別のやり方
投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2007/01/05 15:17 投稿番号: [12591 / 20008]
>ある女性から、反占領闘争の「別のやり方があるじゃはないか」という
>説得もあって、その自爆犯は実行に至りません。
>私も全く同感です。「もっと別のやり方がある」んだと。
私も基本的に同感ですが、結局パレスチナは別のやり方を見つけられなかったのではないかと思います。
2002年頃からパレスチナ内部で「武力闘争にかわる新たな闘争を」という呼びかけが何度も何度も出ていました。知識人らが自爆テロの終焉を呼びかけた新聞広告を出したり、アッバスが「武力闘争の負の側面を見直すべき」とスピーチしたり、ダーランが「その時代にあった闘争方法を選ぶべきだ」と発言したりと。カッサムの発射地域にされた住民が地元のハマスリーダーに「カッサムを止めなければ家族を殺害する」と脅迫した事件さえ伝えられています。
しかし何も変りませんでした。武装闘争路線の失敗を誰よりも痛感しているのはパレスチナ自身でしょう。それでも変えられない。交渉路線では、結局難民帰還権を達成できないとバラク・アラファトの交渉でわかっています。
そして、悲しいことですが「死者」が出ればメディアに取り上げられるわけです。反壁闘争のデモがBiilin(うろ覚えですが)でほぼ毎週行われていますが、これが海外メディアに取り上げられることは少ない。その一方で死者、とくに子供や女性の死者が出ればニュースになり、「パレスチナに連帯せよ」などという声も出てくる。
そういう構造の元では他に方法はなかったのかもしれません。
しかし2006年、イスラエル軍によって殺されたパレスチナ人が600人以上、この数は2005年の3倍で、400名余りはガザでの兵士拉致事件で引き起こされた戦闘で亡くなっています。
パレスチナ人によって殺されたイスラエル人は、2005年の半分の20名余り。
その一方で、パレスチナ内紛で殺されたパレスチナ人が前年比4倍の50名以上とのことです。http://www.asahi.com/international/update/1230/009.html
いわば2006年のパレスチナは反占領闘争の倍以上の「戦果」を内部対立で成し遂げたわけです。
(一昨日から再燃した内戦は、昨日もガザで6名または8名が殺害されています。ファタハ系治安機関のボスの家にロケット弾が打ち込まれ、本人が電話でテレビに出演して助けを求めながら殺されると言う事態になっています)
さらに言えば、ハマスとファタハの駆け引きの一環として行われた兵士拉致事件のおかげで、撤退していたイスラエル軍をわざわざガザに招き入れ、これだけで前年の倍近くの死者を出しているのですから、もはや反占領闘争ではなく、ただの自暴自棄でしょう。冷たい言い方をすれば民族単位の「自爆戦略」です。イランやシリアにいいように操られているわけですよ。
ハマス(+イスラム聖戦)とファタハの対立軸だけではなく、各有力一家同士の抗争とそれを原因とした各派の分裂、ハマス内部のダマスカス組と現地組の足の引っ張り合い、ファタハ内部の世代間抗争・亡命組と現地組の対立。こんな状況に嫌気のさしたエジプトやヨルダンによる対パレスチナ非難が頻繁になっています。
既に武力闘争路線の変革は手遅れではないでしょうか? たとえハマスが武力闘争を放棄しても、ハマスから分派したArmy of Islam、各派の集合体であるPRCといった団体が武力闘争やるでしょう。統制できるとは思えません。またはハマスが「停戦」すると同時にPRCのカッサムが活発になったように、表の政治指導部では停戦を唱え、軍事機関は別の名前で活動続行、となるかもしれませんし。
「イスラエル人が出て行ったとき、『ガザがシンガポールになる』と興奮したが、シンガポールではなくソマリアになってしまった」というのはジブリル・ラジューブの昨年末の発言でした。
今後も私は推移を見守りますが、パレスチナが国になるのかどうか、ガザと西岸で別々の道を歩むのかはっきりわかりません。
