというなら、
イラクのアルカイダが、無差別テロを繰り返しても、
批判してはならないということになります。
イラクのアルカイダだって、占領軍と戦ってはいるのです。
では、イラクで占領と戦うアルカイダを批判してはならないということは、
正しいでしょうか?
あんなものは、根絶する対象なのであって、
批判してはならないなどということは、完全に誤っています。
問題は、
・どういう立場から、
・どのように批判するかの内容です。
イスラエル側による『テロリスト』というプロパガンダと戦わねばなりません。
しかし、そのプロパガンダを許している<物質的基礎>があるのです。
無差別テロ路線を内在させてきたことは、客観的事実です。
ここに踏み込まずに、貴方は一体どうやって、
このプロパガンダと戦うというのでしょうか?
<全部イスラエルの占領だけが悪いのだ>
これで、プロパガンダを粉砕できるでしょうか?
私には粉砕できるとは思えません。
反占領闘争、解放闘争の名の下で行われる誤りをも批判しない限り、
このプロパガンダさえ粉砕できないのです。
映画「パラダイス・ナウ」が日本でも公開されました。
日本でも、多くの人々が観て、
自爆テロリストに想いを馳せるようになりました。
どう受け止め、どう考えるかは、日本でも課題となっているのです。
パレスチナ側を一切批判する権利などないと貴方が考えるのは、
貴方の自由ですが、
「パレダイス・ナウ」を観た人々が、
パレスチナの自爆テロを肯定するとも思えません。
それは否定すべきだけれども
この映画を観た前と後では、
自爆テロリストという<表象>が変わるでしょうね。
メディアにより植えつけられてきた、
ステレオタイプ化した<表象>よりも、
変わるということだけは確かでしょうね。
どう変わるかは、一人一人違うでしょうが。
これは メッセージ 13215 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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