Re: 姆渡遺跡は、縄文人の居留地 ③−3
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/08/09 12:26 投稿番号: [69308 / 73791]
monjujzさん、初めまして(笑い)
>今は半分ロマンでもいずれこのような説に流れていくのかな?という期待は私自身も持っています。
そのロマンをもう一つ。
私は・・・石器時代には河姆渡遺蹟など長江文明より縄文文化の方が、建築技術が進んでいたと推測してます。
その根拠として考えているのが、栗の木などのブナの森(縄文の森)の存在です。
この日本列島のブナの森が際立っているのは、氷河期からその終わりにかけて、世界で最も早く形成されていたという事実です。・・・「ブナ林と古代史」小林
達雄著
石器時代の建築に使われるのは栗の木ですが、これにはちゃんとした理由があります。
実験で検証されたことなんですが・・・石器で加工できる木材は、栗のように堅い木材しか使えません。杉などの柔らかい木材では、石刃によって木の組織がつぶれるからなんです。
(杉が建築資材として使われだしたのは、鉄器時代以降の話です)
以前に書いたように、縄文人はすでに1万年前から定住生活をしていました。その頃の河姆渡遺蹟など長江文明の源流地域では、まだ定住生活はしていませんでした。
その定住生活と非定住の文化的差は何かと言えば・・・
考古学者渡辺仁氏によれば「非定住な暮らしをしているとどうなるか。人が死んでもあちらこちらに埋めて次に移動してしまう。建物に、大きな建材を使わない。仮設的なものか、あるいは運んでいけるような軽量建材を使う。モンゴルのパオとかゲルのようなもの。あるいは、移動するたびに木を入手して作る。ゴミはあっちこっちに捨てていってしまう。
定住するとどうなるか。立派な建物を建てることが可能になる。石皿とは石棒とか土器を使うようになる。ゴミ場(貝塚のような)が必要になり、墓が必要になる」
つまり・・・定住生活こそが建築技術の発達に不可欠な要素なんです。
結論をいうと・・・長江文化の源流である河姆渡などより、日本列島の方が、基本的条件(定住)とその建築資材(ぶな林)や豊富な建築道具(中国より優れた様々な石器類)からして、建築技術が高たったことは、ほぼ間違いないことだと推測しています。
>今現在日本に最も多いY染色体は「D2」「O2b」「O3」です。
「D2」はその中でも一番多く且つ古い染色体です。ということは縄文人ということで間違いないかと思われます。でこの「D2」、日本にしか見られないんです。
これこそが・・・氷河期が終わった頃より、縄文人として人種の統合が進み、大陸の民族とー線を引いた人種として誕生した証でしょうね。
縄文以降、我々倭人の血に混じった朝鮮人や中国人の血は、そのパーセントからいえば、ほぼ皆無なのだと思います。
これは メッセージ 69291 (monjujz さん)への返信です.
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