>説得もあって、その自爆犯は実行に至りません。
>私も全く同感です。「もっと別のやり方がある」んだと。
私も基本的に同感ですが、結局パレスチナは別のやり方を見つけられなかったのではないかと思います。
2002年頃からパレスチナ内部で「武力闘争にかわる新たな闘争を」という呼びかけが何度も何度も出ていました。知識人らが自爆テロの終焉を呼びかけた新聞広告を出したり、アッバスが「武力闘争の負の側面を見直すべき」とスピーチしたり、ダーランが「その時代にあった闘争方法を選ぶべきだ」と発言したりと。カッサムの発射地域にされた住民が地元のハマスリーダーに「カッサムを止めなければ家族を殺害する」と脅迫した事件さえ伝えられています。
しかし何も変りませんでした。武装闘争路線の失敗を誰よりも痛感しているのはパレスチナ自身でしょう。それでも変えられない。交渉路線では、結局難民帰還権を達成できないとバラク・アラファトの交渉でわかっています。
そして、悲しいことですが「死者」が出ればメディアに取り上げられるわけです。反壁闘争のデモがBiilin(うろ覚えですが)でほぼ毎週行われていますが、これが海外メディアに取り上げられることは少ない。その一方で死者、とくに子供や女性の死者が出ればニュースになり、「パレスチナに連帯せよ」などという声も出てくる。
そういう構造の元では他に方法はなかったのかもしれません。
しかし2006年、イスラエル軍によって殺されたパレスチナ人が600人以上、この数は2005年の3倍で、400名余りはガザでの兵士拉致事件で引き起こされた戦闘で亡くなっています。
パレスチナ人によって殺されたイスラエル人は、2005年の半分の20名余り。
その一方で、パレスチナ内紛で殺されたパレスチナ人が前年比4倍の50名以上とのことです。http://www.asahi.com/international/update/1230/009.html
いわば2006年のパレスチナは反占領闘争の倍以上の「戦果」を内部対立で成し遂げたわけです。
(一昨日から再燃した内戦は、昨日もガザで6名または8名が殺害されています。ファタハ系治安機関のボスの家にロケット弾が打ち込まれ、本人が電話でテレビに出演して助けを求めながら殺されると言う事態になっています)
さらに言えば、ハマスとファタハの駆け引きの一環として行われた兵士拉致事件のおかげで、撤退していたイスラエル軍をわざわざガザに招き入れ、これだけで前年の倍近くの死者を出しているのですから、もはや反占領闘争ではなく、ただの自暴自棄でしょう。冷たい言い方をすれば民族単位の「自爆戦略」です。イランやシリアにいいように操られているわけですよ。
ハマス(+イスラム聖戦)とファタハの対立軸だけではなく、各有力一家同士の抗争とそれを原因とした各派の分裂、ハマス内部のダマスカス組と現地組の足の引っ張り合い、ファタハ内部の世代間抗争・亡命組と現地組の対立。こんな状況に嫌気のさしたエジプトやヨルダンによる対パレスチナ非難が頻繁になっています。
既に武力闘争路線の変革は手遅れではないでしょうか? たとえハマスが武力闘争を放棄しても、ハマスから分派したArmy of Islam、各派の集合体であるPRCといった団体が武力闘争やるでしょう。統制できるとは思えません。またはハマスが「停戦」すると同時にPRCのカッサムが活発になったように、表の政治指導部では停戦を唱え、軍事機関は別の名前で活動続行、となるかもしれませんし。
「イスラエル人が出て行ったとき、『ガザがシンガポールになる』と興奮したが、シンガポールではなくソマリアになってしまった」というのはジブリル・ラジューブの昨年末の発言でした。
今後も私は推移を見守りますが、パレスチナが国になるのかどうか、ガザと西岸で別々の道を歩むのかはっきりわかりません。
これは メッセージ 12590 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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