Re: 沖縄集団自決の真実 富村順一
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/05/04 17:04 投稿番号: [68193 / 73791]
『梅沢隊長は健在だ』
その中の一人、埼玉県大宮の関根清さんという衛生兵に出会うことが
出来ました。
関根さんは「家には妻や子もいるし、ここではそんな悲しい話は出来ない。
外で話そうじゃないか」と仰有ったので大宮の駅の前のお寿司屋さんに
入りました。お寿司が出ても席ねさんは二、三分、うつむいた儘
何も話そうとはしませんでした。溜め息をつきながら、
「実は富村さん、自決命令はなかったのだ。
梅沢隊長は自決命令を出して朝鮮人慰安婦と爆死したと沖縄戦記には
書いてあるが、梅沢さんはお元気である。自決命令は出てない」
と云ってまた溜息をつきながら、
「実は自決に関係しているのはこの私なんだ。
村の村長や校長先生、郵便局長、女を交じえた四、五人で梅沢隊長に
自決する手榴弾を下さいとお願いに行ったのだが、梅沢隊長に断られ、
そのため、よく部隊に出入りしていた女性がある衛生兵に顔なじみがいて、
その衛生兵に頼んだところ、当時島にいた従軍慰安婦が米軍上陸前に
梅沢隊長の命令によって、野戦看護婦になったようです。
その野戦看護婦が自決用として持っていたと思われる手榴弾を衛生兵が
取り上げて、宮城初枝さんに渡したということです。
その衛生兵が私です。
もしそのことが世間様に知られると、私の妻や子がどのような悲しい思いを
するかと思えば公表も出来ない」と云って涙を浮かべてました。
〔註〕宮城初枝や梅沢裕元隊長の手記によれば、隊長を訪ねた村の代表は
村役場助役兼兵事主任兼防衛隊長・宮里盛秀、同収入役・宮平正次郎、
国民学校校長・玉城政助、村役場吏員・宮平忠達、女子青年団長・
宮平(のち宮城)初枝の五人。
盛秀が隊長に要求したのは宮城初枝によれば弾薬。
梅沢元隊長によれば爆雷で殺して欲しい。
それが駄目なら手榴弾か小銃弾を頂きたいということであった。(中村)
宮城初枝さんの驚き
梅沢隊長は生きていると聞かされた私は、
「では手榴弾を関根さんが渡したことは公表しないから、
梅沢さんの家を教えてくれ」
とお願いしても、
「すぐには出来ない。梅沢さんに断ってから教える」
と約束しました。
何日か後に電話で梅沢さんの住所を教えてくれました。
私は梅沢隊長に連絡し、関根さんと共に大阪に行き、食事をしながら
様々なことを話し合いました。
死んだ筈の梅沢さんが生きていることを先ず最初に伝えるべき人は、
座間味島で是非正しい戦記を伝えて欲しいと私に頼んだ宮平のお爺ちゃん
であると思い、座間味島にお爺ちゃんを訪ね、梅沢隊長のお元気なことを
話したところ、お爺さんは「その話を一番知りたがってる人がいる。
一寸待ってくれ」と立って行かれ、宮城初枝さんを連れて来ました。
宮城初枝さんは入って来るなり
「富村さん、梅沢隊長は本当にお元気ですか。それは本当ですか」
と云うので「間違いありません」と話したところ、
しゃがみ込んで泣いてました。
「富村さん。私一人で勝手に文章を書いて『家の光』に投稿した訳では
ありません。
村の有志の方々に頼まれて仕方なく私は(隊長が自決を命じたと)書いたのです。
本当に梅沢隊長には申し訳ない。済みませんです。
今度会ったら、私がお詫びしていたとお伝えして下さい。そして島に来て下さい」
と話してました。
このように謝る女性に話す言葉もなく、翌日、母の住む宜野湾市に
帰ったところ、宮城初枝さんの娘さんの晴美さんが、沖縄でたった一つの
月刊誌『青い海』の編集長をしていました。
お母さんから電話があったそうで、「梅沢さん、本当に生きていますか」
と私に訊くので「生きています」といったところ、確かめたいから
住所を教えてくれというので、私は晴美さんに梅沢さんの住所を教えました。
この話がどのように伝ったのか、三日後に『沖縄県史』の編集長島力
(しまつよし)さんがまた私の家に来て、
「富村、梅沢さんは本当に生きているのか」と訊くので
「生きてます」と答えた。
「もし梅沢さんが健在であれば確認したいし、自決命令も出てないとなれば、
『沖縄県史』も直さなければいけない。是非梅沢さんの住所を教えて欲しい」
という風に話がありましたので、私は『沖縄県史』の編集長である島力さんに
梅沢さんの住所を教えたので、梅沢さんと連絡が取れ、『沖縄県史』に
梅沢さんの手記が載るようになりました。
つづく
その中の一人、埼玉県大宮の関根清さんという衛生兵に出会うことが
出来ました。
関根さんは「家には妻や子もいるし、ここではそんな悲しい話は出来ない。
外で話そうじゃないか」と仰有ったので大宮の駅の前のお寿司屋さんに
入りました。お寿司が出ても席ねさんは二、三分、うつむいた儘
何も話そうとはしませんでした。溜め息をつきながら、
「実は富村さん、自決命令はなかったのだ。
梅沢隊長は自決命令を出して朝鮮人慰安婦と爆死したと沖縄戦記には
書いてあるが、梅沢さんはお元気である。自決命令は出てない」
と云ってまた溜息をつきながら、
「実は自決に関係しているのはこの私なんだ。
村の村長や校長先生、郵便局長、女を交じえた四、五人で梅沢隊長に
自決する手榴弾を下さいとお願いに行ったのだが、梅沢隊長に断られ、
そのため、よく部隊に出入りしていた女性がある衛生兵に顔なじみがいて、
その衛生兵に頼んだところ、当時島にいた従軍慰安婦が米軍上陸前に
梅沢隊長の命令によって、野戦看護婦になったようです。
その野戦看護婦が自決用として持っていたと思われる手榴弾を衛生兵が
取り上げて、宮城初枝さんに渡したということです。
その衛生兵が私です。
もしそのことが世間様に知られると、私の妻や子がどのような悲しい思いを
するかと思えば公表も出来ない」と云って涙を浮かべてました。
〔註〕宮城初枝や梅沢裕元隊長の手記によれば、隊長を訪ねた村の代表は
村役場助役兼兵事主任兼防衛隊長・宮里盛秀、同収入役・宮平正次郎、
国民学校校長・玉城政助、村役場吏員・宮平忠達、女子青年団長・
宮平(のち宮城)初枝の五人。
盛秀が隊長に要求したのは宮城初枝によれば弾薬。
梅沢元隊長によれば爆雷で殺して欲しい。
それが駄目なら手榴弾か小銃弾を頂きたいということであった。(中村)
宮城初枝さんの驚き
梅沢隊長は生きていると聞かされた私は、
「では手榴弾を関根さんが渡したことは公表しないから、
梅沢さんの家を教えてくれ」
とお願いしても、
「すぐには出来ない。梅沢さんに断ってから教える」
と約束しました。
何日か後に電話で梅沢さんの住所を教えてくれました。
私は梅沢隊長に連絡し、関根さんと共に大阪に行き、食事をしながら
様々なことを話し合いました。
死んだ筈の梅沢さんが生きていることを先ず最初に伝えるべき人は、
座間味島で是非正しい戦記を伝えて欲しいと私に頼んだ宮平のお爺ちゃん
であると思い、座間味島にお爺ちゃんを訪ね、梅沢隊長のお元気なことを
話したところ、お爺さんは「その話を一番知りたがってる人がいる。
一寸待ってくれ」と立って行かれ、宮城初枝さんを連れて来ました。
宮城初枝さんは入って来るなり
「富村さん、梅沢隊長は本当にお元気ですか。それは本当ですか」
と云うので「間違いありません」と話したところ、
しゃがみ込んで泣いてました。
「富村さん。私一人で勝手に文章を書いて『家の光』に投稿した訳では
ありません。
村の有志の方々に頼まれて仕方なく私は(隊長が自決を命じたと)書いたのです。
本当に梅沢隊長には申し訳ない。済みませんです。
今度会ったら、私がお詫びしていたとお伝えして下さい。そして島に来て下さい」
と話してました。
このように謝る女性に話す言葉もなく、翌日、母の住む宜野湾市に
帰ったところ、宮城初枝さんの娘さんの晴美さんが、沖縄でたった一つの
月刊誌『青い海』の編集長をしていました。
お母さんから電話があったそうで、「梅沢さん、本当に生きていますか」
と私に訊くので「生きています」といったところ、確かめたいから
住所を教えてくれというので、私は晴美さんに梅沢さんの住所を教えました。
この話がどのように伝ったのか、三日後に『沖縄県史』の編集長島力
(しまつよし)さんがまた私の家に来て、
「富村、梅沢さんは本当に生きているのか」と訊くので
「生きてます」と答えた。
「もし梅沢さんが健在であれば確認したいし、自決命令も出てないとなれば、
『沖縄県史』も直さなければいけない。是非梅沢さんの住所を教えて欲しい」
という風に話がありましたので、私は『沖縄県史』の編集長である島力さんに
梅沢さんの住所を教えたので、梅沢さんと連絡が取れ、『沖縄県史』に
梅沢さんの手記が載るようになりました。
つづく
これは メッセージ 68192 (yume_sarasa1211 さん)への返信です.